私の圧倒的な自己満足と、自己顕示欲と、そして私という人間をわかってほしいという愛に飢えた意地汚い欲望たちを、私を死に近づける遺書のように書きました。 何となく思い当たる節がある人もいるかと思いますが、わたしには、わたしにも、精神的な弱さがあります。 高校生のときから、ときどき学校に行けなくなりました。最初は行きたくなかったから行けなかったけれど、今では行きたくてもボロボロ涙が止まらなくて行けないことの方が多いです。 学ぶことは大好きだし、友達も大好きだし、お喋りも大好き
ははは しにてー ずっとそうだから
勤労に対して畏怖を持っていたわたしもいつしか労働者となっている。労働とは、やはり毒薬だった。 アルバイトの時代に知っていた。労働はつまらない。労働は、大切な時間を制限して、一瞬で捨て去ってしまう。いつしか時が過ぎることを恐れるのではなく、時が過ぎないことを恐れるようになっている。 あれほど大切だと思っていたこの若い時間、今の自分の感性や、自分の細やかで豊かな生活、それらにかける穏やかなゆっくりとした時間がなくなっていく。それは知らぬ間に、既に起きている。 毎日、「今日も
仲の良い喫茶店の店長とか、悩みを聞いてくれるバーのマスターとか、生き方を提言してくれる飲み屋の店主とか、 そういう関係性を手に入れている人に憧れながら、そうなれないと確信している。 街の中華屋とか、狭い定食屋とか、苦い珈琲屋とか、色褪せた蕎麦屋とか、 そういうところに行く人に憧れながら、そうなれないと確信している。 下北沢の小劇場とか、高円寺の古着屋とか、小さなライブハウス、行き慣れた駄菓子屋、床の汚れたラーメン屋、神保町の古本屋、BOOKOFF、ミニシアター、油絵の具、
パリに来ている。 夢の街。 わたしにとって、ただただ夢の街。 わたしの人生のただ一つの希望、唯一の望み。 いつまで経っても自分がパリで生活していることを信じられないような気がする。想いは強く、何よりも深い。わたしはここに来るべきだったし、ここに来なければいけなかった。でも、ずっと浮遊した自分。 唯一のこの世への未練。全てをまっとうしたあと、わたしはどんな感情になるんだろうか。もちろん、もう死んでもいい。どうせ、いつでも死にたい。でも、
昼の12時が1日の真ん中だと考えるのは間違いだということに最近気がついた。 そう考えると、ごはんを食べるタイミングってどこか変な気がする。 夜眠れなくなったのはいつからだろう? 不安が私を覚醒させて夜の2時まで私の目を開けさせている。 お腹がすいたなぁ。 いつもそう思う。 夕飯を食べた後、眠るまでの間が空きすぎている。 そんなとき食欲と不安に駆られてわけのわからないものを手当たり次第食べるようになった。 涙の代わりに涎が出るようになったんだろうか。 朝、いつも開けてあるカーテ
恋がしたい、というこの衝動の正体はなんなんだろう。恋をする友人がやけに輝いてみえるのは、どこかから借りてきた言葉に引っ張られすぎているからだろうか。 「明日好きぴと一緒にピザ食べるんだ〜」と、にやけるのを堪えきれないような笑顔で話す彼女が愛おしい。「彼誕生日だったんだけど、日付が変わってぴったりにメッセージ送るのはなんか違うかなと思って、5分後に送ったよ」なんて意味のない駆け引きをするあの子もアホらしくて愛おしい。 自分のために有給使ってくれたと喜んだり、自分から連絡するの
眩しいな、と思ったのはいつからだろうか。ライブハウスで弾け飛んで散らばってそれをひとつにするようなギラギラのビカビカのどデカいエネルギーを放つ後輩。対バン相手たちが次々に叫ぶ「最高の夜にしよう」「いちばんになりてえ」「ここに全部置いていけ」。それらの声が乱反射して屈折しないと届かない脳みそを持ち合わせたのはいつだったんだろうか。みんな眩しくて、光って輝いて、その光たちがすごい速さで向かってくる。俯かないと、自分が焼けてしまいそうで、腐って枯れてしまいそうで。息が詰まるから酸素
自分の言った言葉にはっとするときがある。そうそう、そうだった、たしかに、と思う。 「あなたの話す内容に興味があるんじゃなくて、あなた自身に興味があるんだよ」と言って、そのあと、そうなんだよ、と噛み締めた。自分がおもしろい話を相手に提供できないと不安、みたいな話をしてくれた彼にそう言った。どれだけネガティブな話でもいいから、あなたのことを教えてほしいとわたしは思った。よく言った、わたし、と褒めてやった。 「あーやばい、泣いちゃう」と独り言をこぼした夜、そのまま涙もこぼれてい
最近やっと人と目を合わせられるようになってきた。 これから友人になりそうな初対面の同世代と目を合わせるのがすごく苦手だった。わたしという1人の存在を正面から見るようなまなざしが苦手だった。 先生をはじめとする大人と目を合わせるのは簡単だった。わたしという個人を見るのではなく、生徒というカテゴリーの中にある自分へ目線を向けられているような気がするからだと思う。わたしは、生徒というロールプレイの中で発言することができた。 そもそも、自分の顔の形容に自信がなかった。世間のルッキ
コミュニケーションは難しい。 コミュニケーションには常に危険が潜んでいる。 コミュニケーションはめんどくさい。 人間関係はコミュニケーションで成り立っている。 自分の考えている事と自分の言葉が全く同じではないことをわかりつつも、私たちには、自分の言葉をどれだけ丁寧に扱うかという責任が常に降りかかっている。 私たちは時々忘れてしまう。自分に言葉を操る責任があることを。私たちは言葉をうまく使えないことを忘れてしまう。相手から発せられた言葉はすべてそのまま相手の思っていることだ
悩んだ1年だった 挑戦した1年だった たくさん動いた1年だった 泣いた日は減った 料理ばかりした1年だった お金はなかった 人間関係が変わった1年だった もっと学びたかった 自分に必要なものが変わってきた ネット上での人とのやりとりが苦手になった いろんなことが少しずつ上手くなってきた その分大事にしたい不器用さは消えていった 上手くなってしまった、のかもしれない 小さな安定を手に入れ、大きな不安定を失った 少しの鈍感を手に入れ、繊細は失われてきた 尖った自分は丸くなっ
「会いたいってなんて乱暴な気持ちなんだ」 凪のお暇で言ってた 「知りたい気持ちはどこまでも残酷なものね」 カネコアヤノが歌ってる あなたを欲する事はやっぱりどこか暴力的なんだろうか 恋に落ちるとそんなことを考えてしまう 君に近づきたいという純粋な思いは、どこからか君を傷つけるのかもしれない それでも君に会いたい 君のことをたくさん教えて欲しい 私のことも知って受け入れて欲しい 欲にまみれた危険な私を、君はそのまま受け入れてくれないかな
電車が急停車した アナウンス 当車両にて人身事故が発生しました と言う 全員が一瞬息をのむ 驚きの表情 胸が痛い 喉がつっかえたように苦しい 泣き出しそうだった いつだって私の横で誰かが死んでゆく 死を隠されるわれわれは その事実を忘れてしまう いまも、いまも、いまも、 誰かが死んでいるというのに 誰かが死んでも いつも通り生きてゆく 何事もないかのように生きている 死人の真横に立って ドーナツを食べる そういう自分の卑しさを 忘れてはいけないのだと 小さい私は叫
ネガティブな話を聞くことがたぶん苦手だ。自分のエネルギーをたくさん消費してしまう。 誰がウザいとか、これがしんどいとか、あれが苦しいとか、誰が嫌いだとか、大きな負のエネルギーを持つ話を聞いていると、私の胸はどんどん縮んで重たくなって、吸える息の量が減っていくように感じる。瞼が鈍く重くなって、肩にいつもより強い圧力を感じて、腰と指はパキパキ音をたてて、下ばかり向くようになっていく。 自分のエネルギーがマイナスの言葉にどんどん吸われているようだ。 自分だってたくさん愚痴を吐く
嘘がきらいだ。 人を傷つけたくないけれど、それ以上に嘘を選びたくない。 嘘をつかないことが、私にとってあなたへの尊敬であり、尊重であり、敬愛であり、誠実さなのだ。 あなたも私に嘘をついてほしくない。あなたを信頼していられなくなるから。 そのために言葉を選ぼう。 言うことと言わないことを選ぼう。 どうやって伝えるか考えよう。 どんな表現を使うかに、わたしたちの誠実さは懸かっている。