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勤労という毒薬

勤労に対して畏怖を持っていたわたしもいつしか労働者となっている。労働とは、やはり毒薬だった。

アルバイトの時代に知っていた。労働はつまらない。労働は、大切な時間を制限して、一瞬で捨て去ってしまう。いつしか時が過ぎることを恐れるのではなく、時が過ぎないことを恐れるようになっている。

あれほど大切だと思っていたこの若い時間、今の自分の感性や、自分の細やかで豊かな生活、それらにかける穏やかなゆっくりとした時間がなくなっていく。それは知らぬ間に、既に起きている。

毎日、「今日もがんばったな」と思うのは良いことなんだろう。毎日頑張った自分を褒めてやりたいと思う。でも毎日の感想がそれだけになっていくのは、何よりも切ないことなんじゃないか?

たくさん聞いていた。労働が辛いことも。大学は楽しいことも。働かなくていいなら、働きたくない人が大勢いることも。働きすぎて、死ぬ人がいることも。
辛かったらすぐに辞めていいことも知っている。この世には、数多の職業があることも。さまざまな場所で働く権利と、それを後押しする能力があることも知っている。その自信だって多少なりある。

でもなんだか、そういうことではないようだ。労働は毒薬だった。知らないうちに体は変化していた。
思ったよりも悪くない労働は、いっそうわたしを思想の世界から遠ざけて、生産性と価値の世界に引き込んでいる。

数ヶ月で私はパンクして1週間も熱を出して寝込んでいる。診断名は風邪。
長い風邪である。もしこの風邪が長く、もっと長く続いたら、さて、どうなるんだろう?


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