何者かにされちゃう!
なんとなく外に出たら、私がカメラでいつも設定する色味、みたいな空だった。へんないろ〜と思った。
空というか街(とは言いがたい田舎だけど)全体がそういう色をしていて、
ちょうど体温と同じくらいの体感気温だったから、ウソの空間にいるみたいと思った。
平日、家で仕事をして1人でちょっとコンビニに行くだけ、みたいな生活を繰り返しているから考え事をどうしてもしてしまう。
「多様化というけど、それは情報過多の中で量産されたり露見したりした『いろんな型』にわざわざ当てはめてしまっているだけの場合もあって、それは危険なのだ」みたいなことを卒論執筆中に本で読んだことがある。
たしかに〜と思って以来なにかとこの一節が脳裏でちらつくことが増えたなあと思う。
MBTIとか、骨格とか、顔タイプとか、HSPとか。
何者かにされちゃう、なれちゃう環境でたっぷり。
「診断」とついていると診断されたくなってしまうのは抗えない。
うそこメーカー(懐かしい)程度の診断なら割り切れるけど、
「あなたは恋愛するとこうなるから気をつけるのよ」みたいなことまで診断されてしまうと、自分が自分じゃないみたいな感覚にもなる。でも当たってるしな〜とも思う。
骨格診断とPC診断と顔タイプ診断をした結果、
「骨格ストレート×イエベ春×アクティブキュート」だった。
でも、アクティブキュートにおすすめされている服の形は骨格ストレート向けではないキュートっぷりだったりして、そこでまた自分がした診断のせいで悶々とする時間が始まる。
骨格に至っては専門家の人にちゃんと見てもらった上で「なにも着ないのが一番似合うんですけどね〜」と言われた。服のための診断にて服が邪魔と言われるとは思わず。助けてほしい。
結果、各診断の最小公倍数みたいな服ばかり選ぶようになった。
ベン図の重なる部分(名前あったっけ)を見つけ出すまでの時間って
あんまり楽しくない。
「個別」にみえるけど、当てはまる人は実は世の中にたくさんいる枠みたいなのにはめられてはめられて、自分を理解したり確立したりした気になってしまう。
だから、本当に自己理解を求められた時にその脆い軸がふにゃっと崩れて「自分にはなにもない!」と焦り、肯定感が下がってしまう。
それがわかっていたらできることがあるだろと自分でも思うけど、いったんいいやと思ったまま今日に至る。
HSPについてもそんな感じ。
当時の恋人に指摘されてその言葉を知った気がする。
まず他人に思い当たられるほどの重度だったの申し訳ないなあと思う。
しかもそれからHSPについて調べ研究し、授業で発表までしていたから私よりも詳しく、いろいろ一緒に考えてくれた。陳謝。
HSP診断(これも診断、、)のチェックボックスを見ると見事にあてはまっていたのだけど、じゃあそのHSPという枠内に位置付けられることで安心できるかといえば一概にそうとはいえない。
HSPなんだから優しくしてください!も違うし、
自分はHSPだからと割り切ることも難しいし、
繊細なんです、と知ってもらいたいわけでもない。
から、私にとってHSPという存在を知ることは悪い意味で「あなただけじゃないよ」と言われた感じがして、もっと我慢しなきゃと何故か追い詰めてしまうことになった。
繊細さん、という呼称も使われるけど、なんだか「わたしは壊れやすいですよ」と腫れ物アピをしている気になってしまう。
というか、これは単に「繊細じゃないし!」という万年反抗期ゆえの反骨精神がこの捻くれ思考に繋がっている気がしてならない。
本音を言うのに時間がかかるし、言うと勝手に涙が出てくるから、面接、面談とか、人間関係とかで何度も悔しいなあという思いをした。
泣かないために毎回思い出すしょうもないシーンがあるのだけど、そのシーンの効力もむなしく、泣いてしまう。
23歳になってからの目標、「大人なんだから泣かない」だったのに全然挫折していて悔しい。
自分らしさ、とか、何者かにならねば、みたいなそういうの一旦いいから、
好きなものと人が自分から離れてしまわないような自分になりたいなあと変な色の田舎を歩きながら思った。