
視界
孤独で、仕方がない夜に寄り添う映画、コイルが焼けた匂いや、子猫という悪魔に振り回され、最たる結末に絡まる余韻や、忌んだ思い出に、塞ぎ込む童話の中での少女、今すぐにでも、物語をリセットして、遺棄する面影や、現象にかさばる罪や時間による乖離を受け入れた彼女の慟哭、たちまちに孕む愛が、確かさを重ね、関わるほどに、愛が深まり、愛とは、語られたり、なぞられたりするほどに、効果は深まるどころか、途端に薄まり、交わるほどに、味気なくなり、飽きてしまうものなのかと、悲しみにくれる彼の叙情的な観念を弄る忘我、たちまちに私は、立場なんかを放棄して、システマチックなものにより、流れる血を止めるための、絆創膏になりたいのですと、うそぶきながら、他愛無い日常を、愛したフリをしながら、理念が何だとか、思想が何だと、偏る前に、考えを捨て、短絡的な矜持に騙されずに、経典や回転する空間や、庇い合うほどに、互いを傷付けるだけの、世界や社会と名付けられたものに、騙されずに、ただ、ひたすらに、自らが学びたいものを、学び続けて来たし、徒に消費されたくもないから、すべてを放棄し、懸隔やら障壁なんかを跳ね除け、はびこる尽くが、物憂げなままで、間違いすら改めずに、権益やら、既得権なんかが蝕む権力の中枢で、延々と想起される怠惰な利権や、そこで、堅持するものにより、貧困化してゆく街並みに、行方をくらまし、誰にも捕まえられずに、じっとしていて、いたいけなままに、磔にされ、倦怠感を抱え、自己研鑽せずに、顕示欲に右往左往しながら、そこで、手懐けられた君たちの健気さや、ささやかな幸せすら気付かずに、ただ、用いては、足し引きしたり、誰が悪だとか、正義だとかと、うるさく付きまとうまやかしや、曖昧模糊とした意味を崇める人々の中での、正しさや答えなんてものは、あやふやなものであるし、ありがたみすらないし、あてがわれたものに、服従しては、重複する意味に苦しんでばかりいる。