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回教には日本国憲法に違反している教義がある

回教イスラムは異教徒との結婚を認めない。日本にいる回教徒は、日本国憲法が保障している宗教選択の自由を享受しているのに、その憲法が保障している婚姻の自由を阻害し、回教徒でない相手の宗教選択の自由を阻害する。

ここで強調したいのは回教徒個人*******の事ではない。個人が結婚相手に同じ宗教を望むのは、日本国憲法が保障している個人の自由である。受け入れるか受け入れないかは、日本国憲法が保障している、相手の自由である。

しかし、宗教としての回教やその布教の場である協会モスクが、異教徒との婚姻を禁じるのは、明白な日本国憲法違反である。更に、協会モスクや、ある回教徒が、異教徒と結婚した回教徒を迫害するのは、明白な日本国憲法違反である。

日本政府は回教徒だけでなく、全ての宗教に日本国憲法の遵守、特に宗教選択の自由及び、婚姻の自由の尊守を問わなければならない。

多くの人は、この事を些細ささいな事と受け止めている。しかし、これを放置したまま回教徒の人口が増えれば、長期的に見れば、これは日本人にも回教徒にも大きなわざわいの基となる。以下にそれを説明しよう。

回教イスラムの経典について

回教の経典の日本語発音は「コーラン」であるが、アラビア語の発音は「クルアーン」だ。そして、世界はコーランからクルアーンの呼び名に変わりつつある。

世界三大宗教の一つである回教イスラムの経典は、他の二つのとは大きいな違いが有る。それはクルアーンの内容が、回教の創始者ムハンマドモハメッドが生前に語ったことを書きしるしたものである事だ。

キリスト教や仏教では、イエス・キリストや仏陀の死後、弟子達によって創始者はこう言ったの形で記録に残されたものだ。しかし、その記録の真筆が判明しているものは少ない。それに比べてクルアーンはムハンマドが生前に語った事で、死後に書かれたものではない。

回教徒にとって、クルアーンはムハンマドモハメッドが自らの考えを語ったのではなく、神から啓示を受けて、それを語ったとされている(実際は彼の考えだと思う)。つまり、神の啓示 -> ムハンマドの言葉 -> クアルーンの書となるので、 クルアーンは神の言葉となる。故に、イスラム教徒にとってクルアーンは神聖にして不可侵かつ不可変となる。

クルアーンは7世紀頃に出来上がって以来、一切変更されていない。また、アラビア語で語られたので、アラビア語以外で表すことはできない。つまり、翻訳禁止なのである。それに対してキリスト教の聖書、仏教の経典は世界中の言葉に翻訳されている。

クルアーンコーランの名はよく知られているが、イスラムの書はこれだけではない。他にも、ハーディスの書、スンナの書がある。クアルーンが神の言葉に対して、ハーディスはムハンマド自身(彼の考え)で語った言葉の記述である。イスラム教徒にとってクアルーンとハーディスは神聖かつ守らなければならない規範と成っている。

スンナは神やムハンマドモハメッドの言葉ではなく、具体的な行いの範例を示している。現実世界で回教徒が生活の規範とするのはシャリーアと言うイスラム法で、これは回教徒が従うべき生活規範である。シャリーアはクルアーン、ハディース、イジュマー(合意)、キヤース(類推解釈)を基に作られている。

イジュマーはクルアーンやハディースの理解において明確でない部分の理解(解釈)について、聖職者達の合意を得た解釈である。キヤースは実生活との整合性において、こうだろうと類推したもので、意見が別れているものである。

大雑把であるが以上が、回教の経典についである。クルアーンコーランやハディースが、この1400年余りの間、一切変更されなかったと言うことが、実は回教が危険な宗教に成りうる要因である。これは次回とする。

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