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強制

誰もが思い出の中に留まり、毎日に迫る寂寞や憂鬱を揺動するような、ネットワークから離れ、度重なるエゴや、現れる優劣にあらがい、懐疑的な君たちの大義なんか跳ね除け、堅持する理由から放たれ、飛び立つ先々で、自由が何だとかと迫る奴らや、理想論や希望的観測や、狂信者たちが彷徨く退屈な午後、体系化した価値から食み出るために、あらがい続けるのだ、と惰性で導かれた君たちの大義なんてものに、正義なんてものはないし、悪とは、悪いものであると謳われ、あたかも、悪いもののように語られている事も、体制側の都合の良いように騙られ、罵られ排除される作られた悪を、与えられた情報を鵜呑みにするだけの人々、あらゆる価値が、私を揺るがし、退嬰的な答えを引き摺るだけの偏った思想や、腐敗した今朝を愛撫して、展開する理由を手懐けて、誰もが誰かを真似して、誰もが、同じような事を反復させては、自分たちこそが、正しいものであると語る正しさとは、どこから正しくて、どこまでが、正しい事なのかと、加算される正しさは、今に自らの重みに耐えきれずに、押しつぶされてしまうだけの毎日の中で、カタルシスに至る事もなく、ことごとくを旋回する無機質な機械が飛び交い、瀰漫する理由が、次々に勘違いを生み、がんじからめになった精神が、誰かを従えるために、うそぶく答えが、体系化し、あたかも、正しいもののように語られるほどに、腐るだけの毎日の過ちにすら気付かずに、加算され続ける原理が、理性を損ない、孕む理由が、今に歪な思いを組み立て、恒常的な苦しみを生み出し、奪い合うだけの毎日から解放され、自らの正しさに行き着く頃には、自らの正しさすら、曖昧になって、今に与えられた答えですら、信用するに値しないで、ただ、引き摺る思いが、次々に理由をつぎはぎにしては、あたかも、正しいもののように振る舞う正しさの、言いなりになってばかりいる。

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