「恋愛禁止ルール」について

ここ最近、アイドルの「恋愛禁止ルール」がSNS上で話題になっています。例によって(?)、某有名女性アイドルグループのメンバーが熱愛(ってなに)をスクープされたことに端を発しているそうなのですが、さらにその報道への反応を受けて他のメンバーがアイドルの「恋愛禁止ルール」について発言したことで大きな反響を呼んでいるようです。せっかくなので、この件に触発されるかたちで個人的に気になっていたことを思いつくままに書いてみようと思います。

「恋愛禁止ルール」は存在しない?

いきなり前提を崩すようですけど、この「恋愛禁止ルール」、少なくとも当該グループ(の運営側)が明言したものではないらしいですね。なので、もとから明文化されていたものではないし、そういうコンセプトがあったにしても前面に押し出されていたわけではなかったそうです。これは意外でした。この「恋愛禁止ルール」はアイドルグループがメディアで取り上げられる際にそういうコンセプトが面白みとして紹介されていくなかで徐々に実体化していったものらしいです。

「恋愛禁止ルール」の支持と実体化

「恋愛禁止ルール」は当該アイドルグループ内のルールにとどまらず、以前から広くアイドル全般にわたってある種暗黙の了解として実質的なルールとなっていました。とすると、「恋愛禁止ルール」は当のアイドルグループがメジャーシーンに登場し多くのファンを獲得していくなかで、そうした「ルール」込みで支持を集めたことによって、より強固に実体化していったものだと言えそうです。「恋愛禁止ルール」が当初から明文化されたものではなく、またそれがアイドルと運営側との業務上の契約事項ではないとしても、「恋愛禁止ルール」がこうして実質的なルールとなっていることの背景には、アイドルを取り巻く人々(その代表はファンでしょう)のなんらかの総意があるはずです。

「恋愛禁止ルール」において何が禁止されているのか?

そもそも、アイドルを取り巻く人々が支持する「恋愛禁止ルール」において禁止されているものはなんでしょうか。

それは、名前のとおり「恋愛」であるはずですが、では、そこで想定されている「恋愛」とは一体どのようなものなのでしょう?

1つには、異性間の恋愛と言えます。アイドルの恋愛がスキャンダラスに報じられ、それが多くのファンの、ときにはまったく関係のない人の反応さえも引き起こすのは、ほとんどのケースにおいて、当のアイドルが異性の相手と仲睦まじくしているところを見られる/撮影される場合です。

ここで疑問が浮かびます。そもそも、仮にその当人たちが実際に恋愛関係にあるとして、彼らの恋愛感情というものをいったいどのようにして当人以外の第三者が(当人が表明することなしに)把握することができるというのでしょうか。それは、せいぜい世間的に了解されている恋愛的なコードをもとにして推察されたものに過ぎないわけです。ときにはただ単に二人でいるところを目撃されただけで、それがスキャンダラスなものになりさえもします。この場合、例えば男女が二人でいるだけでそれが色恋沙汰として取り上げられてしまうわけですが、彼らのうちに恋愛的な惹かれがなくとも二人でいることはあるでしょう。むしろ、そのことがスキャンダルになるとき、何より「恋愛禁止ルール」を信じている人たちのほうが、そこに恋愛的要素を見出そうとしているように見えることさえあります。

また、そもそも男女が二人きりで過ごすことはスキャンダルになる一方で、同性間(それは友人や家族であるかもしれないし、当人が所属するアイドルグループのメンバー間であるかもしれない)の交流はスキャンダラスなものにはなりません(し、むしろ歓迎されるケースだって散見されます)。これは一体なぜなのでしょう。そこに恋愛的な関係性がないなどと果たして言い切ることはできるのでしょうか(そもそも、第三者がその関係性について詮索したり断定すること自体余計なことなのですが)。となると「恋愛禁止ルール」には、その適用に関して、異性間の親密さと同性間の親密さの場合で非対称性がありそうです。「恋愛禁止」が禁止している「恋愛」とは、実は異性愛に限定された範囲のものなのです。

他方で、個人的には「恋愛禁止」における「恋愛」とは、若いうちでの恋愛ということでもある気がします。というのも、アイドルがアイドルとして活動している期間は10〜20代の間というのがほとんどで(女性アイドルに関しては特に)、その活動期間において「恋愛」が禁止されているということは、アイドルは10代〜20代という若い年齢のうちに恋愛することが禁止されていると言うことができるからです。

ここでわざわざ若いうちでの恋愛が制限されるということに言及したのは、この「恋愛禁止ルール」が、当のアイドルの年齢やキャリアがある時期にさしかかったときに例外的に適用されなくなるというケースが散見されるからです。例えば男性アイドルに関してジャニーズ事務所を例に取れば、昨年嵐のメンバー2名が40歳を目前にして結婚(※1)を発表したことが記憶に新しいですが、当時メディアの報道もファンの反応も非常に好意的なものでした。また、解散してしまいましたが同事務所のアイドルグループだったV6は、メンバー6人中5人が既婚者(それぞれ30〜40代にかけて結婚)ですが、やはり恋愛がスキャンダルになりがちなアイドルでありながら当時ファンやメディアも比較的好意的で穏やかに受け止めていた気がします。

(※1 「恋愛禁止」の文脈で結婚の話を持ち出しましたが、一方で結婚が必ずしも恋愛の延長にあるわけではないことにも注意を払う必要はあるでしょう。つまり、結婚には「恋愛」感情が伴っていなければならないわけではないということです。これは実際、婚姻の手続き上それが要請されないことからも分かります(先程の話ではないですが、いったいそれをどのように証明し承認できると言うのでしょうか)。ただ、このnoteではアイドルの「恋愛禁止ルール」の文脈において、恋愛と結婚はほとんど同様にスキャンダラスなものとなることに照らして例に挙げました。)

女性アイドルについては詳しくないので、あまり例を挙げることができないですが、タイムリーな例としては今月頭に結婚を発表したももいろクローバーZ(ももクロ)のメンバーはその一例でしょう。一般的に考えて全然若い年齢の結婚ではありますが、グループとしてのももクロのキャリアの長さを考えると、そして多くの女性アイドルが20代のうちにすでに卒業というかたちでアイドルとしての活動を離れ、その後で結婚する人が割合多いということを考えると、ももクロの当メンバーの例は上記の男性アイドルの場合と同様に、その年齢やキャリアを踏まえた上で「恋愛禁止ルール」が例外的に適用されていないように思います。(あるいはそれが「結婚」「婚姻」というかたちだからこそ、非難や落胆の声よりも祝福の声が多いのかもしれない?)

さらに同じ女性アイドルの結婚ということで言うと、ももクロのケースは数年前に一時話題となった、AKB48のとあるメンバーの総選挙での結婚発表に対する反応と比較するとかなり差があります。その某メンバーはその後卒業(※2)というかたちでグループを脱退していますが、前者のケースではそういった動きはありませんでした。

(※2 ところで女性アイドルグループではグループからの脱退が「卒業」と表現されたりしますが、「恋愛禁止ルール」に抵触した場合も「卒業」というかたちでグループを去ることが多いです。もはや「卒業」ではなくて実質的には「解雇」に近いのですが、そう考えると「恋愛」をしただけで「解雇」というのはなかなかに厳しい処遇であるような気もします。他方、「卒業」という制度がない男性アイドルの場合、暗黙の「恋愛禁止ルール」に抵触したり異性関係でのスキャンダルが報じられても、女性アイドルの場合と異なりグループの脱退という処遇は見られず、せいぜい一定期間の謹慎が処分として課されるにとどまります。これもやはり疑問です。「恋愛禁止ルール」を破った場合、男性アイドルは活動を継続できるのに対し、他方女性アイドルは実質的に解雇されてしまうというこの差は、果たして偶然生じた差なのでしょうか。)

この後者の(例外の)ケースから見て取れるのは、「恋愛禁止ルール」というものが存在する一方で、「人は恋愛したり、ゆくゆくは結婚して身を落ち着けるもので、年齢やキャリアを考えるとむしろそうしてくれたほうが良い」というような願望もファンの中に存在するのではないか、ということです。私は、ここに「ある年齢にさしかかっても未婚であることが悪いことのように考えられていること」と、「恋愛したり結婚することが、とはいえ当然のこととして想定されていること」の問題を見て取ることができるように思えるのです。そして「恋愛禁止ルール」が存在しているのは、特に後者に関して、恋愛が当たり前のこととして想定されているからではないでしょうか。そう、ルールで抑制しないといつでも「恋愛」にコミットしてしまうという恐れから。つまり「恋愛禁止」というのは、「恋愛」がアイドルにとって必要ではないからこそ定められているのではなくて、アイドルにとっても、そして広く一般にとっても「必要」とされているからこそ「禁止」されているのではないかと思うのです。だからこそ、この「恋愛禁止」という規制が、それによってファンがアイドルを応援し支持するための重要な要素になるのだと思います。「恋愛禁止ルール」にはある種の「恋愛」に関する規範を前提にして成り立っているとも言えるのです。

「禁止」の創造性、自縛

このように「恋愛禁止ルール」は、「恋愛」の規範性という一見対立するように見える規範と密接して働いているように思います。このような相互依存的関係によって「恋愛禁止ルール」はある種の堂々巡りをしています。つまり、まず社会には「恋愛」をすべきとの規範がある。しかし、アイドルのファンのなかには、「恋愛」がアイドルにとって不要であるという考えを持つ人が少なからずいる。それゆえ、アイドルのコンセプトとして「恋愛禁止」が称揚されることとなる。それでも社会の「恋愛」規範は強固なので、例外的にアイドルでいながら「恋愛」が許されたり、あるいはアイドルという職を離れれば「恋愛」をしてもよいとされる。しかしそのことが、さらに「恋愛」のさらなる規範化に貢献してしまう、という循環を生み出すのです。

おそらく「恋愛禁止ルール」は、「恋愛」を禁止することで、つまり「恋愛」を禁止するべき対象として据えることによって、ある種の恋愛のあり方を生み出してしまうのではないでしょうか。ことごとく「恋愛」を制限することによって生じるのは、逆説的にその都度生々しく具体性を帯びてくる、ある「恋愛」のかたちです。

そして、「恋愛禁止ルール」の条件付きの解除は、その禁止の彼方に「正しい恋愛」を想像することを強制します。それはここでの話を踏まえれば、とりあえずは異性愛のことであり、ある年齢までに成し遂げることが求められる異性愛だと言えるでしょう。この異性愛はアイドルであるうちは制限され、にもかかわらずある程度年齢やキャリアを重ねるとむしろコミットすることが歓迎されるものです。「恋愛禁止ルール」はこのように歪な条件や要素をそのうちに含んでいるのです。。

そしてこのルールは誰かがアイドルに対して課しているものですが、それは当のアイドルのみならず、実はそれを課している側、多くはそのファンをもめぐりめぐって縛り付けるルールにもなると思います。それは自縄自縛の可能性を秘めているのです。

結論は出ない

というわけで、アイドルの「恋愛禁止」に関する話題に乗じてあれこれと思うところを書いてみました。しかしながら最後に断っておくと、実のところ私は冒頭で言及した当該アイドルおよびグループのファンではありません。つまり、この話題に関してまったくの赤の他人です。ここに書いてあることはひょっとすると説得力も持たない文章かもしれないですし、誤解に基づいた箇所もあるかもしれません。

この件は狭い範囲では当該アイドル(及び彼女が所属するグループ)とそのファンとの話であって、彼らの間の独特の関係性、当のアイドル及びグループを取り巻く特殊な文化や文脈や歴史を踏まえたうえで語られることが、一応は望ましいと思います。また、個々のファンがこのことをどう捉えているかがそもそもそれぞれに異なるはずで、したがって一様な回答、最適解みたいなものを出すことはなかなか難しいだろうと思います。

ここまで書いてきたような「恋愛禁止ルール」にたいする考えは私が個人的に抱いていたことですが、とはいえ、広く「恋愛禁止ルール」の是非については当該アイドル及びグループの一部のファンの間でもすでに提起されていることでしょう(冒頭で紹介したようにグループの内部からそうした疑問が上がっているわけですから)。アイドルに「恋愛禁止ルール」を課すことは必要なのか、アイドルは(したければ)自由に自分のしたいような恋愛してもいいのではないか(※3)、こうした疑問に対して回答することは当事者ではない私がすることではありません。そのような疑問が次々と上がり、それに対してどのような答えを導き出すことができるかは、アイドル(やその事務所、運営側)とそのファンにかかっています。そしてそのためには、一方が「禁止」を課し、他方がそれに従うという関係においては、まずは、そのある種の力関係において従う立場にある人たちの声が聞かれることが必要であると思います。

(※3 一つ書き加えておきますが、ここには「恋愛」をしない自由も含まれることでしょう。冒頭で確認したように、「恋愛禁止ルール」が存在することでアイドルにとって「恋愛」はある種スキャンダラスなものになります。そこでアイドルを取り巻く人々は、そこに「恋愛」がないにもかかわらず、社会の「恋愛」的コードに照らして「恋愛」を見つけようとしたり、あるいは監視します。しかしながら、「恋愛」に興味・関心がなく、「恋愛」的な惹かれを経験しない人も世の中にはいて、またそういう人がアイドルの世界にいたとしても何もおかしくありません。「恋愛禁止ルール」はおそらくこうした人びとに対しても、誤って「恋愛」を見つけ出そうとし、「恋愛」のレッテルを貼り、「恋愛」を押し付けてしまう可能性があります。それはそれでおそらく迷惑なことなのです。「恋愛禁止ルール」が「恋愛」することの自由を制約するものであるとすれば、それは同時に「恋愛」しないことの自由さえも制約するものであるとも言えるでしょう。

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