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武井彩佳「〈和解〉のリアルポリティクス―ドイツ人とユダヤ人」~負の歴史に向き合うことの意味と、未来への道程

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著者は、先月出版されたばかりの中公新書「歴史修正主義:ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで」が大きな反響を呼んでいる、ドイツ現代史・ホロコースト研究を専門とする学習院女子大学教授。私は中公新書を読む前に、まずこの著作から読んでみた。これは2017年刊の、著者の詳細な研究調査に基づく、重厚で説得力ある論考である。ものすごく重要な論点・視点満載の本著だが、素人の私としてはごくシンプルに、これを読んで把握した当時の流れや「核の部分」のみ述べてみようと思う。もっと詳細を知りたい方は、是非この貴重な論考を自身で読んでみてもらいたい。

ここで著者が言う「リアルポリティクス」とは、米ソ冷戦や米中対立などを論じるときによく使われる「パワーポリティクス」とは違い、「理想・理念や道義的理由からだけでなく、現実的利害関係をも視野に入れながら総合的判断により動くような政治的行動・政策など」のこと。

1945年敗戦後の国家としてのドイツとユダヤ人社会~後には国家としてのイスラエルが、いかに「理念と現実利益」の両輪のバランスの中で、かつてのナチスドイツのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の歴史に向き合い、それを検証・研究したものを蓄積し、後世に伝える努力を続け、その姿勢が今も変わらないか。

まず、戦後東西に分断された後の西ドイツにおいて、当初はユダヤ人迫害・虐殺への視点よりも「戦争の被害者・避難民としてのドイツ人・ドイツ社会をいかに復興させるか」が最重要課題だったことはある意味当然。60年代頃までは、西ドイツの政財界にはまだまだ「ナチスの残党」が数多くいたことも併せて考えると、ホロコーストの記憶・記録の活動が主にユダヤ人自身が主体になっていたことも頷ける。しかし、新生「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」は1949年5月成立以来、その前年1948年に建国されたイスラエルに対して「国家としての補償」を連綿と継続するようになる。それは物資や金銭による経済援助であったり武器弾薬等供与による軍事援助であったり多岐にわたっているが、当時の政権首脳にとって「ユダヤ人の国イスラエル」に対して国家としてどう対応するかは、「戦後ドイツが世界にどう受け入れられるか」の一種の試金石として捉えられていた側面が大きいようだ。

また、イスラエル側も自らの「約束の地」に念願の国家を築き、まだまだ財政基盤が脆弱な中、ドイツからの多面的援助を必要としていた(イスラエルの建国は、同時に多数のパレスチナ難民という被害者を生み出し、ここではユダヤ人は加害者に「反転」するわけだが、その側面はここでは脇に置く)。私が驚いたのは、イスラエルの情報機関・モサド創設時に、西ドイツ情報機関の要員に指導・援助を受けていたこと。そこには「元ナチ」の人物が数多く在籍していて言わば「殺してしまいたいくらいの仇敵」のはずだが、そこは正に「リアルな利害関係」を冷徹に判断してドイツからの指導・援助を受けている。まさにリアルポリティクスである。

また、ドイツからの経済援助は「ナチス時代に600万人というユダヤ人大量虐殺を引き起こした国家としての償い」であると同時に、ドイツ復興に資するものでもあった。物資として供給される様々な製品(船舶のような巨大なものまで)を製造する過程は、ドイツ内での産業復興・雇用増大にも繋がり、この頃のドイツ・イスラエル間は経済的にもWin-Win関係の一面をも持ちながらの「多額の補償・援助」需給関係を続けていくことになる。

さらにドイツ国内においては、壊滅的な状況になっていた「ユダヤ人共同体」への多額で長期にわたる財政支援も見逃せない。ユダヤ教団の公的宗教法人認定~シナゴーグ建設などへの援助など、ユダヤコミュニティは一種の「アファーマティヴ・アクション」の恩恵を受けながら再生されていく。

そして、戦後の混乱期から10~20年程は「国家間での補償」が前景化され、被害者個々への補償・謝罪などが言わば置き去りにされてきた中、70年代あたりからドイツでも「個人補償と記憶の継承」という問題がクローズアップされるようになっていく。そこには1968年の世界的な学生運動の波(ドイツでも多くの学生から「旧体制へのアンチテーゼ」が提起された)の影響が非常に大きいという。この「68年世代」が主体となって、ホロコーストの具体的な現地調査・文献調査など詳細な調査研究が大規模に進められるようになり、それが現在ドイツ各地に存在する記念館や記念碑・追悼碑などの建立へと繋がって行く。

「過去の負の歴史から目を背けない。それらをちゃんと正視し認識し、謝罪すべきは謝罪し、補償すべきは補償し、その認識と記憶を未来へと継承していく。それこそが、ドイツが『真の民主主義国家』として生まれ変わったことの証であり、それはこれからも変わることはない」~東西ドイツが統一した後も現在まで、ドイツという国家のこの姿勢が変わることはない。そして世界中のユダヤ人コミュニティ(特に米国)でも、「過去の記憶と記録~それらの未来への継承」には余念がない。

現在のドイツで、ユダヤ人への差別排外主義発言やホロコースト否定発言は、それだけで刑罰の対象となる。こういう社会を、何よりもドイツ人自身が作り上げてきたのである。翻ってこの国・日本では・・・などと野暮なことはもう言うまい。この圧倒的な「彼我の差」をどう考えるかは、何よりも日本人自身の課題なんだろう。

<蛇足>イスラエルとドイツ連邦共和国(当時の西ドイツ)が正式に国交樹立したのが1965年(戦後からヒト・モノ・カネ全てにおいて実質的な交流は続いていたが)。韓国と日本が日韓条約成立で正式な国交成立したのも1965年。何か因縁めいたものを感じる。

<付記1>著者の武井彩佳氏が日本記者クラブで行った、この著書に関する会見(講演?)がYou-tubeにありましたので、貼っておきます。https://youtu.be/qdTxU8fkLDE

<付記2>有名な「記憶・責任・未来」財団は2000年設立。これはそれまでドイツが国家としてユダヤ人に補償を続けていたものとは別に、政府が約半額(数千億円規模)・フォルクスワーゲンなど当時ナチスに加担した大企業も約半額を負担し、ユダヤ人だけでなく、主に東欧諸国での「強制労働」への人道的補償として幅広く補償金支給を実施した。また、フランスでも当時のヴィシー政権のユダヤ人迫害加担に対して、国と企業を相手取った訴訟で和解が成立し、その補償金の一部で「ショア基金」が設立されたのが2000年。欧州諸国は2000年代以降も、「過去と向き合う」ことを決して止めない。ちなみに「ショア」とはフランスでホロコーストのこと。そしてこれら財団・基金で行われているのは、被害者個人への補償だけではなく、歴史研究・次世代のための歴史政治教育・文化事業・死者の記念事業・スタディツアーなど・・・幅広く有効に運用されている。








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