本をよむ
子どもの頃から傍らに本があった。
障害を持つ兄を昼寝で寝かしつけるために母が読み聞かせてくれた。
その横でいつも私も聞いていた。岩波少年文庫が多かったと思う。当時は今ほど書店は多くはなくインターネットはもちろん通販などの無い時代だった。父の会社が付き合う豊橋の個人書店から新刊発刊の予定を聞きいつも新作を注文してくれていた。リンドグレーンやケストナー、C.S.ルイスの作品が記憶に残る。その時間だけでも私に嫌なことを忘れさせてくれるのがうれしかった。子どもの創造力を刺激し考えさせる物語を大人が作るのが不思議だった。今は思う。そんな大人もかつては子どもだったのであり、そんな大人は今なお子どもの心を持ち続けることの出来る稀有な能力を持ち続ける人なんだろうと。
いつしか私は自分で読むようになっていた。そして、年齢とともに読む本は変わっていった、文学書が多かったが岩波少年文庫とはずっと付き合いがあった。
話は変わるが岩波ホールが閉館する報を先日知った。この新型コロナの影響と目にはしたがそればかりじゃないであろう。新聞離れと同じなのであろう。ITの弊害、私たちがこれから導かれていく世の中の流れが生み出す弊害なんだろうと思う。ミニシアターが行う人にとって必要な無駄を必要に思わない人が増えてしまったのだろう。子ども達の心の未来のためにも由々しき問題と思っている。
私が書店に滞在する時間が減ったのも新型コロナの影響だけではない。
kindleを使い出してから減っている。端末ひとつに複数の好きな本があるのは私には安心感がある。ハードカバーの本より重くないのもいい。そして、自室で購入できる。
なんだかんだと言いながら便利なITに染まっていく自分がいる。そして、夜中ふと気になり見つけた本を「ポチッ」と買ってしまい翌朝後悔する。便利であり便利でないのだ。
実は今私が一番重宝していると思っているのは文字の拡大機能なのである。電車内で老眼鏡をカバンから取り出さずに読める。こんな重宝はないのである。これぐらいのものである。私のIT利用はまったくもってアナログ的なのである。