『Les Misérables』@London 観劇記録


Sondheim Theatre@ Westend

2022年11月から12月にかけてヨーロッパを一人旅したのだが、その目的の一つがウエストエンドでミュージカルを鑑賞することだった。
幼稚園生の頃に見た「The Sound of Music」に心奪われて以来、ミュージカルに携わってきた私にとって、ミュージカルは人生を通じて没頭していたい芸術なのである。
そんな私は今回、念願のウエストエンドで名作『Les Miserables』を鑑賞することが出来た。殴り書きに等しい感想だが、せっかくなので記録しておこうと思う。

Les Misérables@ Sondheim Theatre

まず開始時刻になっても全然席に人いなくて、開始が遅れた事にびっくり。そして、オープニングのLook Downの一音目が鳴った瞬間に鳥肌が立って涙が出てくるっていう、いつもの条件反射が起こりました。

バルジャンの独白は声の響き方が凄くて、一階席の後ろに刺さってくる感じがした。
At the end of the dayから工場のシーンは歌詞とセリフの数が多すぎて、当然全部聞き取れなかったけど、やっぱりファンティーヌが黒人の方だったことにちょっと驚いて、そして落ちぶれて行くときの声を絞り出す感じが本当に上手。

バルジャンとジャベールが揉み合うシーンは、大柄男性×大柄男性なので日本よりも確実に迫力あるし、2人ともすごい声量なのにどちらもちゃんと聞こえてくる。

リトルコゼットは、日本より少し年上で、声が大人。裏声使って歌ってるのが意外だったかも。リトルエポニーヌは逆に日本より歳下。

そして、テナルディエ夫妻が圧巻!!(テナルディエだいぶイケメンだったな…)Master of the Houseは盛り上がりすごくて、最後のパーティシーンもだけど、テナルディエの場面が一番観客が一体化してる感じがした。(駒田さんモリクミさんの時もそう思うけど)やりとりで毎回笑いが起きるのも楽しい。

Look Downのリプライズ、ガブローシュのすばしこくて賢い感じが良かったのと、ジャベールとの出会い?が良かったな。すごい目で見下ろされてるのに、おちょくるガブローシュ。後の伏線になってくるから、結構このシーンが長めに取られてたの好きかも。

バルジャンを捕らえることをジャベールが星々に誓うStars。激しい感情を持っているはずなのに、優しいメロディー。違和感があるようで、ジャベールの弱さを表している気がする。日本だと結構優しく歌うイメージだったんだけど、ロンドンは結構強め?で、目がギラギラしてた。結構声張り上げる感じだったかも。星の映像は日本の方が綺麗かもしれない。

ABC cafeのシーン。アンジョルラス黒人なんだ…!!と思うとともに、控えめなメガネの学生がいて(のちに彼女を大切にしてるっていう感じで描かれてる)、なんて名前だっけ…!?と気になった。

マリウスは顔立ちもあどけない感じが残ってて、ぽわぽわしてた。日本でいう海宝直人さんや三浦宏規さんみたいな顔の部類なんだろうな、と。

コゼットは可愛いんだけど、音域高すぎてハモリになるとあんまり聞こえないのが残念だったな。

ここでエポニーヌ登場。圧巻。第一声から声が通り過ぎてて、本当に話すみたいに歌うなぁという感想。

マリウスのことが好きな感じも上手いし、2幕になるけどOn My Own本当に良くて、拍手一番大きかったし、この辺から涙腺緩んでる人が多かった気がする。

Do you hear the people sing?って、一番有名な割に、ミュージカルだと結構あっけないよなと思っていて、(多分終わりでそのままシーンが続くから)それは世界共通だった。

「このタイミングで恋愛するのか!?」っていうマリウスの子供な感じも良いけど、やっぱりここもエポニーヌが良くて。

帝劇だと広いから気が付かなかったけど、マリウスとコゼットがいる下手半分は明るくて、エポニーヌがいる上手半分は暗い。幼い頃はテナルディエ夫妻の娘として可愛がられ、可愛い服を着ていたエポニーヌ。使用人同様にこき使われて、ボロボロの服を着ていたコゼット。変わり果てた二人の境遇という対比を感じて、エポニーヌの声も相まって胸が苦しくなった。

One Day Moreはやはり、このミュージカルの最高潮なのだろう。観客の、「きた…!!!」という感じも良いし、行進にマリウスとエポニーヌ、そしてみんなが加わっていく感じが、「レミゼ 」を感じさせる。

幕間

2幕始まってすぐのOn My Ownから、エポニーヌが亡くなるまでが短いからこそ、切ない。余韻に浸ってるうちに衝撃が来る感じ。

歌い終わって、帽子を被り、バリケードの方を振り返る。その時に照明が当たってエポニーヌのシルエットが照らし出されるんだけど、勇敢さと儚さと強さを兼ね備えてる感じで。この後の展開を想うと涙が出た。

A Little Fall of Rainでも、エポニーヌの上手さが群を抜いていて、エポニーヌばかり見てしまった。日本版の方がマリウスの深い悲しみ…という感じかもしれない。

エポニーヌはマリウスを庇って縦断に当たるが、それを隠そうとする。なぜこんなにも無償の愛を与えられるのか?とこのあたりから考えこんでしまう。
彼のために死に、彼の腕の中で息を引き取るとき、エポニーヌはとても満足そうな、幸せそうな顔をする。
ガブローシュがエポニーヌの帽子をマリウスに渡すシーンがなんとも良いのだが、帽子をぎゅっと握りしめるマリウスは、きっと最後まで彼女の恋心に気がついていないのだろう。

そして、戦いの前夜、バリケードで学生たちが歌うDrink with Me。正直これが一番書きたいかもしれない。

私は学生の中だとグランテールの存在が一番気になってて。革命の団体にはいるけど、懐疑的で、革命には反対派。だからみんなが士気を高めてる中でひとりお酒を飲んでフラフラしている。バリケードでもずっと飲んでいて、でもそんなグランテールとガブローシュはいつも一緒にいる。

この曲のグランテールのソロが

Drink with me to days gone by
Can it be you fear to die?
Will the world remember you
When you fall?
Could it be your death
Means nothing at all?
Is your life just one more lie?

「世界は忘れないか?」「死など無駄じゃないのか?」という、弱気で懐疑的なグランテールの本音を聞いたアンジョルラスは、彼を強く抱きしめる。

こんなグランテールがABCの友にいるのは、紛れもなくアンジョルラスがいるからで、そのカリスマ性と美貌に惚れてるのがロンドン版の方が分かりやすい(原作だと、アンジョルラスは敵が撃つのも憚られる美しさと書いてある…)

日本版では、多分この抱き締めるシーンってなかったような…と思う。たぶん、アンジョルラスが肩に手を置くかなんかして、肩を落として壁に向かう…みたいな感じだった気が。(その後にふらふらと壁にもたれかかって泣くグランテールをガブローシュが背後から抱きしめるシーンがあるから、被りになるのか?)
(でもこのシーンがあることで、最後の死に方の伏線になるので、是非ともあってほしい。)

ジャベールが、娘の恋人であるマリウスの無事を祈るBring Him Homeはとにかく圧巻。
長めで、男性が一人で歌うこの曲を観客を飽きさせずに聞かせるのは結構大変だと思っていて。でも今回は観客みんな聴き入って余韻がすごかった。
罪人のバルジャンが、誰かのために自分の命を犠牲にしても良い、と心から思っている。これこそがあの銀の燭台を差し出した神父が望んだことであるのだと思う。

観客も皆、自分の命を犠牲にしても良いと思う存在のことを思い浮かべていたのだろうか。愛の普遍性を感じた瞬間だった。

ガブローシュが死ぬシーンは、やっぱり印象的で、毎回結末知ってるのにドキドキしてしまう。

その前にジャベールを告発して、おちょくってるのも良くて、その雰囲気のままバリケードを越えていく。ぽーんと銃弾の袋を投げて、一回撃たれて。その瞬間に舞台だけじゃなくて客席まで静まり返る感じがゾクゾクした。そのあと、もう一度ガブローシュの声が聞こえて、バリケードの中心に立って撃たれる。

こんな少年が…と思い、もしもこんな浮浪児でなかったら…と思い、かわいそうになってしまう。だが、ガブローシュは学生たちの仲間であって、立派な一人の革命家であった。
だからこそ、映画版でジャベールはガブローシュの遺体に勲章を載せたのだろう。

そしてその遺体をグランテールが受け取って、バリケードの奥に綺麗に横たえる。グランテールの表情は悲痛さから、覚悟を持った面持ちへと変化する。

ここからだんだん銃撃されて学生たちが亡くなるが、途中で女性の悲鳴が聞こえて撃たれていて、日本版で女性が撃たれてる演出はあったのだろうか、と思った(私が見てないだけ?)

そして、アンジョルラスが撃たれてバリケードの向こうに倒れる。

と、この戦闘中も酒瓶を片手に持っていたグランテールが銃を持ってバリケードに向かう。そして、アンジョルラスの後を追って撃たれる。
死など無駄じゃないか?と言っていたグランテールはアンジョルラスの死を見て何を思ったのだろうか。もう生きている意味がないと思ったのか、それとも、彼と共に死にたいと思ったのか。

原作と映画だと、アンジョルラスとグランテールは最後の2人として一緒に撃たれる。死の間際に大切な人の側にいる、というのは「レミゼ 」の特徴であり、フォンテーヌ、エポニーヌ、グランテール…もちろん最後のバルジャンだってそうだ。
レミゼ における「愛」の形なのかもしれない。


下水道のシーンはテナルディエの歌の上手さが目立った。ギョロギョロした目つきが良かったし、死者から金目の物を盗んでいく極悪非道とも取れる自分の行いを自分で正当化してる感じが切なかったりもする。

下水道で瀕死のマリウスを背負ったバルジャンを見つけるも、懇願されて逃した後のジャベールの苦悩。
自分の正義は、バルジャンを捕らえて裁くことではなかったのか。なんのために生きてきたのか。

「ジャベールの自殺」バルジャンと同じメロディなのが泣ける。エポニーヌとコゼットのように、全く境遇を変えてしまったバルジャンとジャベール。
ジャベールが身を投げていく時に、救われたような表情になるのが、切ない。

「正しく」生きて、一生懸命働いて、死ぬ必要の無かったはずのジャベールが孤独に自殺し、他の「Les Misérables」たちが大切な人のもとで亡くなっていく対比が切ない。

Turning(曲名初めて知った)で、子役のソロパートがあってびっくり!Lovely ladyのメロディーに合わせ、学生たちを悼む女性たち。繰り返し繰り返し、戦いで若者たちの命が失われていくことへの嘆きと諦め。現代でも同じだ。

カフェソングは、マリウスの孤独さを際立てる。彼は、仲間と死んだ方が幸せだったのか?と思わせるが、結婚して幸せそうにするマリウスを見ると、彼の少しお子様な性格を思い出してしまう。

結婚式で、戦いで自分を救ったのがバルジャンだと知り、罪人としてひとり孤独に死のうとしているバルジャンを追いかけるコゼットとマリウス。

駆けつけた二人に見守られながら天へと登っていくバルジャン。大切な人のそばで死ぬことが出来た、ということはバルジャンの罪が赦されたということなのだ。

そこからのフィナーレ

Do you hear the people sing?のリプライズであるFinaleの歌詞が

「It is the music of a people who are climbing to the light」になってるのが、エポニーヌとフォンテーヌに手を取られて暗闇から光へと昇っていくバルジャンたちの姿と重なる。

カーテンコール。舞台で一番好きな瞬間。
終わった瞬間に観客全員がスタンディングオーベーションして前見えないくらいになる一体感は初めてで、ずっと鳥肌が立っていた。

最後に、やはりLes Misérablesという作品の偉大さを改めて実感した。感動するポイントは世界共通だし、「愛」の普遍性を感じて、改めて大切な人のことを思った。
そして終わった後に余韻に浸りながら観客が帰っていく。心が晴れる作品ではないけれど、考えること、感じること、人によって違うその感想を大切にしたいと思う。

何より席によっては4500円くらいで観られるのが、町にミュージカルという芸術が浸透して、人々が楽しんでいる事を感じた。日本もそうなればいいのに。

レミゼは、「明日また見たい!」とはならないのだけど、
いつかもう一度、ここで観たい、レミゼ の世界観に浸りたいと思った。

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