人間は根源的に変容する、というケイパビリティ Society5.0が目指す、人間中心社会の具体的イメージとはなんだ。まさか、ロボットが今夜の食事を調理してくれることではあるまい。自動運転の車に乗って移動中に映画を見ることでもあるまい。高度なテクノロジーによって労働や消費から(少しだけ)解放されたわれわれは、新たに生み出された時間を何に使うのか。 資金調達の相談で訪ねた某産業振興公社の担当者は、こう言い放った。「ほとんどのサラリーマンは、退社したら早く帰宅して、ソファー
自分の世界に没頭しがちで、扱いにくい トロント大学教授のリチャード・フロリダは著書「クリエイティブ都市論」(2009 ダイヤモンド社)内で、都市と居住者の性格との関係性について次のように述べている。以下、引用する。 全米の大都市圏は、外交的地域、保守志向地域、経験志向地域の3つに分類できる。 まず、シカゴに代表される「外交的地域」は、社交的で人づきあいが得意、チーム行動や新しいことに挑戦するのを好む人に向いている。健康的でパーティ好きな都市住民のイメージ。南部や南西部
text:吹田良平 photo:Trent Szmolnik on Unsplash 何世紀も前から、都市の脅威は、パンデミック、犯罪、テロと決まっていた。都市は幾度もそれら災害に見舞われ、そのたびに危機を克服してきた。 14世紀にはヨーロッパで黒死病(ペスト)が発生。ヨーロッパ人口の1/4から1/3が死亡したとされる。1918-20年にかけては「スペイン風邪」のパンデミックが発生。推定感染者数は世界人口の25-30%(WHO)に及んだ。1970-80年代にはニューヨークが
クリエイティブシティを文化芸術の枠組みから解放せよ ここまで、「データ駆動型スマートシティ」「スタートアップ拠点都市構想」に感じる違和感とその代替案を述べてきた。 繰り返しとなるが、前者は、日常生活における移動や買い物といったコモディティ的活動をAIやロボティクスが代替することによって新たに生じた余剰時間を、創造的活動に割り当てるべき。その際に我々に創発やインスピレーションを与えてくれる支援役としてテクノロジーが機能すべき。それが備わって初めて、高いクオリティ・オブ・ライ
text:吹田良平 緩やかな無秩序 「人はよほどの用がないと建物の上の階には登らない」。これは、ある日本のビジネススクール教授の弁。「だから、シリコンバレーには低層の建物が多い。日本でよくあるように高層ビルの途中階にイノベーション拠点を作っても、なかなか偶然の出会いは起きにくい」。また、生物科学を修めた友人は、「物質が広い範囲にバラバラに存在している状態では、物質と物質は出会いにくく化学反応は起きない」、「化学反応を起こすには、物質が出会いやすい濃縮された状態を作らなけれ
スマートシティは本当にスマートか そもそも、スマートシティとは人の作業を省力化する以上に、人の能力をより飛躍させるためにある、と弊誌は考える。映画監督、浜野安宏は1970年代半ば、「現代社会は欠乏充足型から欲望充足の時代に移行した」と宣言し、自らが作り上げたい生活環境を自らの手と創意工夫により実現するための施設、東急ハンズを世の中に送り出した。ところがである。 ところが、昨今のスマートシティは未だ欠乏充足の地平で燻っている。 スマートシティの概念が世に出始めたのは200
text:吹田良平 年齢(とし)は語れても都市は語れず 「MaaSがいかに都市を変えるか」と言った類のイベントに参加した。登壇者はデベロッパーや鉄道事業者、ラストワンマイル用移動事業者等MaaSプレーヤーで、彼らがMaaSを通して都市を語るという趣向だ。 2時間半のイベントが終わっての私の感想はこうだ。「MaaS事業者は年齢は語れても都市は語れない」。例えば、レンタサイクルは当初20から30歳代の利用者層を想定していたが、蓋を開けてみるとその上の世代の割合が多かった
WELCOME text:吹田良平 いわゆる「スマートシティ」は魅力に乏しいと常々感じていたけれど、今回の取材を通じて、「手段の域を出ておらず、スマートどころでない」等の意見が次々と発せられた。弊誌はかねてより、「スタートアップ・エコシステム拠点都市構想」や「クリエイティブシティ」といった都市政策にも、同種の閉塞感を覚えていた。 スマートシティは、せっかく都市のデジタルツイン化を実現するのであれば、欠乏充足や生活利便性提供のその先の、市民の創造性をエンパワメントする