川崎殺傷事件に対する”「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい”エントリへの若干の疑問
稀に見る大きな事件が起きてしまったこと、また個人的には多少なりとも馴染みのある街で起きたこと、とても残念です。
本事件がおきてからすぐ、NPOほっとぷらすの藤田氏がyahooニュースへの記事を挙げた。
えてして、こういった事件が起きれば加害者への憎悪が高まるし(自然なことだと思う)、加害者が自刃してしまったことで、その憎悪は膨らむ。
そこでの藤田氏の提唱というか、提言というかのエントリが上記。
いわば本件加害者の予備軍、ともいえる方に対し、世間が間違った(という言い方も若干怪しいが)メッセージを与えては、類似の事件が起きてしまう、ということへの危惧から来るこの提言は決して間違っていない。
が、ちょっと気になったことがあった。
(以下、藤田氏エントリから引用、太字強調は私が)
>その主張がいかに理不尽で一方的な理由であれ、そう思ってしまう人々の一部が凶行に及ぶことを阻止しなければならない。
> そのためにも、社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき時だと思う。
(引用おわり)
果たして我々は、「あなた」を大事にしているだろうか。命を軽視していないだろうか。
ネゴシエーションとして相手を落ち着かせたりする点では、いい言葉かもしれないが、それが現実とも思えない。
もっと言ってしまえば、こういった事件の加害者は「大事にされていない」という認識、あるいは経験を持ったことがあるのかもしれない。
果たして、この予備軍ともいえる方々に「社会はあなたを大事にしている」というメッセージはどう届くのだろう。
みんなが「そうか、大事にされているのか!」となるのであればそれに越したことはない。私の取り越し苦労というか難癖に終わる。
が、「え、大事にされていてもこんなに俺の状況はひどいの!?」となりはしないだろうか。
実際問題、そういった手が回っていない方々はたくさんいる。それは、藤田氏のNPOはじめ様々な方々が手を尽くして取り組んでいるとしても、だ。
民間のやれることには限界がある。
では、国は「予備軍」を引き戻す施策、できているだろうか。
僕は社会はあなたを大事にしている よりは、
ごめん、これまで社会はあなたに冷淡だった。でもこれからは違う!の方が正しいような気がするのだ。
そんな、藤田氏のエントリへの若干の疑問。
ところで、日付変わって5月29日から31日まで、僕の住む埼玉県草加警察管内は、生活安全課による登校時パトロールが実施されるそうです。
3日間。短いようにも見えるけども、急遽の対応としてはできる限りのことをしてくださっていると思う。
4日後。わたしたちの世界は平和だろうか。
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