施設って、働く場所?それとも、、、。
こんばんは。mac"oです。
ただいま100歳の まだまだ元気な*おはなさん*と暮らしています。
先日、夕方のニュースを見ていた*おはなさん*が、”おむつ替え”っていう単語にひかれて、思わず声に出して、驚いていました。
「クーラーが壊れて、廊下でおむつを替えてたんだって!」
”仕方ないけど、暑くて大変だっただろうねえ…”って言いながらも、廊下で長期間過ごしていたことに、とても驚いていました。
ついでに、今のところは他人事だと思っちゃうほど、身体も頭もしっかりとしている*おはなさん*に、「おむつを替えられる」ことについて尋ねてみました。
「寝たきりになったら、お願いするしかないよねえ…」
*おはなさん*は何とも言えない表情で、そのときを想像しながら、答えています。
もう「おばあちゃん」なんだから、男女の性別なんて、とっくに超えてるだろう…なんて思ってしまっていたけれど、やっぱり…100歳でも恥ずかしい!みたいなのでした。
それって、*おはなさん*に限らなくても、きっと誰もが同じ気持ちじゃないかって思います。
どんな状況になったとしても、「排泄だけは諦めたくない」って思うだろうし、何歳になってもデリケートなことなんだって、改めて考えさせられたニュースでした。
エアコンが故障したんだから、「廊下で生活せざるを得なかった」のは仕方のないことだったと、施設の対応を理解は出来るのだけれど、ほかに方法がなかったのかな…って、残念に思ってしまいました。
もしも大切な家族が、緊急事態とはいえ、廊下に並んだベットの上で、何週間も生活していた…としたら、胸が苦しくならないでしょうか。
多くの人が行き交う廊下で、おむつを外されなければならなかった、その方々の気持ちを推察すると、苦痛に感じる時間が続いていたはずです。
県が調査した結果は、「虐待ではない」だったとしても、男女の性別だけの問題ではなくて、”個人の尊厳は守られてるどうか”を考えて欲しかったと思うのでした。
「高齢者をケアしている」という意識は、施設を「働く場所」にしてしまいます。
だけど、入所者にとっては「生活の場」であって、人として生きている場所でもあります。
社会福祉施設から、「虐待」をなくそうとするのならば、些細なことでも相談したり、いつでも何でも指導をしてくれる専門家を置くべきなのではないでしょうか。
今回のように、基準を外れなければならなくなった時に、その対応をそれぞれの施設の判断に任せるのではなく、人権を守るような具体的指導してくれる機関があったなら、虐待といわれる状況は短期間で済んだのではないか…なんて理想を思ったのでした。