植民地支配期のフードシステムに関する詳細な研究成果~林采成『飲食朝鮮:帝国の中の「食」経済史』(名古屋大学出版会)
著者は1969年韓国ソウル生まれ。その後ソウル大学・東京大学大学院などを経て現在は立教大学経済学部教授。経済史研究者として豊富な一次史資料を駆使しながら、「大日本帝国による朝鮮半島支配」を主に農業など食料供給システムの変遷を辿りながら解明していく。著者のイム・ジェソン氏は必ずしも「植民地収奪論」や「植民地近代化論」など特定の立ち位置に立脚して論考を進めているわけではない。あくまで経済史の観点からの詳細なデータに基づく論述となっていて、それがかえって説得力を増している。以下、各論について私なりに簡潔にまとめておく。
①植民地朝鮮に広く敷設された鉄道網は、朝鮮での米穀生産と流通に大きな影響を及ぼした。1910年韓国併合以前から主に港湾都市中心に流入していた日本人植民者は徐々に内陸部にも進出していき、所謂「不在地主」としての日本人大地主も増えて行く。そして「産米増殖計画」に象徴されるように、米穀品種改良によって「日本人好みの」品種増産・商品化が加速し、日本人精米業者・流通業者を通じて日本に移出されていった。それらは主に西日本・阪神地域で消費され、関西地方での「低賃金労働力創出」の基礎ともなっていく。一方、朝鮮内では日本への米穀移出によって起きる米供給不足に対して、満州地域からの麦・雑穀・栗などの輸入がなされたがそれらは米不足を補うことはなく、半島全体へのカロリー供給量としては植民地支配期を通じて(1930年代後半の一時的増加以外は)低下するばかりだった。それは、当時の朝鮮人の身体測定データにも明らかに示されている(植民地期を通じた身長縮小)。朝鮮半島は帝国日本への「食料基地」として位置付けられたのである。
②朝鮮では牛は農耕作業に使役するのが主だったが、旺盛な生産力・生命力を持った朝鮮牛は積極的に日本に移入され(特に牝牛が好まれた)、4~5年間農耕に使役された後牛肉として消費された。それらは戦後日本では「赤牛」と呼ばれるが、朝鮮牛はまさに「日本牛増殖のための補給源」として利用され、逆に半島内では畜牛頭数は停滞した。朝鮮牛は「帝国の牛」として、日本での使役・タンパク質供給源として利用されたのであった。
③朝鮮人参(高麗蔘)は古来、薬用・滋養強壮の効能のため盛んに朝鮮半島で栽培収穫されてきたが、これを蒸造し長期保存が可能となった「紅蔘」はその耕作から販売までが効率化され、総督府財政を大いに支えた。そしてその販売を委託されたのが「三井物産」である。また、三井物産や総督府専売当局と耕作者を繋げた開城蔘業組合の存在も大きい。
④生乳を飲用する習慣がなかった朝鮮半島への「文化的滋養」としての牛乳・乳製品の移入。日本の植民地支配前から欧米諸国宣教師らの導入によりホルスタイン・ジャージー種など乳牛の飼育が試みられたが、それらはまだ一部地域に限られていた。それが日本の畜産家らによって主に「植民者日本人」のために搾乳業が始められ朝鮮内に拡がった。そして日本人居住者の増加や新しい食文化普及に伴い搾乳業は年々成長していくが、圧倒的なシェアを占めるのは京城を初めとした都会であった。
⑤西洋リンゴの栽培もまずは西欧宣教師によって試みられたが商業化には至らず、帝国日本によって本格的にもたらされた。中でも国光・紅玉・倭錦といった品種が三大品種として定着し、多くが日本に移入され青森リンゴとも競合した。これらの果樹園経営では日本人農業移民者も多く従事しており、その果実は日本だけでなく満州・華北など北部アジアにも輸出された。また朝鮮果物同業組合連合会なども結成され利潤の拡大を図ったが、1930年代後半以降はリンゴもまた戦時統制経済の対象となっていく。
⑥明太子~元来日本では蒲鉾の材料となるなどあまり重視されていなかった明太(ミョンテ:スケトウダラ)だが、朝鮮では特に北部で明太(特に乾物)は重宝され、その卵巣をトウガラシと塩で漬け込んだ明太子も常食されていた。それが植民者日本人にも好まれ、彼らの主な出身地である西日本中心に消費され始める。
⑦焼酎と煙草~共通するのはどちらも元来朝鮮半島では自家醸造・栽培したものを嗜好品としてその地域で消費することが多かったが、帝国日本の支配が浸透してくると、それらはやがて朝鮮総督府の専売制・税制に組み込まれ、総督府の貴重な財源となってくる。ここでも総督府と共に大きな役割を果たすのが三井物産である。当時の帝国主義植民地支配に所謂財閥系総合商社が果たした役割は、改めて重視する必要がある。
・・・以上、本当にざっくりとまとめただけだが、この詳細にして緻密な論考を読んでみても、当時の朝鮮半島が帝国日本の「フードシステム」に組み込まれ、様々な農畜産物が巧みに日本及びその支配地域に移出・収奪されていく構造がよく理解できる。こういう「冷静にして客観的データに基づく論理の組み上げ」がいかに重要か~ということでもある。