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又吉直樹『火花』を読んで



※本記事はちょうど一年前の読書記録から一部添削して掲載しています。









笑える小説を久しぶりに読んだ。 文章の節々にユーモアがあり、終始一種のコントの様な雰囲気をもっていたのは、又吉本人が芸人だからなのだと思う。
笑えるシーンがいくつもあり、本当にすらすらと読み進めることができた。ただこれはエンタメ小説ではない。終盤はずっと涙を堪えながら読んでいた。その時は帰りの電車、静かな車内で読むことができたからかもしれないが、読み手の喜怒哀楽を激しくさせる小説だ、と思った。

⚫︎作中の鍋のくだりはこれが元ネタらしい

神谷は芸人に引退はないと言う。成功していない人間にも、夢を追うことをやめた人間にも、必ずそこに意味はあるのだという。
僕は少しだけ救われた気がした。努力をしても良い結果がついてこないことなんて今までに何度もあった。その度に意味がなかったんだなと感じていたし、自分の能力の低さに呆れていた。
だけど努力した僕は偉い。意味はある。



この火花という作品は「神谷伝記」それ自体なのではないか。そう思う。

徳永は作中で

「伝記のために書き溜めたノートは20冊を超えたが、そのほとんどは自身のコンビ、スパークスや恋愛についてのことだった」

と語っている。

「また神谷に載せるように言われた自作のポエムもその中身だが、載せるべきであろうか。(いや、載せるべきではない。)」

とも言っている。20冊超のノートから絞り出し、神谷がまさに神谷であるようなエピソードを厳選して紹介したのがこの「火花」という作品なのではないだろうか。

汚れたコンバースで楽屋に入ると、同じように貧相な格好をした連中が沢山いた。彼等は、束の間、自分が世間から置き去りにされ、所詮芸人と馬鹿にされていることを忘れさせてくれた。それは駄目な竜宮城みたいなものだったのかもしれないけど。

気に入った文章

もしかしたら又吉直樹の先輩芸人にモチーフがいたりして。

こんな感じで読書記録を載せていこうかなと思っています。これからよろしくお願いします。
拙い文章を、冷ややかな目でもここまで見てくださったことに感謝します。

生きている限り、バッドエンドはない。僕たちはまだ途中だ。これから続きをやるのだ。

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