#2 なか卯事件
昔からよく物に体をぶつける人だった。曲がり角とかで出来るだけショートカットして曲がりたい願望が無意識に脳で働いているのか肩を曲がり角にぶつけるケースや、規律よく並べられた机がある教室では自分が座っている所から立ってどこかに向かう時には役7割に近い確率で隣の机に体の腰あたりをぶつける事もあった。今は飲食店でアルバイトしている時、お客さんのオーダーを聞いて帰ってくる時に隣の席の椅子やらテーブルやら荷物入れに体をぶつけてしまい、「大丈夫ですか?!」「あ、大丈夫です!!」というお客さんに気を遣わせてしまう何とも気まずい雰囲気を作る事も容易い御用になってしまった。よく体ぶつけるあるあるの第一位になるであろう“小指を角にぶつける”など僕にとっては日常茶番時に起こりすぎてしまい、あのぶつけてしまった事へのどこにぶつけて良いか分からないイライラも感じなくなる程にまでなった。
そんな感じで毎日体のどこかしらをぶつけてしまうので、体には身に覚えのない痛みや傷、あざが沢山できしてしまう。皆さんなら滅多に体をぶつけないためこの傷やあざは多分あの時のだろうと覚えているかもしれないが、プロの体ぶつけニストの私からすれば、ぶつけた事をいちいち覚えていては脳の容量がパンクしてしまう!と思ったんだろう。脳が勝手にぶつけた事を忘れることにしようと進化したんだと思う。だから朝起きて初めましての痛みや傷、あざが毎日ある。なので慣れない頃は“いつの傷だ!?これ!”といちいち驚いて、まさか僕は夢遊病を発症していて、寝ている間にド派手な行動をしていて、それが痛みや傷、あざの原因なのではないかと不安に駆られる時があったけれど、またいつものように体を物にぶつけた際に、“あ、絶対これのせいだ”とふと我に返ってからは、朝起きて初めましての痛みや傷、あざが増えても何も思わなくなってしまった。
そんなプロの体ぶつけニストの僕だが、生きてきた中で1番ド派手で恥ずかしい体ぶつけ案件を起こしてしまった。“なか卯事件”とでも言っておこうか。その事件の全貌がこうだ。
僕は昔から何故だか歩くのが好きだった。皆んななら億劫になり、乗り物を使うべき距離でも全然歩けた。その長く歩く事自体があまり疲れなかったし、乗り物を乗っていた時には気付かなかった“あ、ここってこんな素敵なお店あったんだ!”とか“ここの道はここに繋がるのか!!”という小さな発見を見つけるのが好きで、自分の中で歩ける範囲であれば歩くことにしている。
新宿付近で用事を済ませ、家に帰宅でもしようと電車に乗ろうかと思ったが、渋谷まで歩いた方が電車賃が安くなる事に気づき、経路を調べると別に歩けない距離では無いなと思ったので歩く事にした。初めて歩く道だったので、何もかもが新鮮で山手線を乗っていれば気づかなかっただろう素敵なお店や道、本屋と出会う事ができてとても幸せな時間だった。そんな幸せな時間を過ごしていた時にふと“なか卯”を発見した。そういえば今日、お昼ご飯を食べてないなと気づいた途端に急にお腹がぐぅ〜と鳴った。(この意識してしまうと今まで何ともなかったのに満たさないと気が済まないこの事例は何なんだろう?)そんなもんで、お腹が空いてしまったのでなか卯で何か食べようかと思って外にあるメニュー表を見てみた。するとうどんが確か300円くらいで食べれる事にちょっとだけ興奮してしまって、中に入ろうかと思って店内に足を踏みだろうとした時、店内を見たら、全く誰も居なかった。店内に誰か1人でもお客さんが居れば、すんなりとなか卯に入ったと思うけど、中に誰も居ない状態で入るのは何か恥ずかしい。けど、お腹空いてるし食べたい!でも誰一人お客さんの居ない店内に入るのは恥ずかしい。という押し問答を頭の中で繰り返しながら店内の様子を見たまま歩いていたその時だった。目の前のなか卯に気を取られ、前方に電信柱がある事に全く気づかず、思いっきり電信柱にぶつかってしまった。幸い、なか卯の店内の方を見ていたため鼻直撃の鼻血ブーブーとはならなかったが、思いっきりこめかみ付近を強打した。電信柱にぶつかった痛みよりもまず、周りを歩いている人にこの事が見られてしまった事が何よりも恥ずかしくなってきて、周りを見ずに寄る予定もなかった目の前にあったコンビニに入った。多分一部始終を見たであろう人が行ったのを確認し、コンビニを出た直後に痛みがズキンズキンと襲ってきたのだ。あぁ思い出しただけであの時の痛みが戻ってくる。
これがプロの体ぶつけニストの僕が体験した生きてきた中で1番ド派手で恥ずかしい体ぶつけ案件だ。こんな体ぶつけ案件を体験した人なら、これから先は体の部位をどこにもぶつけないと気をつけて生活するだろうけど、プロの体ぶつけニストの僕はこれを書いてる間にも(ちなみにカフェで書いてる)机やら角に思いっきりぶつけているのだ。何ならあんな体ぶつけ案件に比べるとこんなもんは屁でもないと体がそう認識してるのか痛みすら感じない。
多分これから先も僕はプロの体ぶつけニストととして体をぶつけ続けるだろうし、毎朝初めましての痛みや傷やあざなどと共に生きていくだろうなと思う。痔みたいなもんだ。あ、そういえば“痔”が何故やまいだれに寺か分かります?痔って死ぬまで付き合う病気だからやまいだれと寺で“痔”らしいです。あ、そういえば僕切れ痔もあるんだった。死ぬまで付き合わなければいけないのが2個もあるのか。
こりゃ、大変な体に生まれたなぁ。