
強制
宗教も金もクソだって事に気がついているのに、未だに、信仰しているのは、なんでなんだろと、どっちも、戦争ばっかりもたらすに、どちらも、幸せにするようで、苦しみばっかり与えやがってと、もがき苦しむ夜、虚像や虚勢ばかりが、支配する画面を見つめながら、長らくの孤独や虚しさを昇華させるためだけに、生きながらえて来たし、今を薙ぎ倒し、与えられた不安や、憤懣なんてものに騙されずに、惰性で引き延ばして来たんだと、納得したり、うそぶいたり、奪い合ったり、平気なフリをしたり、主体性の危機を謳ったり、迂回したり、運命に逆らっては、あらがう先々で衝突を繰り返したりして、誰でも無い何かになりたくて、ひたすらに、裏街道を進み、貧相な主体を抱え、あらがうほどに、あてがわれて行くものに苦しみ、駆逐されるだけの毎日を走り抜いて、延々と現れる憎しみの道具になり、偶像崇拝を続けては、懈怠するだけの先々で、愛されたいと強請るばかりで、自らは、愛そうとすらせずに、ただひたすらに、自らを卑下して、悲観的になるだけの毎日に現れる苦悩や、空白や空虚感を埋めるためだけに、ためらわずに、誰彼構わずに排除し、回転する理由や、理不尽な日々に司るエゴや、善悪なんてものが、潰えた先では、高尚さを損ない、差異やら、定まらない君やら、虚像や狭小なそこかしこ、価値観の終わりや、勘違いばかりの日常、今に汚されてしまうだけの情景や、形あるものは、壊れて行くだけであるし、抒情的に弛緩して行き、逸脱し続ける精神は、文学的に突き抜けて行き、歪に捩れて行く今朝から解放され、どこまでも自由に飛び交い、誰にも捕まえられずに、徒に消費され続けるだけの世界から逃げ出す。