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世の中の”小1の壁”の解像度は低すぎると思う
このnoteはプロ専業主婦1年目の私が、育児を抱えながらフルタイムでバリバリ働いていた頃の仕事やキャリア観に加え、一番忙しい時期にあえて入学した早稲田大学大学院経営管理研究科(夜間MBA)の受験や学生生活について今思うことを徒然なるままに書いているものです。
小1の壁をググってみた
子育てしている人は見聞きしたことがあるであろう「小1の壁」
誰が言い出したのか分かりませんが、時間の融通が利かないフルタイム共働きが直面する悩みとして、数年前から聞くようになりました。
もちろん私も知ってはいましたが、改めてニュースや記事で取り上げられているのを見ても、預かり時間の短縮、夏休みなどの長期休みの対応、PTA活動への参画負担など、時間の話が多めな印象です。
どれも多くの親にとっては悩ましい問題ではあると思うのですが、私は両親と同居していたしベビーシッターも多用していたので、正直この問題はクリアできそうであり「さほど高い壁にはならないかなー」と安易に思っていました。
しかし、とんでもなく甘い考えでした。
立ちふさがる真実の壁
第一の壁、宿題チェック
教科書を読んで親が音読カードなるものにサインする。そうです、この昔からある宿題が最初の壁として私を追い込みました。小学校低学年の宿題はどれも親が見る前提で設計されているのです。
(めちゃくちゃうまく仕事を切り上げられたとしても)19時定時退社、20時帰宅。これまで食事づくりはもうあきらめて、良くて一緒に食べるとか一緒にお風呂に入ることができればいい、という思いで毎日過ごしていました。そして園からのお便りチェックとか持ち物の用意なんかは全て娘が寝た後に自分の睡眠さえ削ればなんとかなると思って乗り切っていたのです。
しかし、小学生の宿題は”子が自分で”するものです。いや、させなければならない。それだけでも一苦労なのに、私は宿題をする時間帯には家にいない。そうすると必然的に我が家の場合は祖母(私の母)が宿題を促し、音読を聞いてサインをすることになります。これがまた、祖母は無邪気に自分の認印(私にとって旧姓のハンコ)を押し続けるのです・・・。
ああ母よ・・・。
何度泣きながら「お願いだから”さかもと”とサインして・・・辛いです」とお願いしたことか。ささいなことのように見えるかもしれませんが、私にとっては音読カードのサインはダメな親の烙印を押されているようで、本当に憂鬱でした。
第二の壁、体調不良による欠席の重み
これは保育園問題と重なりますが、入学後すぐ、1人での登校、いろんなコミュニティで育った友人たちとの出会い、座って学習する習慣、初めての宿題など、急激に変わった生活環境のせいで、娘の持病の喘息が大爆発。入院を余儀なくされました。入学後早々の入院生活。その間に授業が進んだり席替えがあったりするので1週間も休んでしまえば一気に浦島太郎状態になってしまいました。園児時代は、お休みは親にとっては苦難でしたが、子にとってそれほど重みがなかったでしょう。これが、小学校に入ると全く違う意味を持ちます。もし一度体調を崩してしまったら、後々色んなフォローが必要になってくるのです。
第三の壁、自我の芽生え
最大の壁、分かっていたはずなのに、想像と実際では全く違います。子どものように見えて我が子はもうしっかりした1人の人間であり、通う小学校は立派な社会です。価値観が違う友人たちとの衝突や、初めて習う勉強への戸惑いなど一人前な悩みが日々発生しています。大人のコントロール下で管理される対象であった園児時代と異なり、一人で歩き始めている我が子にどこまで干渉していいか、寄り添うべきか。人格形成に多大なる影響を及ぼしそうな出来事を、親がいかに見逃さないかが非常に重要になってくるのです。
小学生、思ったより色んな事が起きています。色んな子どももいます。大人ですらたとえ相談されたとて良きアドバイスができないような、複雑な人間関係、学習速度の悩みを難問を若干6~7歳が毎日抱えて帰宅してくるのです。
昭和の時代に父親が子どもの人間関係や悩みを全く理解しておらず母親ばかりが頼られていたの、そりゃそうだよなと思います。子が寝ないといけないような時間に帰ってくる親が、その子の人間関係を把握したり学習速度に注意を払うことなんてほぼ不可能です。
解決方法はあるのか?
まずは第一歩として、世の中の「小1の壁」に対する解像度をもっと上げるべきだと思うのです。朝早くに小学校の門を開ける。学童に入りやすくしたり時間を延ばす。PTAの負担を無くす。この辺りの議論はちょこちょこ行政も、学校も、民間企業も議論を深めつつ必要に応じてソリューションを出していってる気がするのですがもう一段掘り下げて欲しい。よく乳幼児期に掛けられる「小学生になれば育児の手が空くよ~」なんて声、大嘘です。絶対!!親としての難易度が上がります!(子によるのかなぁ…うちだけかしら…)
今は育児をしながら共働きをさせるために、外注・外の力を借りましょう、みんなで子育てしましょうという空気感がますます強くなっているように感じます。それはとってもいい。外食もミールキットもお惣菜も使えばいいし、家事代行だって病児保育だってどんどん頼ればいい。みんなで社会で子育てしていく風潮は素晴らしいと思います。
一方で、子どもが成長すればするほどどうしても親にしかできないこと、親がしたいことってたくさんあります。子が成長し自立していく過程で巻き戻せないものがあります。「時間に対するソリューションはどんどん世の中に出てきているんだから、子が自立していくほどに外に出せるものは出し、育児は任せて、もっと親が働きやすくしましょう」という一辺倒な風潮は、ちょっと違うのではないかなと思うのです。
どちらかというと、「親の、子の、なんなら社会の”未来へと続く後悔”とさせないように、子育ての時間はやはり親に十分に取らせてあげた方がいい」という文脈を入れてほしい。そのうえで、男女問わず(未婚/既婚/子持ち/子無し問わず)長時間労働の改善、フレックスタイムやリモートワークの拡充などといった時間と場所の自由度を上げることは大きな意味をもたらすのではないかなと考えるのです。
とはいっても、それらの働き方は特定の職種でしか叶えられないですし、日本という豊かな国と経済が回っているこの微妙なバランスのなかで、理想論や正論ばかり主張しても仕方がないとは思います。
が、乳幼児期を何とか乗り越えたものの小学校の洗礼を強く受け、一人二人とフルタイム共働きから脱落していく親たちをみると、これはさすがに勿体なさすぎると思わざるを得ないのです。
どうにかならないのかしら。
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![Megumi Sakamoto](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158166076/profile_6a2e4eb91c5822cd1dd3b78e98cd0971.jpg?width=600&crop=1:1,smart)