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餃子とともにいきる その第一回

食の記憶って誰にでもあると思う。
毎日三食とは言わないが、誰もが何かを食べなければ生きていくことは出来ない。
生きるために食う、そんな時代もあったのだが、我々が生きてきた時代はほとんどの人がそうじゃない。
出来ることであるならば、食との記憶には楽しい時間を残して欲しい。
食べるモノに対しても、それを作る人に対してもそうあるべきだと思う。

私の餃子へのこだわりは、考えれば若い頃憧れていた中華料理の世界もあるが、たまたまの切ない思い出が合わさって、そうさせているのかも知れない。

餃子との出会い、初めて餃子を食べた記憶にさかのぼる。

昭和41年1966年、私は小学一年生、夕方そろそろ母親の顔がちらちら気になりだす時間に社宅の広場で遊んでいると、父がその頃やっと各家に普及しはじめた新品の自動車に乗って帰ってきた。
軽自動車、スバルサンバー、当時の軽は排気量360cc だった。
子ども等はワッっと駆け寄り、運転席から父が出てきた時には私は得意の絶頂だった。

その父の愛車で早速次の日曜日にドライブに出かけた。
母は休日出勤で、兄との三人のドライブだった。
当時住んでいた愛知県豊川市から父は国道一号線を東に向けて走り、静岡県浜松市舞阪、浜名湖の見えるドライブインで食事をした。

そこで食べたのが餃子定食だったのである。
その時から浜松の餃子が有名だったかは知らないが、餃子定食が一番安かったのだ。
めったに外食をすることは無く、両親の懐ばかり気にするひねくれた子供だった。
兄は当時はまだ普通に体も動き、普通に生活していた。
そして兄はそんな時、ショーケースをながめて食べたいもので値段の一番高いものを口に出来る子どもらしい子どもだった。
たぶん、ヒレカツ定食だったと思う。
とにかく高い肉が好きだった。

ここでの餃子が私の記憶に残る最古の餃子かも知れない。
味はもちろん憶えてない。
ドライブインの座った窓際のテーブルは妙に明るく、白く、出されたコップの水には薄くスライスされたレモンが入り不味かったことを憶えている。
一号線を走る車の流れをながめるうちに出てきた餃子定食には1/4にカットされたレモンがついており、説明を聞き、それを絞って醤油に入れた。

初めての私の記憶にある餃子は酢醤油ではなくレモン醤油で食べたのである。
味は憶えてないが、間違いなく美味かった。
ここから私の餃子ラブはスタートしたのかも知れない。

この餃子の話はしばらく続きそうです。
真面目に餃子の話を続けさせていただきますのでよろしくお付き合い願います。

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