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はるはあけぼの

早朝、トーストサンドを作りながら思い出していた。
枕草子の、春はあけぼの やうやう白くなりゆく山際 少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる
を今もおぼえている。
この出だしの綺麗な日本語が好きだった。

父の実家のある山里に似ている。南信(なんしん)と呼ばれる信州の南のはじっこである。
この時期朝晩はまだまだ寒い山あいの小さな村である。雪は積もらぬが底冷えする冬の冷たさが打ち解けるこの頃に母と兄の三人で寝たきりになった祖母の看病に行ったことがある。
寝たきりの祖母の食事の世話、下の世話が母の仕事だった。
日中、伯父伯母は農作業に出かけ、朝早くから平屋の古い主屋はひっそりと静まり返っていた。私はもう何度目かの家の中を探検を終え、『ライオンと魔女』に出てくる衣裳タンスが無いことを確認して母のもとに戻った。それから長い一日は始まるのだった。
静かな家の中であった。まだ囲炉裏に熾火が残り、鉄の薬缶は白い湯気を吐き出し他に生き物といったらどこかから時々現れる二匹の猫だけだった。時間が来ると私と兄だけが遅れて朝メシを食った。
残された冷たい麦メシと塩辛い漬物、母の作った味噌汁だった。母は伯父たちのおさんどんのためにもよこされていたのだろう。農耕の忙しくなる時期、看護師経験のある母は祖母の看病は名目であって三男末息子の嫁として重宝な家政婦がわりでもあったのであろう。父が送ってくれた段ボール詰の菓子と週二度やって来る移動よろず屋の売る田舎菓子が兄と私の唯一の楽しみであった。晩メシも伯父たちとは食わなかった。伯父たちの食事が終わり、母は祖母に食事を世話し、それから三人で食事した。子どもの兄と私にはあまりにも健康的すぎる食事であった。風呂は薪を焚いた。橙色の裸電球一つの風呂は暗くて怖かった。兄と二人で入ったがいつも母にそばにいてもらった。夜の布団は冷たく重かった。愛知の実家の布団も軽くはなかったが、それより重い布団だった。
冷たい布団は気が付けば自分の体温と同化したが、夜中に我慢できなくなる。母を起こすが、寝不足の母は窓を開けて畑に向かってしろと言う。怖い庭の汲み取り便所に行く勇気はなく、それからはずっと窓からした。そこから見上げる空は恐ろしく黒く、その漆黒に貼り付いた星たちは音を立てて輝き私の姿を見ていた。実家の豊川でおぼえたオリオン座も北斗七星もあまりに数の多い星に紛れて確かめることは出来なかった。でも、天の河も人工衛星もこの目に焼き付けることが出来た。流れ星が上から下に落ちるのばかりじゃないこともその時知った。夜更けの心休まる時間だったかも知れない。

そして明け方である。窓を開けると冷たい空気が流れ込み、どこかから薪の燃えるにおいがした。人間が活動を始めたにおいだった。そして母はもう布団にはいなかった。それまで太陽を隠していた山々はその稜線を白々と輝かせて私に朝を告げてくれた。紫だちたる雲がたなびくことは無かったが、人の焚く薪のにおいがそれの代わりであった。

ああ、朝が来た。と胸をなでおろしてまた同じ一日を過ごすのであった。

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