日記のような、びぼーろくのような(2023.2.8京都大原野、霧雨にむせぶ春の予感)
昨日も仕事を終え、阪急京都線に飛び乗った。一車両に数人の乗客がパラパラと散らばる阪急電車もいいものである。車窓から見える紙芝居のような風景には過去私が携わってきた多くの思い出がある。NPO事務所の最寄り駅から自転車を借り走り出すと途中雨に降られた。霧雨である、二週間前には大雪の交通麻痺がウソのようである。決して冷たくない雨に濡れながら洛西ニュータウンを抜けた。
事務所に着くと倉庫の片づけを始めていた。都市計画法用途地域における指定用途以外の利用で全面撤去を求められていた倉庫の前面半分を撤去しなければならない。用途変更になった数十年前に手続きを怠ったがために止むを得ない今回の撤去である。全ての撤去ではなくなっただけでも良しとしなければならないのである。
たくさんの手伝いが来てくれている。私はほぼ口だけのお手伝いである、時間を見計らって失礼する。片付けの最中倉庫で寝ていたヤモリをおばちゃん達は全面撤去しようとするので私が特例措置を出し、出てきた陽で温かくなってきた岩の上に避難させた。久しぶりに吸い付かれるヤモリの指の吸盤は気持ちの悪いものではない。可愛い奴らに「またな、」と挨拶する。
帰りに長老メンバーから目についた竹の枝払い用の細めの棍棒をもらった。私の武具コレクションの仲間にする。ちょうど小太刀ほどの長さで片手で振り回すのにちょうどいい。たぶんそんな機会はないだろうが、、
帰る途中に難波でどら焼きを買った。近所に住む知り合いの弟さんが入院されたと聞き、お見舞いに行こうと思った。お兄さんに似てたぶん甘い物が好きだろうからと思い美味しそうなどら焼きを買った。
そして同じ地下街の串カツ屋で遅いブランチとなった。フライヤーの前に立つ若いお兄さんは若いのは年齢だけではなかった。串カツを揚げ過ぎている。微妙な頃合いがまだ分からないのだろう。自分で食べなきゃいけないし客の顔色も見なきゃいけない。先輩も気づかなきゃなりませんね。
家に帰って知り合いに電話して驚いた。弟さんは亡くなったと言う。流行り病だったとのことだった。持病もあったそうだが、初めて自分の身の回りで今回の流行り病で亡くなった人間が出た。前住んでいた先の地元神社の世話係を当番でやった時に気を配ったくれた優しい人だった。
時間に合わせて遅い夜に自転車で向かった。冬とは言い難い、でも春とは言えない寒くない夜だった。オレンジ色の月が妙にきれいだった。あまりに唐突に訪れる人の死とあまりにあっけなく感じてしまう人の人生を思う。
何かを残そうなんて大それたことは考えないが、自分が今生きていることってのは何なんだろうと思った。