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日記のような、びぼーろくのような(2023.3.01 京都駅八条口でのおもいで)

仕事が終わり、朝JRで京都駅に向かった。
名古屋の製薬会社が竹材の契約にやって来るから出てこれないかと仕事中の昨日の晩に理事長から連絡が来た。
「よろしく頼む!」いつもこんな感じである。

京都駅を八条口から出て陽に当たるともう違う季節を感じた。ジャンバーを脱ぎ何年振りだろうか都ホテルのロビーに向かった。
まだ駅上のグランビアホテルの無い頃によく人と待ち合わせ、打合せに使った。なんだか活気の無いロビーで久しぶりに一人ボ~ッとしながらホテルを出入りする人間の観察をしていた。10時前である、剃髪した法衣姿の宿泊客がチェックアウトしていく。昨晩の酒は抜けているのであろう血色のよい背筋の伸びた姿が何とも京都らしい。
しばらくすると理事長がやって来る。
「おっ!すまんな」いつもこんな感じである。

ロビーの喫茶で二人で待つが、煙草の吸えぬ喫茶コーナーが落ち着かないらしく何度も席を立つ。
「ちょっと行ってくる」いつもこんな感じである。

ここでも利用客を観察するがずいぶん客層が変わった。10年以上も前になるが私の知るこの喫茶コーナーには反社会勢力組織に所属してるであろう方々の打合せコーナーでもあった。
そんな人たちがいて、坊さんがいて、旅行客がいて、いつも不思議な場所だと思っていた。
しかし時間は過ぎるが待ち人は現れず、電話をすれども繋がらない。一時間ほど話をしていると電話が来た。「2時の待ち合わせだった」と理事長。「俺の勘違いだ」いつもこんな感じである。

申し訳ないと思いつつも、午後の約束があり帰らせてもらった。
「ではまた来週うかがいます!」
「おっ、よろしくな!」いつもこんな感じである。

カッターシャツ一枚で寒さを感じることのない3月1日だった。
八条通を歩く人たちも黒い重そうなコートを、皆じゃまそうに小脇に抱え歩いていた。私は京都駅八条口に向かい歩きながら思い出していた。理事長に京都を知らない私はいろんなことを教えてもらった。京都は北南を上下(かみしも)で表現する。一番上は御所である。東西に走る通りは一条通、二条通、、、と南に向かうとともに数字が増える。京都駅南口に面する通りが八条通であって、八条口と読んでいる。さらに南、下に向かえば九条通、十条通と控えている。

上から下に向かい住む人間の身分が違った。それが歴史であってそれが京都であると教えてもらった。理事長には前職時代にも扶養家族のように飲み食いをさせてもらった。この九条、十条での飲食も多かった。そんな仕事をされていたのである。八条口の議員事務所にもおっかなびっくり連れて行ってもらった。筋の通った話を聞いてもらえた。

今から二十年以上も前のことを思い出しながら歩いていた。二十四時間が仕事のような時代でもあった。忘れようにも忘れることの出来ないことが多く、歩けば必ず思い出す。

でもその時にはこんな気持ちの余裕は無かった。気が付けば弥生三月、風薫るってのはこんな空気を言うのかと思いながら八条口に向かった。


大阪駅前で人と会い用事を済ませて帰った。ヘッダー画像は大阪駅前ビル(第三、第四)。
この写真は打合せ場所での遅い昼飯。焼酎のジャスミン茶割りが心地よい季節となっていた。
また、長い一日の水曜日だった。

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