ふと思い出すこんな冷たい夜(よ)に一人、その「何か」が何であるかふと思い出す
久しぶりに稽古の帰りに飲み屋に寄った。
なんだかんだと用事があって、ここしばらくは稽古が終わってもまっすぐ家に帰っていた。一人残った若い男、と言っても40代、でも私より若い。この男に声をかけると気安く私について来た。
寄るのは個人経営の立ち飲み屋、安い飲み屋は彼に気を遣わせないし、立ち飲み屋は早く切り上げ帰ることができる。
こんな時間に家族とよりも会社の連中と長い時間を過ごしたゼネコン時代を思い出す。日曜日に会社で資料作りをしていると一人二人とサービス休日出勤者が湧いてきたその頃であった。私の敬愛した上司が「皆、家にいても不安なんだよ」と言ったことが頭に残っている。
ノルマを達成できなければ給料が減額されたり、クビになったりするような会社ではなかったが、皆それなりに責任を感じ、必死に仕事をしていた。
黙って陽が傾きだすころまで仕事をした。すると、誰かが口に出すわけじゃないのに皆仕事を片付けだした。そして誰かが「行くか」と言うのである。
皆がその言葉を待っており、そのまま京橋の夕暮れに紛れ込んでいくのであった。
日曜の夕なのに、ウィークデーに家族と晩メシを食える時間なんかに絶対帰れないのに、皆京橋の夕暮れに混ざり合う時間を待っていたのである。
一杯飲んで普段とは違う話をしたのかも知れない。そして家族への申し訳程度、普段よりは早い時間に皆家路についた。
パソコンなんて、私たちには概念さえまだなかった時代である。自宅でできる仕事は限られていた。膨大な資料は会社の自分の机の上にあり、そこにたどり着けなければ自分の仕事はできなかったのである。
そして携帯電話やSNSなんてのも無かった。思いは電話か直接話するか、はたまた手紙を交わすかであった。
今思えば、そこには連帯感のようなものがあった。安心感のようなものもあった。まだ営業の「いろは」も分からぬ私はただその連帯感や安心感を頼りにして関西を走り回り時には東京・北海道・九州へと羽根を広げていった。
そんな時間があったから今の私がここにいる。一人で生きて来たような偉そうな顔をして生きている私がここにいる。
過ごしてきたあの頃は、人間として生きて行くうえで必要な時間だったような気がしてならない。
なんだかよくわからぬが、今、この世に欠けてしまった何かがそこに転がっていたような気がしてならない。なんだと言われても上手くは説明できないが、あの時代を生き抜いて来た人間であれば誰もが感じる「何か」なのである。
立ち飲み屋は思索の時間に向いている。適度に騒がしく、人の気配が消えることは無く、腹がふくれないアテがあり、何より心と脳を癒す酒がある。連れが居ようとそうでなくともそんな時間が私にやって来る。ほんの一瞬、ふと思い出すのである。