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日記のような、びぼーろくのような 『京都西山竹あかり』土地の神社で思ったこと

『京都西山竹あかり』~幻想夜2024~の第二弾である。
10月19日土曜日、放置竹林の整備を目的に設立された『京都竹ネット』の事務所の所在地である、京都西山大原野に古くからある大歳神社の例大祭に合わせて竹材を用いてのライトアップが行われた。

京都市内の竹林620haのうち2/3が集まるこの大原野地区に養老2年(1306年)から鎮座し、村を見守ってきた大歳神社である。この大歳神社は別名『かや大明神』とも称され、境内にはかやの樹が繁茂する。
今では、土地の人間も一部の者しか知らなくなったこの栢の実は、燈明用の油としてかつては使われていたのである。今回に合わせてこの栢の実をしぼって油を用意し、1000年ぶりの栢の燈明が灯されたのである。

この地を愛し、代々この地で生きてきた皆さんの中にこの『栢の杜』の保存会もあり、当NPOが事務局も務めている。
今回の『京都西山竹あかり』~幻想夜2024~第二弾は大きな柱が二本立てだったのである。『竹と栢』、これを一目見ようと冷たく降り続く雨にも関わらず、多くのこの地の方々が訪れてくれた。

NPOに限らず、どんな事業も同じであろう。一つの事を成すとはどういうことであろうか。
放置竹林整備事業は荒廃した竹林の整備によって、毎年美味いタケノコが出てくる美しい竹林を甦らせる。それは活きた里山を作り川を活性化させて最後は海を元気にさせる。そして、地域の防災にも繋がるのである。
本来は地域のやることであり、行政の責務であろう。
それをわざわざよそ者である非営利活動法人が乗り込んで行うことなのであろうかと時々疑問に思う。私はこのNPO法人の理事ではあるが、組織の主旨もよく理解しているつもりではあるが、不思議に思う傍観者である。
私は離れた大阪から一人通い、理事長とのつながり、これまでの義理を返すために協力しているだけだと個人的には思っている。

理事長はこの地にべったり入り込み、ここの住人以上にこの地の事を考えている。なにがそうさせるのかわからない。もとが役人だったからなのか、もともとの性格だからなのか。
ここまで来るには試行錯誤の繰り返しであった。でも、今回も多くの地域のボランティアの皆さんの協力で成り立つ事業だった。多くの人が不思議だが理事長について来てくれる。

今回のこの『竹あかり』の事業は主催は行政であり、NPOは収益事業として行っているわけではない。そして、この流れの中から枝葉のように生まれてくる問題も排除することなく、一つづつ丁寧に応えて行く。派手に見えるこのような事業がNPOの目的ではないのである。
すべての人に関心を持ってもらうことなのである。荒廃放置竹林整備と里山の保全、未来の私たちの子ども達のために残さなければならない自然環境整備に、世のすべての人に関心を持ってもらうことが私たちの責務なのである。

金を儲けなければ『非営利活動法人のNPO』と言えども活動はできない。しかし金に走れば本来のNPOではなくなってしまう。
デジタルの社会に背を向けて突っ走るアナログ集団なのである。
考え悩みながら、この先は続く。

大歳神社は前を通っても見過ごしそうな控えめな神社ですが、足を踏み入れれば歴史を感じさせるゆかしき神社です。私はここで初めて栢の樹、栢の実を目にしました。


神事を終えて、理事長がご参集の皆さまに挨拶。久しぶりのスーツ姿を見ました。

一人、大阪市のそのまた向こうからやって来た私は、いつものように阪急洛西口駅で電動アシスト自転車を借りて雨の国道9号線を走った。以前は雨に濡れるのはなんとも思わなかったが、やはり歳であろうか冷たい秋雨で下がる温度とともに体温も奪われ寒さを感じた。
京都の短い秋の終わりを感じた。

阪急京都線高架下の立ち飲み屋、大阪の商売人阪急は洛西口の高架下までも使える空間は遊ばせていない。こんなところは小林一三の商売上手が活きている。ここまで戻ると寒さは和らぎ、乾いた喉を芋焼酎のロックで潤わせた。アジフライが美味かった。


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