日記のような、びぼーろくのような 『2024.11.06 いつもの日常』
京都西山大原野にある放置竹林整備が目的のNPO法人京都発・竹・流域環境ネット、通称『京都竹ネット』の事務所である。
誰もおらず、静かな時間が流れる。
こんなことはめったに無い。ここに事務所を置いて私には初めての時間だった。理事長はボランティアの皆さんを連れて善峯寺に出かけ、竹伐り衆はいつものごとく竹林整備に汗を流し、事務所をお借りする大家のお母さんと理事長の奥さんは近所の元気のよい年かさのお姉さんと「チョット行ってきますね」と車でどこぞのモーニングタイムに出かけてしまった。なんとなく留守番を仰せつかった私はテレビのワイドショーで米国大統領選挙の予想を聞きながらNPOあてのメールをチェックする。苦いだけのインスタントコーヒーをすすりながら数カ月ぶりに時間を持て余していた。関西電力から電話があり、「電気容量の変更がどうとかで伺いたい」にはハイハイと返事をし、クロネコさんが事務所の備品を運んでくれ「お疲れさん」と荷を受け取った。
事務所の外に出て気が付けば、朝来た時には山際に黒い雲がせり寄っていたが、爽やかな青空にその場所を譲っていた。もうこれからの時期は京都市内から日本海に向かい、老ノ坂(おいのさか)を越えるといつもグズグズした天気ばかりである。『弁当忘れても傘忘れるな』と、京都の北は霧の多い湿潤な地域なのである。だから昔から繊維で栄えた。綾部でグンゼは創業し、繊維関係の会社の多かった福知山が京都銀行の発祥地である。関係無いが大家のお母さんはニデック(日本電産)永守社長と小学校の同級生である。
まだひと月も経たない前にはハーフパンツでここまで来ていたが、今日は上着を着て電動アシスト自転車で走ってきた。もうすぐ手袋が欲しくなるのであろう。私の秋はどこに行ったのであろうか。
そうこうするうちにボランティアの皆さん、竹伐り衆がぽつぽつと帰ってくる。皆に苦いコーヒーを用意した。理事長も戻り、忘年会の日にちを決めた。今回はボランティアの皆さんも含めての大人数となる。ニュータウン内の日帰り温泉の宴会場を予約することとなる。
そのうちお母さんたちが帰って来た。バトンタッチして私は帰る。帰りは爽やかな空気を切ってずっと下りを突っ走る。行きの半分の時間で駅に着いた。早い午後の阪急は空いていていい、図書館で借りた本に夢中になり途中乗換えを忘れそのまま準急で帰った。いい時間が長く続き帰りつく時間は遅くなったが、得をしたような気がした。借りた本に向田邦子の食のエッセイがあった。身近な食材でご飯のおかずを作り、酒の肴を作るのがいい。生姜がお好きなようで、「ビックリするくらいの量の生姜の千切り」が二か所くらいに出ていたような気がする。向田邦子が亡くなってしまった台湾の飛行機事故には私の台湾の知人も遭遇していた。
帰って少し寝て、少しだけ机に向かって仕事をした。
晩飯はNPOの事務所前で並べている100円のしし唐を豚肉と味噌で炒めた。乾物保蔵の引き出しの下にこぼれ落ちていただいぶ古い缶詰のアンチョビを使ってポテトサラダを作った。奥只見の新米は炊き立てで美味かった。
シャワーを浴びて、もらい物の日本酒の封を切った。大阪の年上の友人からのもらい物、倉敷の菊池酒造の酒である。『燦然』の『天領の雫』、旨口の杯の進む酒である。絵描きの友人は倉敷のご友人を訪ねてよく倉敷まで足を運んでいる。そのうち一緒に行ってご友人の美術館をゆっくり見たいと思う。ついでに備前焼の窯元の見学もしてこよう。
そうこう思い馳せている間に時間は過ぎ、この記事を慌てて書き時計を見るが、まだ夜は長く、もう一杯だけ飲んで寝ることにした。これからの夜はいい。考え事をするのに、本を読むのに、手紙を書くのにいい。
さあ、こんな秋を感じさせてくれる夜はあとどれくらい続くのだろう。