Ghost
5年半一緒にいた恋人とお別れをした。
社会人1年目の秋の夜、武蔵境駅の閉館した図書館の前で「好きです」と言われて「よろしくお願いします」って言ったその日から、自分から別れを告げる日が来るんじゃないかとずっと思っていた。そうしてついに自分の手でその日を作ってしまった。いつか覚める夢だと分かっていながら、自分の手で始めた物語だった。
別れた今、寂しさに襲われると思うと怖くて怖くて、先に死んでおきたいと思う。寂しいのは嫌だ。
恋愛体質の自分が、ここまで冷静に(よく言えば安心して)過ごせた関係で恋人と名前がつくものは、これが初めてだった。
私が相手に与えるものよりも、相手が私に与える愛情がいつも大きい恋愛だった。「ごめんね」、といつも思っていた。
相手からもらった分の愛情を愛情で返せないのが本当に申し訳なかった。その代わり、私は彼に金銭管理の仕方、フランス語、食事のマナーなど、そういうことを教えた。彼はそういう類のことがとても苦手だったから、少しでも一人で生きやすくなるといいなと思った。
2022年の春くらいから、彼への気持ちが急激に冷めていった。
彼なりの愛情表現ではなくて、私が欲する愛情表現を彼に求めたからだ。
ピントがずれたような会話のキャッチボールの連続で、球を拾いにいく元気もなくしてしまった。私は他の人と過ごす時間の方が楽しくなった。楽しいと思ったら、もう止められなかった。
彼はとても優しかった。付き合った当初は、部屋も汚いし、少し太っていたし、年上の仕事ができるお兄さんだという印象だった。大体のことには、ごめんね🥺(いつもこの絵文字)と謝ってくれた。人は変わらない。とよくいうけれど、彼は私のために自分を変えてくれた人だった。
どんなに不細工な私を見ても、可愛いと言ってくれた。
そのうち、周りの人にも、可愛くなったね、と言われるようになった。
そんな彼が留学した。
私の学んできたフランス語を独特のアクセントで話すのがなぜか許せなかった。なんて私は心が狭いんだろう。でも。
本当に本当に許せなくて、生理的に無理だと思った。
他にもそういう話がある。選挙に行こうと誘ったときに、「選挙なんて行っても意味はない」と笑いながら君は私に言ったよね、雨降るアパートの1室でその一言を言われたとき、この人と一生一緒に生きていくことは到底無理だと思った。やっぱり私は心が狭かった。でも無理だった。
早口Youtubeを大音量で見ていたり、せっかく予約したレストランにボサボサの髪の毛で来た時、私が贈ったプレゼントを当たり前かのように受け取って喜んでくれないのが嫌だった。旅行に行ったときに過剰な決めポーズをするのが嫌だった。
彼に悪意がないことがもっと嫌だった。
だから私はもっと自分のことが嫌になった。
そして彼のことが恋愛的に好きではなくなってしまった。
波が引いたあとのサンダルに残った砂みたいに、「安心感」という凡俗なものだけが、彼へ向ける感情で唯一生き残った。
悲しかった。
罪悪感を感じなきゃいけないのが辛かった。
そんな思いを抱えたあとも、一緒に旅行して、一緒にご飯を食べて、一緒のベッドで眠った。惜しくも、彼が撮ってくれる私はいつも可愛かった。安心に満ちた顔をしていて、そんな自分が余計憎たらしかった。
彼と結婚したら間違いなく私は安心して暮らせただろうな、でも私が彼を幸せにすることはできないと思った。なぜなら彼のことを腹の底から認めていないから、愛していないから。嘘だ、彼といても幸せにしてもらえなかったんだよ、だから終わりにしたのだよ、私よ。
私は、自分のことを愛情深くて優しいと思っていたけど、それができなくて自分に失望した。自分の自慢だと思っていたところ、自分との約束、自分の美学、全部ズタズタにして、私は彼を振った。
隣でなんともイノセントな表情で眠っている彼の幸せを奪った、私のせい。彼なりの愛を受け取れなかった。
でももう、そんなことも思わなくて済むね、もう私と彼はお別れをしたから。ごめんね、さようなら。
ずっと彼のことを好きでいられる人間でいたかった、あなたがくれる愛を愛だと知覚できる人間性をもった人間でいたかった。好きじゃないのに長い間別れなかったのはそれを自分で認めたくなかったら。
好きだったところ、たくさんあるよ。
果物を切ったときにフォークを一緒に出してくれるところ、
寝顔が可愛いところ、
運転をしても性格が変わらないところ、
私を見る目がクリクリでかわいいところ、
振られるのを最後まで待っていてくれたところ、
私の不細工な顔を可愛いといって写真をいっぱいとってくれたところ、
好きだったところはたくさんあるのに、なんで私は彼の少しの好きじゃないところを許せなかったんだろう。私にとっては少しじゃなかったからだね。
こんなに悲しいけれど、もう一度昨日に戻っても、同じ選択をしてしまうと思う。
最後の最後に、一番嬉しかったのは、
私が一人で死ぬのが嫌だと言ったときに、私が先に死んでいいよ、私が死ぬまで生きるねって言ってくれたこと。
本当に嬉しかった。
もうおじいちゃんとおばあちゃんになっても一緒に住めないから、この言葉の意味はなくなっちゃったけど。本当にごめんね。
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