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名詞の哲学①〜固有名と確定記述〜

名詞…つまりものの名前のことを気にしたことはあるだろうか?国語の授業で品詞分解をさせられた時に初めて知って以来、あるいは英単語を品詞別に覚えようとして以来気にしてない人も多いかもしれない。その場合文の主語や目的語などになるものくらいの認識だろうし、それでなんの不都合もないはずだ。

しかし一歩哲学の範囲で名詞を考えようとすれば予想よりずっと哲学の命題として重要な存在であることに気づける。

例えば、りんごと富士山は同じ類の名詞と言えるだろうか?あるいは犬と夏目漱石は同じ類の名詞だろうか?なんとなくりんごや犬の方が広く、富士山や夏目漱石の方が狭いというイメージは持つかも知れない。

本稿では言語学的な観点からの説明は私の勉強不足から差し控える。しかし、分析哲学の初期段階においてこれほど明確に答えを用意したジャンルはないだろう。


名詞の種類

名詞には大きく分けると固有名詞普通名詞という区別がある。りんごと富士山の違いは果物か山かではなく、普通名詞か固有名詞かの違いである。

普通名詞

つまり、普通名詞とは「りんご」や「犬」のように種類についてひとまとめにするような名詞のことだ。
対して固有名詞とは「富士山」「夏目漱石」のようにあるものを特定して指し示す場合、それを固有名詞という。私の名前やあなたの名前も固有名詞だ。

ところで「果物」という名詞は「りんご」より広い気はしないだろうか?あるいは「山」は「富士山」よりも広い。

このように普通名詞は実は特定の何か唯一のものを指さない限り幾つもの候補を持つ集合のラベル貼りのような役割を持っていると考えられる。

果物というラベルの入れ物の中にはりんごやバナナ、ブドウやスイカなどが入っている。
りんごというラベルの入れ物の中には「カットしたりんご」「腐ったりんご」「木になっているりんご」「フジリンゴ」などいろいろな様相のりんごが含まれるはずだ。

したがって、普通名詞は下図のように入れ子構造の集合におけるラベル貼りの意味を持つと言える。(実際は普通名詞と呼ばれるものはもっと奥深い(普遍論争)のだが今回は立ち入らない)

フレーゲによると、このように集合の外延にラベル付けされた名詞の意味は集合の内包により決定されるという。つまり意味とはその集合に含まれるすべての要素から構成されるということだ。


では固有名詞はどうなのか?固有名詞とは唯一のものを指し示すのに使われるのだった。したがって普通名詞の考え方は応用できないように感じる唯一のものの名前が貼ってある入れ物の中にそれ以外の集合があるようには思えないからだ。
(例えばアリストテレスであるような人の集合に当てはまる人物はアリストテレスしかいない)

しかし、これに対し、イギリスの哲学者B.ラッセルは固有名(固有名詞のこと)というものが確定記述の束であることを明らかにしたのだ。

確定記述とは何か

確定記述とは固有名を用いずにある特定の唯一のもののことを語る方法である。どういうことか:

{1890年に帝国大学へ入り、本名が金之助で、友人に正岡子規がおり、『吾輩は猫である』を書いた明治時代の小説家}
⇔夏目漱石

このように最初の{ }には夏目漱石という固有名は一回も出ていないにも関わらずその条件に当てはまる人物は夏目漱石しかいないような条件の書き方ができる。

このように唯一のものを確定させる記述のことを確定記述という。ラッセルはすべての固有名はこの確定記述の束でできていると考えた。

「現在のフランス王はハゲである」

固有名は確かに確定記述で表すことはできそうだ。しかし(いってしまえばただの言い換えでしかない)確定記述をここまで押す理由はよく分からないだろう。

ラッセルはすべての固有名が確定記述だとすれば次のような文がなぜ間違っているかを解き明かせることを見つけ出したのだ。

現在のフランス王はハゲである

フランスは現在共和制国家であるので王様なんてものは存在しない。したがって「現在のフランス王はハゲていない」と言いたい

しかし、この否定の仕方では「ハゲていない」だけで「現在のフランス王は存在している(そして毛量は多い)のような意味で取られてしまうだろう。

ここで現在のフランス王が仮に存在すると考えてみよう。その人物は個人名$${\bold{^{*1}}}$$があり、つまり固有名で指し示すことのできる人物のはずなので「現在のフランス王はハゲである」はその人物に関する確定記述句であるはずだ。

ラッセルは以下のように確定記述を分析してみせた。

ある人物$${x}$$について、$${x}$$が現在のフランス王であり、かつ、任意の人物$${y}$$について、$${y}$$が現在のフランス王であるなら、$${x=y}$$、かつ$${x}$$はハゲている。$${\bold{^{*2}}}$$

ラッセルは現代の記号論理学を作った人物の1人であるため、あまりに論理式的に見えるだろう。したがって少しだけ日常言語に近づけると次のような3つの命題に分けられる。

  1. 現在のフランス王は少なくとも1人いる

  2. 現在のフランス王は多くとも1人である

  3. 現在のフランス王はハゲである

すると、1番目の命題は端的に嘘であることがわかる。つまり「現在のフランス王は少なくとも1人いる」を否定し「現在のフランス王はひとりもいない」とすれば現実世界と合致する。  

こうして確定記述は日常言語で曖昧になりがちな文に光を当てることに成功したのだ。しかし、確定記述と固有名の関係はまだ問題を抱えている。

次回の記事では固有名と確定記述の関係をより深く見ていくことで問題点を浮き彫りにしよう。




脚注

*1;ここでは仮にその王様に名前があるかのように仮定したが、全ての固有名が確定記述だからと言ってすべての確定記述が固有名であるわけではないので「その王様」とでも指せる人物についての確定記述と考えるだけで良い。
実際、ラッセルは最終的にはすべての固有名はそもそも確定記述だと考えた(例えば「夏目漱石」という名前も一種の確定記述であると考えた)ので、最後には「これ」とか「それ」のような指示代名詞しか残らないと考えた。

*2;実際にはこの確定記述は次の論理式で表されると考えた:
$${\exist x(Fx\land\forall y(Fy\to x=y)\land Bx)}$$
($${Fa}$$を"$${a}$$はフランス王である"、$${Ba}$$を"$${a}$$はハゲである"とする)
またこの表現方法は現在のフランス王のような空である対象だけでなくふつうの確定記述にも使える。
$${\exist x(Tx\land\forall y(Ty\to x=y))}$$(ある存在xについて、T:<帝国大に入り…『吾輩は猫である』を書いた〉存在xがいて、かつ、任意の存在yについて、yがTなら、x=y)
で表される人物は夏目漱石である。ここでの述語Tは夏目漱石に関する情報の連言だ。

参考文献

八木沢敬,『意味・真理・存在 分析哲学入門・中級編』,講談社選書メチエ(2013)

青山拓央,『分析哲学講義』,ちくま新書(2012)

三浦俊彦,『ラッセルのパラドクス』,岩波新書(2005)


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