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白拍子へのいざない

真謡会館主宰の「和の道サロン」に参加しました。

今回のテーマは、「白拍子へのいざない」。白拍子研究所の皆さんが講師でした。

「白拍子」

白拍子(しらびょうし)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人。主に男装の遊女や子供が今様や朗詠を歌いながら舞ったものを指すが、男性の白拍子もいた。素拍子(しらびょうし)とも書き、この場合は無伴奏の即興の舞を指す。(出典:wikipedia)

このサロンに参加するまで、「白拍子」という言葉も知らなかったのですが、今様や朗詠を歌い(数え)ながらの舞、そしてその舞を披露した芸人さんのことを「白拍子」と言うそうです。

「白拍子」が登場したのは、平安時代末期から鎌倉時代、後白河院や後鳥羽院の御代。女性が宮中に入るが許されておらず、女芸人である白拍子は、男装をして宮中に入っていったようです。

男装とは言えど、美しい女芸人を時の権力者が見逃すはずはなく、後鳥羽院は白拍子を寵愛し、滝との間に覚仁法(かくにんほう)親王、石との間に凞子(ひろこ)内親王、姫法師との間に覚誉大僧都(かくよだいそうず)をもうけています。

「静御前」

白拍子の有名どころでは「静御前」。源義経の妾、愛人です。源平合戦で兄の源頼朝と対立した義経が、京から九州へ逃げる際に連れ添った静御前。しかし、険しい道中に加えて、妊娠していたこともあり、吉野で別れることに。

その後、一緒に残された従者に裏切られ、山中を彷徨っていたところ、静御前は捕らわれ、頼朝がいる鎌倉へと送られます。

鎌倉に送られた後、静御前が随一の白拍子と聞いた頼朝は、鶴岡八幡宮社前で白拍子を舞うよう、静に命じます。

権力者・頼朝を前に、「君が代」で始まる頼朝を”よいしょ”する歌を披露すればよいところ、意思の強い静御前は当意即妙で次のように歌ったそうです。

しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

義経への思いが滲み出て、昔が今に戻ったらいいなぁという願望の中には、愛してくださった義経さんとの日々が戻ってきてほしいという健気な気持ち、さらには、かつて罪人だった頼朝に対して、昔のように罪人に戻るがよいという恨み節たっぷりの歌。

当然、これを聞いた頼朝は激怒するわけですが、妻の北条政子が頼朝の怒りを沈め、静御前は命拾いしたそうです。きっと、かかあ天下だったんでしょうね。

その後、静御前は鎌倉で出産するも、男児であったことから、男児は由比ヶ浜に沈められます。頼朝のせめての抵抗といったところでしょうか。

このエピソードを、静の生涯、『義経記』より「静の舞」で観覧しました。解説してくださっての舞だったので、とても「白拍子」に親しみを持てた1日でした。


和の道サロン
http://www7b.biglobe.ne.jp/~wakebayashi/shinyokaikan.html





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