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「何かをしなきゃいけない感」が、しんどかった

話題のClubhouseというSNSをDLしてみた。

招待制だということは知っていた。

DLしておけば、iPhoneユーザーかつ私の電話番号を知っている誰かしらが招待してくれると思って、アプリを入れてみた。

ものの1時間ほどで、ある人が招待してくれた。

それは、私の恩師であり、ある界隈でちょっと有名な人だ。

芸能人や有名作家とも交流があり、政界にも人脈を持つ人。

その人とは何年も会っていない。

いざ、Clubhouseを始めてみると、すでに多くの友人がアカウントを持っていた。

なんだ、みんな割とミーハー(人のこと言えない)で、登録できてるんだ。

友人たちを見つけて、私の脳みそは大学時代の記憶を私に呼び起こした。

「ほら、見てみな。友人たちは皆、優秀でいろんな挑戦をしているよ?」

「ところで、最近何してるの?」

そんなことを久しぶりに脳みそに言われたような気がして、ちょっと胃が痛くなった。

大学時代、私は有名な私立四年生大学で、いわゆる意識高い系の人たちの多いコミュニティにいた。

Facebookをのぞけば近況報告系のポストが溢れかえって、留学したとか起業したとか、休学して挑戦するとか、もうすごいと思う人ばかりと(SNS上で)友達になってしまっていた。

頑張っている人は、すごい。努力している。

輝いて見えるし、生き生きしてる。

でも、私は?

際立つ才能はないし、大学の勉強すら効率的にできない。

堂々と胸を張ってやりたいことも見つけられないで、ただ何となく授業に行き、バイトに行き、サークルに行ったり行かなかったり。

何かしたいのに、何かしなきゃいけないのに、と焦って、でも何もなくて

踏み出せてないくせにただウジウジ考える、湿った大学生だった。

大学2年生のとき、何かしなきゃいけない感が辛くて、食欲が一気に失せた時期があった。

朝ごはんにクロワッサンほどのサイズのパンを1時間かけて食べた。

とにかく食欲がないので、昼はおにぎり1個が限界。

よるもため息しか出なくて、スープなどを頑張って飲んだ。

めちゃくちゃ痩せた。周りにも心配された。体型的にはスリムになった。

心の体重も削がれた感じがした。

誰に何をやれと言われているわけでもないのに、常にタスクを抱えてるような、意味わからないプレッシャーで心が支配されていたのだ。

今思えば、ほんとに意味ないことで不安がって悩んでたんだけど、その時は

”何かをしなきゃいけない感”と戦うことが私の世界の全てだったと思う。


そんなことを、Clubhouseに登録して思い出すとは。

友人たちは大学卒業後も企業やそれぞれの興味あるフィールドで頑張っている。

私はこうして、書きたいことを自由に書いて、毎日それなりに考えて生きている。

それでいいんだ。

意味もなく不安がるのは時間の無駄であり、もう私の世界の全てじゃないから。

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