日記のような、びぼーろくのような(2023.2.22 早春の京都大原野)
2月22日、今年の『猫の日』は例年と違う感慨を持って京都大原野に向かった。
今季最後の寒波となるのであろうか、昨日舞い降りた早春の雪はまだ山肌に張り付いていた。
通称『竹ネット』、NPO法人 京都発・竹・流域環境ネット の主要メンバーが集まって来年度の新事業の打合せがあった。
行政の発注の放置竹林整備が続く。行政のさまざまな事業において竹林が障害となっている。それを伐開して産業廃棄物としての処分は時代遅れになっている。可能な限り共存しなければならない。そして、一度整備した竹林はその状態を維持していかなければならない。もともと日本全国で放置竹林が問題になっているのもこの維持が難しくなってしまったからである。
維持が困難になった理由は所有者の高齢化と竹が日常生活から離れてしまったからである。この日常から離れてしまったということは、簡単に言えば金にならなくなってしまったのである。そして、竹製品を見かけることがあってもその多くは中国からの輸入材を使っている。中国の竹材は価格が異常に安いのである。そんなことも放置竹林を増やす理由になっている。
日本の竹の在来種は真竹(マダケ)や淡竹(ハチク)であって、孟宗竹(モウソウチク)は中国からやって来ている。しかし、この孟宗竹は諸説あるが数百年から千年も前に日本に入ってきている。これだけ時間が経てばメイドインジャパンで通用するであろう。私たちは『京都産の竹』にこだわって事業を進めている。
来年度は新しい事業や嵐山の『竹林の小径』のメンテナンスで忙しくなりそうである。
しかし、現状の作業を行ってくれている伐採衆の高齢化を考えあわせて行かなければならない。関心を寄せていただける一般の方も徐々に増えてはいるがすべてをボランティアで行うには無理がある。付加価値の高い新しい事業で金策を練らねばならない。
とにかく冷たい京都大原野であった。暖房の効いた阪急電車に乗っても身体は温まることは無く、大阪市内に戻り人と会って遅い昼飯をとった。
翌日の今日が祝日ということもあったのだろうか、スーツ姿もちらほらと見かけた。
ゼネコン時代の自分の姿を思い出していた。今と変わらず必要とあらば昼から酒を飲み多くのいろんな方と付き合いをした。それは私をこの関西に自ら縛り付けていることだったのである。入社してすぐに関西にやって来た。会社は毎年私たちに移動の希望を聞いてきた。私は毎回1番北海道支店、2番九州支店と返事した。人事部から「お前だけこんな希望を出すが、どんな理由だ」と聞かれた。私は日本のどこにいても同じ給料ならば知らない土地、そして出来れば景色が良くて美味しい物のある所に行きたかったのである。そう返答すると「そんな考え方も無いことはないな」で終わってしまい、関西からの移動は無かった。
考え方であるが、営業は移動させるメリットよりデメリットの方が大きいこともある。会社はデメリットを考えたのであろう。
どっぷりつかった関西で複雑な人間関係を作り今に至っている。もうここから抜け出すことは出来ないように思うが、いまだに大阪が自分の終の棲家には思えていない。不思議だがそうは思えないのだ。
徹夜明けの昨日の昼酒は良くまわった。