懺悔の餃子
久しぶりにラジオから流れるチャゲアスの「万里の河」を耳にした。夕方合気道の稽古のためにJRで天王寺に向かう列車の車中だった。最近、骨伝導のイヤホンを使っている。耳に突っ込むイヤホンはそのうち耳がくすぐったくなる。この骨伝導が具合がよく実は2代目である。高額なのは音の聞こえ方、聞こえる音質が違う。車中で雑音に悩まされることなく快適な移動が続いている。
この『万里の河』には思い出が多い。その頃は社会人になって3年も経っていなかった。毎晩10時過ぎまで京都御所近くの建築現場で仕事をしていた。その現場の事務担当でいた私より年上の、でも現場代理人としては若い建築屋の先輩と、高専を卒業したばかりの新入生の若い子と毎晩遅くまで力づくの仕事をしていた。若さの無鉄砲と体力がなければ収まるような工期の仕事じゃなかった。仕事が片付くと先輩の「メシくいに行くぞ」の掛け声で三人で地元協力と理由付けて近所のお好み焼き屋でビールを飲み焼きそばを食い、三人は自分の車で祇園に向かったのである。
行ったクラブでしこたま飲んで、当時流行っていたカラオケで歌を歌わなければならなかった。そこで好きではないカラオケで歌ったのが『万里の河』だった。人前で歌うのは恥ずかしくて嫌だったが、どこへ行っても評判は良かった。その店に松方弘樹が池上季実子を連れてやって来ていた。池上季実子は私の『万里の河』に拍手してくれ、アンコールしてくれたのが恥ずかしかった。でも池上季実子は綺麗だった。(今思えば、現在放置竹林整備の事務所を置いている京都西山の竹林は今も撮影現場として使われている。松方弘樹のサインもあった。ひょっとしたら、その時も時代劇の撮影でもしていたのかも知れない。なんだか不思議を感じる。)
そして、そこからまた車で帰った。不思議と誰も事故を起こすことは無かった。次の日(正確にはその日)の朝、8時からの朝礼に誰も遅れなかった。
しかし、飲酒運転はその頃も交通違反で、検問に引っ掛かったことがある。
私は真面目に自己申告し、アルコールチェッカーに挑んだが、二度とも酒気帯び運転になる目盛りまで検診計が進まなかった。両親に感謝せねばならない頑強な肝臓は日々の鍛錬で鍛えられさらにパワーアップしていた。
先輩に酒気帯び運転でつかまらないためには餃子を食って帰るのがいいと、妙に説得力のある言葉とともに、八坂神社近くの花見小路の『珉珉』で帰りがけに何度か餃子を食って帰ったことがある。珉珉の餃子は好きではあるが許容量近くまで酒を飲み、そこに餃子とビールを流し込むのにはこれまた体力と勢いが必要だった。翌日の二日酔いのひどさを承知しながら力づくで餃子をビールで流し込んだのである。
その結果、一度は検問で窓を開けた瞬間に「うっ、行ってください」と言われたことがある。功を奏したとも言えるのであろうが、「攻撃は最大の防御」というよりも「肉を斬らせて骨を断つ」といった状況に翌日なる。二度と餃子とビールの顔が見たくない、とひどい二日酔いに苦しみ、その日の夕方まで再起不能状態となる。
今思えば、餃子には大変申し訳ないことをしてしまった。そして最近、青春の日の舞台でもあった祇園の珉珉が閉店したと風の便りで知った。
未来永劫は無く、しかし記憶は朽ちることなく私の心に餃子とともに残るのである。
さらば珉珉!
ごめんよ餃子!
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