怖いと思ったこと その3
昨日、金曜日の夜に合気道の稽古から帰ると金曜ロードショーで『崖の上のポニョ』をやっていた。
後半の少しだけだったが、初めて観た。
この舞台となった鞆の浦のある広島県福山市まで何度か行ったことがある。
その頃からずっと気になっていた宮崎作品であった。
福山まで行ったのはある方の自宅の移築の監修を頼まれてのことであった。
設計事務所時代にたまたま付き合いをしたシステム会社の社長がいらっしゃる。
私がゼネコン時代に付き合いをした日本を代表するコンピューターのメーカーでありシステムの開発もする上場会社の役員を過去に務めた方でもある。
長い付き合いのなかでその社長が自宅を建て替えることになり、その竣工までの監修も頼まれた。建築工事費だけで億単位である。自宅としてはかなり立派な建物であった。
そしてそれまで住んでいた古いご自宅を、自分が出資している福山にある精密機器メーカーの広い敷地内に移築したいという趣旨の依頼内容であった。
梁一本だけでも10m以上あり、簡単な移築ではなかった。
しかし、不可能と思われることもなんとかやってしまうのが建築の世界でもある。移築は無事終了し、その間に何度か福山まで行く機会があった。
しかしそのすべてがとんぼ返りでポニョの舞台まで行くことは無かった。
その後、私は設計会社を辞め、飲み屋を始めたのだが、その方との付き合いは続いていた。
ご自身の会社の後継者育てに苦心されていた。
「なんとかならんか」と、相談を受けてしばらくその会社に行ったのである。
後継者は娘婿、世の中は不思議ではあるがうまく仕組まれている。その方のお子さんは三人とも娘だった。
息子が一人いればなんの問題も無く、早くに隠居できたであろうに私よりずっと年上のその方は社長として会社の采配を振るい続けなければならなかった。
三人の娘の婿たちで会社を継げるのは一人だけだった。
後継の男はもう五年も社長の次席で仕事をしていたが、器ではなかったのである。
しかし、社長は頭でそれを理解していてもそれを心で理解したくなかったのである。
会社は公器である。一時は日本を牽引するような会社の役員としてその会社の舵取りの一部を携わった人であろうに自身の会社ではそう考えることが出来なかったのである。
この方の長いビジネスで培った人脈によるビジネスモデルは感心するものであった。
世に星の数ほどあるSESの会社の中でも十分生き残っていくであろうと思った。でも、その方が生きている間だけである。人脈はその方がだんだん衰え、錆び付くのと同様に相手も衰え錆び付いて行く。
一代限りで終わらないようにするための手を打たなければならないのだがその方もその先を考えることが出来ず、後継者の男は指示を待つだけの男であり、いずれ時期が来れば社長になれると信じて疑っていなかった。
どう話をしても後継者は理解をしなかった。
そう話を社長にはしたが聞きたくないことには心に蓋をしてしまうほど年老いてしまっていた。それが普通の人間なのである。
「私がいる会社じゃない。」そう思って別れを告げた。
そこで働く若い子らが気にはなったが私にはどうしようもない。時期が来れば自分で飛び立つ奴は勝手に飛んでいくだろうし、飛ばなければならない。
経営者は社員と社員の家族の未来を考えることの出来ない、考えることを拒否する年齢になってまで経営に携わってはいけないと思うし、後継者は胃袋に穴が開くほど悩まねばならねばならぬし、気が狂うほど考えなければならないと思う。
でも世の中にはそんな会社がたくさんあるんだろうなぁ、それでも世の中は回っているんだなぁ、と思ってとても怖くなった。
ポニョは最後しか観ていないので今一わかっていないが、宮崎アニメらしいとても美しい、そして暗示に富んだ作品だと思った。
魚の子のポニョが人間なんかになってしまうということは、まだまだ人間って捨てたもんじゃないよ。
そんな教えがあったのだろうか。
怖い話を思い出し、並行して観ていた私はポニョに救いを求めていたのかも知れない。
それにしても鞆の浦はきれいなところなんだろうなぁと思う。
大阪湾から続く先にある同じ海とは思えない。
とても不思議な気持ちがする。