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9月の夏休み明け。小1の息子を不登校にさせないために、母子登校を頑張っていた私【前編】
小学校1年生の7月から行き渋り、ついには私なしでは学校へ入ることが出来なくなった息子。
夏休みが明けてからのことを書いていきます。
夏休み中のnoteはコチラ🔽
「学校へ行くことがすべてではない」という価値観
怒涛の夏休みを過ごし「これは夏休み明けも、学校は休ませた方がいいな」と感じていました。
10年前とはいえ、不登校対応のノウハウはしっかりとあります。
アドラー心理学が流行りだしたころだったか、そこにも「無理に行かせてはいけない」と書いてありました。
これは自死を防ぐことが第一ですが、私にとっては自己決定を大切にしたかったからです。
私に無理やり連れて行かれたとしても、息子にとって良い経験になるはずがない、という考えでした。
外からの刺激によって行動を起こしても、いずれしぼんでしまうものです。
本人が「行こう」と思うその時を待とうと決意していました。
小学1年生であっても、自分の考えはあります。
私は息子の幼い時から「自分で選択させる」ということを続けてきたので、今がそれを生かす時だと感じていました。
命にかかわることでない限り、選択を間違えたとしても取り返しはつくはずです。
その考えは、今も変わりがありません。
そしてそれを大切にしてきたことで、現在高校生の息子も、50歳を過ぎた私も、大きなものを得ることが出来ました。
「生きているだけでいい」は綺麗ごとではない
そして私は、障害者の施設勤務経験があったので、本気で「生きてるだけでいい」という価値観がありました。
どんな人間だって生きる価値はあります。
生きている限り、道は続いていくのです。
私は障がいを持つ方々と沢山の時間を過ごしたことで、そのことを実感していました。
今学校を休んだからといって、人生が終わるわけではありません。
重い足を引きずってコンクリートの建物へ向かうよりも、心身が健康なことの方が大きな価値があります。
心のバランスを崩してしまって会社に行けない大人を考えれば、子どもがそうなってしまうなんて酷すぎます。
夏休み中、息子の尋常ではない様子を見て「息子の心を守る」と決めていました。
なので、本人が「行く」と言うまでは待とうと、無理やり手を引いて連れて行ったりはしませんでした。
無理やり登校させても、きっと子どもの心が死んでしまうと考えていました。
夏休みが明けて、2週間経ったある日
夏休み明けの息子は、宿題も勉強も全くしていませんでした。
学校の話題を出すと暗い顔をしていたので、行くかどうかも聞いていなかったのです。
とはいっても、親としては気がかりです。
学校へ行ってほしい気持ちに変わりはありません。
なんとか本人が学校へ行く気になってくれないか、そんなことばかり考えてしまいます。
夏休みが明けて2週間ほど経ったある日、息子に「学校行ってみない?」と聞いてみました。
行かないと言われたら仕方がない、そんな気持ちでした。
すると息子は
「 うん、行ってみる 」
と答えました。
我が耳を疑うとはこのことでした。
まさか「行く」と返事をするとは・・・。
「えぇっ!?」と声を出したら行く気が失せるかもしれないので、あくまでも平常心を装い「じゃあ、明日行ってみようね」と声をかけておきました。
学校も不登校対応を始めていた
息子の小学校には「コーディネーター」という、不登校児の対応をする先生が在籍していました。
夏休み明けの2週間、この先生からは毎日電話が来ていました。
「今日は来れそうですか?」「息子さんの様子はどうですか?」など、電話で質問をされます。
私は「今日も行かないと言っています」「元気はありますが、学校へ行く様子はありません」と答えます。
コーディネーターの仕事としてやらなくてはならないのでしょうが、電話が鳴るたびに私は心が苦しくなっていきました。
子どもが学校へ行くか行かないか、親としては死ぬほど不安です。
電話が来ると、子どもの様子を伺って「やはり今日も行かないと言っています」とコッソリ返事をします。
私は息子に「行かない」と言われるたびに落胆したり、目をそらしてやり過ごしたり。
行かせたいけど動かない息子。
息子も、この電話を嫌がりました。
自分の様子を報告されることは、この年齢でも嫌悪感があったようです。
私が息子に話を聞かれないように、マンションの駐車場で電話をしていると「お母さん!なに話してるのっっっ!!!」と大声で窓から叫んでしまいます。
分離不安もあったので、私が部屋から居なくなることに恐怖を感じているようでした。
※分離不安の原因を作った私の対応はコチラ🔽
目次「育児史上最大のミス」をお読み下さい。
私はこのやり取りが苦痛だったので、5日目ほどで「心配して下さる気持ちは有難いのですが、息子も嫌がっていることと、私も追い詰められていくのでやめて頂いても良いでしょうか。すみません。」とお断りしました。
担任からのメッセージと、ピントがズレズレの私
小学校には連絡帳というもので、担任と交換日記のように使うシステムがあります。
息子が休んでいる間もシステムは導入されていて、担任から「Aくん(息子の不登校のきっかけの子)も、キミがくることを待っているよ!」と書いてありました。
親友だったし、担任は仲直りの意味でもそのように書いたのでしょう。
言ってみれば加害者と被害者だというのに、今思えば非常に斬新な対応です。
当時の私はというと、もちろん担任の思惑に乗っかり「ほら見て!A君も待ってるって☆」と明るく伝えていました。
私も学校へ行ってほしいあまりおかしくなっているので、完全にピントがズレています。
もちろん息子は大して喜ぶ様子もなく「ふーん」と言うだけでした。
息子を連れ立って学校へ行ってみる
息子が「行く」と言った翌日、親子2人で学校へ行きました。
朝一番で行くことはできず、歩かず、10時頃に自転車の後ろに乗せて学校へ向かいます。
登校すると、校門でコーディネーターが待っていました。
コーディネーターいわく「学校に着いて子どもたちの声をシャワーのように浴びれば、教室に行けます!」とのことでした。
そうなんだ、そんな魔法みたいなことも起きるんだ!と信じ、校門をくぐります。
昇降口に着いて校舎の中に入ろうとすると、息子は
「 行かない・・・ 」
と、まったく足を踏み入れません。
そんなはずはない、だってシャワーを浴びたじゃない!?
注)子どもの「声のシャワー」です。
そしてその日は、校舎下の花壇で過ごすことになりました。
これは息子1人で学校へ来ることなんて、夢のまた夢。
教室どころか校舎にすら入れないじゃないの!
嘘でしょ!?
ということで、その日から毎日息子を自転車の後ろに乗せて登校することとなりました。
夏休み前よりも酷い学校拒否感を持つ息子の相手を、延々と校内ですることになったのです。
最後までお読み下さってありがとうございました。
長くなったので、後編に続きます。
またお立ち寄りくださると嬉しいです♬
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