「働く」が自分ゴトならどんなスタイルもあり!と教えてくれたあの会社
フリーランスライター歴22年、キャリアコンサルタント歴15年の阿部志穂です。思えば遠くへきたもんだ…。
mezameでは、この公式noteの名ばかり編集長をしています。みなさん、いつも読んでいただきありがとうございます(╹◡╹)
私のファーストキャリアは、履歴書風に言うと「短期大学卒業後、株式会社某情報サービス会社に入社」というのがそれです。
仮にR社としましょうか(そのまんまですがw)。
R社……。
今でこそ、クリーンで一部では憧れている人も多いとウワサされているエンタープライズ企業ですがw、時は平成元年。当時のR社は、まだちょっとデカくなったスタートアップという感じ。
やんちゃで無鉄砲で何でもありな社風にバブルの追い風がビュービュー吹いて、表現しがたいヤバい匂いが漂っておりました。詳細は割愛します。
当時は、大卒なら3年目で課長になれる人もいました。20代のうちに支社長になった人もいたかな、確か。
つまり、そのくらい流れる時間が濃い!会社での1日も長い!なんなら会社に住んでいる人もいた!
そんなわけで、会社でできる経験は20代のうちにやり尽くしてしまう人も多く、もっとおもしろいことがやりたいなら自分で会社を興すしかない! フリーになってオノレに挑戦するしかない! ーー結果的に短期間で“卒業”ということになるわけです。当時の社員の平均年齢は28歳とか。
この会社は“人材輩出企業”なんていわれかたもしているのですが、その経緯には、もともとのこうした社風がありました。
なんかみんな、異様にはたらくことが好きでしたね…。
クリエイティブ職を夢見たはずが…
入社の経緯をお話すると、当時はまだまだ学歴社会。
短大生ということもあって、行きたかったどの出版社からもレコード会社(今風に言うとミュージック・エンターテインメント企業とか?)からも門前払いを食らい(←四大卒生しか採用枠がなかった)、超売り手市場といわれる中、学生時代最後の夏休みが終わる頃になっても、私はひとつの内定ももらうことができずにいました。
完全に初期段階での戦略ミスです。
そんなとき、たまたまご縁をいただいたR社に、食らいついたというわけです。
「よくわかんないけど、確か雑誌も出している会社だったし、もうここでいいかぁ」的な。
「自分が何者になりたいか?」なんてはっきりした目的はまだ見えていなかった頃、ミーハー心から「クリエイティブ職につきたい!」という念いだけはありました。なので、とにかくそういう部門がある会社へ…
ところがデスよ。
入社した私を待っていた配属先は、なんと「受付交換」というところでした。要するに受付嬢(この呼び方も今はだいぶアウトですが)と代表電話交換手のハイブリット職です。
確かに、まだ携帯電話のケの字もない、なんなら、ポケベルだって使われ始めたかどうかぐらいのご時世です。もちろん、AI秘書なんておりません。
そんな時代、秘書、受付、電話交換手といった仕事はまだ会社で重要な役割を果たしていましたし、現代のジェンダー規範はともかく、当時は「会社の華」なんていわれていて、憧れている女子も少なくありませんでした。
でもねぇ…。
ミーハー心からとはいえこの会社を選んで入社してくる人間が(まぁ、私には選択の余地はありませんでしたが…)、
「えっ、わたし受付配属ですか!? う、うれしい〜(感涙)」
とはなかなかなりにくいわけですよ。
男も女も「ここでガンガン働いてやろう」とか「いっちょひと旗あげてやろう」とか思って入ってくるんですから。
そんなわけで、社会人生活の第1日目は、その配属を聞いて呆然としたまま終わりました。
武道館での華々しい入社式(バブル!)と、自分のおかれた現実とのギャップのなんと大きかったことよ…。
直属上司を飛び越えてロビー活動(^ ^;)
さて、新人研修が終わった頃から私のロビー活動が始まります。
今思うと、若いってホントコワい。
まだ、なんの仕事もできない、なんの成果もだしていない新人が、
「こんな仕事をするためにこの会社に入ったわけじゃありません!」
「異動させてくれないなら転職も考えますけどいいんですか?」
「今の配属のままでいいので、異動にかなう経験もできる仕事もさせてください〜」
とかなんとか、脅してみたりしおらしいフリをしてみたりして、直属の係長職や課長ならまだしも、そのあたりの上司はすっ飛ばして部長に直談判し続けたわけですから。
まぁ、当時の部長も「アホな新人がなんか言いにきよるけど、おもろいから放っとこ」ぐらいの感じだったと思いますが、無知なのに勢いだけはあるって、恐ろしすぎる…。
きっと、当時の部署での私の評判は最悪だったと思います(^ ^;)。
会社の顔としての自覚とプライド
ただ、イケイケどんどんだったあの会社が、なぜ正社員で受付交換職を採用しているのかは、実際に仕事をする中でだんだんわかってきました。
確かに、営業やクリエイティブなどの他職種に比べると、ほぼ定時上がりのシフト勤務職ではあります。でも、なんというか、求められる仕事のクオリティと覚えることの量がハンパないんですよね。
そのあたりは、さすがR社という感じではありました。
▲貴重な制服姿。いろいろな意味で申し訳ございません…
お客様が社に訪問して最初に対峙するのが私たちなので、最初の3ヵ月は、まず“会社の顔”としての立ち居振る舞いを徹底的に指導されました。
美しい所作、歩き方、お辞儀の角度などは、くる日も先輩とマンツーマンのキビしい実地訓練でしたし、マナーについても秘書検定レベルの知識をぐいぐい注入されました。
ロビー受付のほかに応接室のきりもりも仕事のうちで、予約調整やお客様のお出迎え、ご案内、お茶出しなども(正しい型で)しなければいけません。
20室ほどある応接室のすべてに受付メンバー総出で花を生ける、毎週月曜日の早朝出社なんてのもありました。
フラワーアレンジメントではなく、生け花ですからね。ポジションがキマらず四苦八苦しているうちに始業時間が近づいてきて、焦って剣山にざっくり手を刺し流血…みたいなこともしょっちゅうでした。
それから、管理職の名前と顔、部署を一致させること。これは、取締役クラスであれば本人の名前と担当部門のみならず、秘書の方のお名前とそれぞれの内線番号まで。さらには各事業部の部長級まではマスト。
R社にはいわゆる“名物社員”的なヒトもたくさんいたので、そういったみなさんもひと通り知っておく必要があります。
受付の矜持とは、ロビーにいらしたお客様を少しでも早くご案内して、気持ちよく、なんなら「スゲーな、このお嬢ちゃんたち」と思っていただきながら第一ゲートを通過していただくこと。
取締クラスのゲストなら、もう秒でご案内しなければいけません。
だから、秘書の方の内線番号暗記は必須だったんですね。デジタルツールが皆無だった当時、クラウドのカレンダーなんて存在しませんし。
ぴよぴよ社会人は基本的に苦行の連続
本社ロビーの受付に座っていると、お客様だけではなくたくさんの社員メンバーも通ります。そのシフトの際に先輩と一緒に座っていると、
「今、通った人誰?」
とか聞かれるわけです。もう、何度も、何十回も。
もちろん、答えられないとドヤされます。いや、そんなお下品なことは受付の先輩はなさいませんが、ややもち苦々しいお顔をされてしまいます。
それがもうプレッシャーでねぇ…。頼むから、社員全員ビルの裏口から出入りしてくれないかなと思っていましたよね、マジで。
シフトの空き時間や終業後に待っているのは、テストです。とにかくテスト、ひたすらテスト。
上記のような部長クラス以上のみなさんのプロフィール穴うめ問題から、顔と名前と部署名組み合わせ問題、代表交換電話で「こんな問い合わせが入ったらどこにつなぐ?」といった問題まで、覚えて覚えて答えまくりました。
また、各部署へおもむいてマナー研修の講師をしたり電話応対の指導をする仕事なんかもあって、慣れない中でつくったシナリオをたどたどしく読んでいると、リハーサルでひたすらダメ出しをされる…みたいな苦行も多々ありました。
ここまで紹介した業務内容でも、まだ全体の半分くらい。改めて振り返ると、希望した職種ではなかったものの、ものすごい量のそして貴重な経験値を積ませてもらったんだなぁ、と感じます。
当時、急成長を遂げていたR社。
おそらく受付交換職を正社員で採用することには、いずれニッポンの大手企業と肩を並べたいという気概も込められていたのでしょう。会社にとってはある種のプライドでもあったのだと思います。
時間が限られている中で判断と対応を繰り返す仕事でしたから、度胸がついたり、人を見る目が養われたりしたことも、私にとっては財産でした。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
その後、しつこいロビー活動が実ってか、4年目を迎える直前に念願のクリエイティブ職へと異動することが叶いました。
なぜかクルマ雑誌の制作部隊でしたけどね、免許持ってないのに。
メディア制作の仕事は、同じ会社でもまったく性質が異なる仕事なので、私の“ファーストキャリア”と呼べるのは、受付交換で過ごした3年間なのかなと思うのですが、人生のいっときまでは正直黒歴史だと思っていたこの経験も、ちゃんとやったからこそ今の自分があるんだろうな、と思えるようになりました。
この後、私はメンバー10人くらいの小さな編集プロダクションを経て、30代直前にフリーランスになるわけですが、いろいろな価値観の人間同士がつきあうビジネス界を独りで渡り歩くのに、共通言語であるビジネスマナーをしっかり身に付けていたことで、助かった場面がたくさんありました。
また、創業者のポリシーが隅々まで染み渡った会社に入社するということは、のちのちのキャリアの大きなリターンにつながるということも実感できました。
今は変わってしまいましたが、当時のR社には、
「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」
という社訓がありました。まぁ、ここまで書くと社名を伏せ字にしている意味がまったくなくなるわけですが(笑)。
会社の社訓や理念って、小学校時代によくあった“学級のめあて”みたいなもんでショ?と思われがちですが、経営者自身がそれを考えに考え抜いて公に示し、それをことあるごとに従業員に徹底しようとしている会社は、R社含め、その後私がライターとして取材をする中で出会ったあまたの企業の中でも間違いなく伸びている会社、良い会社です。
そして、当時の会社のメンバーは、恐らく誰もがこの社訓を愛し、誇りに思っていました。つまり、創業者のイズムを多くのメンバーがちゃんと自分のDNAにしていたんですね。
▲写真提供:今はDE-SIGNという会社の代表をしている同期の佐藤氏
当時の平均在籍年数がひとケタという会社にあって、未だに同期、先輩、後輩との行き来が活発で、情報交換の中から新しい事業が生まれたり、仕事を融通し合ったりといったことが、入社から30年以上たった今でも普通におこなわれているって、ありがたく稀有なこと。
これもファーストキャリアの財産ですね。
仕事を自分ゴト化するとはどういうことか?
最初に勤めた会社は、上司に質問をしに行くとアドバイスや指示をもらえるどころか
「それでおまえはどうしたいの?」
と聞かれる文化でも有名です。
他の会社を知らないわけですから、新人時代の私は、上司と部下のコミュニケーションとして、それが仕事の報連相的な意味でもごく当たり前のことだと思っていました。でも、外の世界を見渡して見ると、案外そんなことはないんですね。
でも、「どうしたい?」がない人に、“自ら機会を作り出す”ことはできません。
自ら機会を作り出すコトって、どんなささいな仕事でも、まず“自分ゴト”ととらえるところから始まるんです。
これがわかっていれば、あらゆる仕事が“機会”になります。
それは、新規事業の提案といった大仕事だけではなく、封書詰めだとか、データ入力だとかの単純業務であってもそう。
この文脈っていろんな人が言っていてマユツバに思うかもしれませんが、冗談抜きで本当です。
そして、これが腹落ちしていると、つまるところ自分の働くフィールドはどこでも、どんな形でもよくなります。
会社員であっても、フリーランスであっても、契約や派遣ワーカーであっても、自分の「どうしたい?」さえ定まっていればどれでもいい。
自ら機会をつくることができているかというとちょっと怪しいところもあるのですが、私自身、機会によって変わり続けるために、機会を逃さないヒトでいることは、いつのまにか基本姿勢になっていました。
機会を逃さないヒトでいるために、コトに対してどういうスタンスで臨むのかということをいつも自然に考えています。
現在はフリーランスでもの書きをしながら、クライアントの要望によってはエディターやプランナーの役割まで請け負うこともありますし、mezameキャリコンのみなさんにスキルはだいぶ及びませんが、資格を活かしてキャリアカウンセリングをおこなったり、エニアグラムという性格タイプ診断の理論を使った講習をおこなったりもしています。
なにより、この“mezame”の中の人という立場で、公式noteの編集やプロジェクトのPRを任されたりもしています。
フリーランスでありながら、企業人的な仕事ができるというのもなかなかおもしろいんですよね。
こうして、自分を中心にさまざまな仕事やポジションを放射線状に結びつける働き方ができるようになってから、私の“はたらく”はどんどん楽しくなりました。
もちろん、半世紀も生きていれば、ここには書き切れないほどのさまざまな体験、経験が山積みですが、ファーストキャリアとなった会社での数年が、私の仕事観の根っこの部分を形作っているのは間違いないと思います。
もし、経営者のたたずまいや企業理念に深く共感する会社に出会ったのなら、ぜひそこで働くことを本気で考えてみてほしいと思いますし、入社後、不本意な部署に配属されたとしても、ひとまずちゃんと仕事を回せるようになるまでは、クサらずに働き続けてみるのも悪くないと思います。
人生100年の時代です。めぐってきた境遇をとりあえず味わい尽くしてみることで、次のステップにつながることも少なからずある。
それを楽しみながら経験をかさねていくことの大切さもまた、最初に入社した会社が教えてくれたことだったのではないかと思います。
■ 文/阿部志穂(あべ・しほ)
フリーランスライター、国家資格キャリアコンサルタント
さんぎょうい株式会社 はたらく女性の健康とキャリア事業室 メディア/マーケティングディレクター。mezame公式note編集長
日本エニアグラム学会ファシリテーター
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