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危険な回教と共存する方法。日本人のジハードが必要である。

回教が危険と言う事は、日本人が回教徒に対して危険に成り得ると言う事でもある。これを以下に説明しよう。

まず日本人が絶対認識すべきは、ここは日本であり、何人も日本国憲法の基に作られた法律に従い、それが保障する権利を享受する事である。日本では日本の法律は、クルアーンコーラン(神の言葉)とハディース(ムハンマドモハメッドの言葉)、あるいはシャリーアイスラム法より、絶対に優先されねばならない。

日本人は上記の事を日本に住む回教徒に理解させるようジハード努力する必要がある。

回教では、世界はシャリーアイスラム法が有る「イスラムの家」(回教の国)と、その法が無い「戦争の家」(異教徒の国)の二つから成り立っている。回教徒は後者の世界を前者の世界にする必要があり、その事をジハード(努力する)と言う。爆弾を抱えて自爆する等は、本来の意味ではない。

しかし、ここは日本である。ここは日本国憲法がある「法治による民主主義国家」である。日本人は「イスラムの家」(回教の国)から来た回教徒を日本国憲法に従わせる様に、ジハード努力する必要がある。

回教徒の習慣規定(シャリーア)の為に便宜を図っても、彼らは感謝しない。彼らが感謝するのはアッラーに対してであり、インシャアッラー神の思し召すままになのだ。神が思し召おぼしめしたから叶った事で、日本人がした事ではない。ちなみに、これは約束の時にも使い、守れなかった時は、神が思し召さなかったからだとなる。

回教徒には give-and-take互譲、妥協の精神はない。take-and-take のみである。日本人は「お持てなし」の精神が強くgiveを多くする傾向があるが、回教徒はそれを感謝する事はない。日本人が色々便宜を図ってくれたから、豚汁会に参加しようとか、ラマダーン中だが、せっかく日本人が用意してくれた料理だから食べよう、或は味醂みりんを使ってあるけど食べよう、日本人の厳粛な場だから被り物(ヒジャブ)は脱ごうとかは、絶対にならない。

回教徒の集団がいると、大抵の日本人は彼らの習慣規定に対応してあげようとする。ここが問題なのである。何故なら、回教徒の憲法違反にも「お持てなし」の精神を発揮して、妥協してしまうからだ。特に行政がこの様な態度をとると、日本人側に緊張ストレスを生むことになる。回教徒側は、自分たちの習慣規定が保護されるのは当然の事と思う様になる。

郷に入っても郷に従わない回教徒集団と、緊張ストレスを溜めこんだ日本人集団は、一旦め事が起こると、収拾がつかない騒乱を生む。日本人がムハンマドモハメッド揶揄やゆしたり、クルアーンコーランの書を焼けば、回教徒側に殺意が生まれる。その反動として日本人側にも殺意が生まれ、実行されるかもしれない。可能性はかなり高いと考える。

昔、関東大地震の際「地震が朝鮮人によって起こされた」との流言により、多くの朝鮮人が日本人によって殺された事件があった。日本人にとって恥ずべき汚点である。

要するに、回教が危険と言う事は、日本人が回教徒に対して危険に成り得ると言う事でもある。そうならないためには、日本に居る回教徒に、日本国憲法の遵守じゅんしゅ、特に信教(宗教)の自由、婚姻の自由、及び言論表現の自由を理解させなければならない。

勿論、ユダヤ教、キリスト教、ヒンズー教等、全ての宗教の信者についても言える。これをやらずに、安易に異教徒集団を受け入れてしまうと、現在西欧先進国で起こっている反回教運動を始めとした、様々な反異教徒、反異文化運動が起きてしまう。

日本人は異教徒、異文化を理解して、多様性を受け入れようと良く言うが、「異教徒は日本人の文化や習慣を尊重し、日本の法律は厳守しよう」とは声だかには言わない。この両者は同じく強調されねばならない。均衡んが崩れると、騒乱が生まれる。

危険な回教を信仰する回教徒達(個人は必ずしも危険ではない)と平和に共存する方法は、全ての回教徒に日本国憲法を遵守させる事である。日本人は、そのためにジハード努力をしなければならない。

ガザ パレスティナ vs イスラエル紛争に触発されて、回教の問題をあれやこれやと考えてしまったが、これで打ち止めとする。

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