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はじまりの始まり

私の人生って終わってる...。

大切な人を失って、本気にそう思った。四六時中それしか思えなかった。それはそうだ。Thomas Attig(トーマス・アティッグ)という応用哲学者は、『死別の悲しみに向きあう』(大月書店)という書籍の中で死別に際する苦悩を次のように表現する。私たちは「人生の中で特定の関係が際立った位置を占める場合、誰かが死ぬと、網のさらに広い一角がずれてしまい、私たちの人格の一体性が深刻な打撃を受ける」のだと。

アティッグによると、喪失の体験とは非常に多様であり、感情面、心理面、行動面、生物学的、肉体的側面、社会的側面、知的・精神的側面といった自分の生活のあらゆる面で喪失の衝撃を経験するものだ。「人々はその全体で悲しむ」ものである(アティッグ, 1998: 15)。つまり、愛する者が生きていた時の生活は跡形もなく消え去り全く別の世界になってしまったという不可逆性の衝撃は、当事者のありかたを根底から揺るがすほど大きな喪失体験なのである。様相が一変した世界の中で、人は悲しむという複雑な反応に圧倒されそうになりながら葛藤する。

全く彼の言う通りであった。この衝撃は決して侮れない。簡単に言うと、死別はめちゃくちゃ辛いのである。毎日が惨めで辛い。息するのも辛い。起きているのが辛い。ずーっと眠ったまま目が冷めなければいいのに。仕事に行っても辛い。でも休みはもっと辛い。孤独感とか挫折感とかそういう圧力に押しつぶされそうだった。そんな中、人生の再出発、つまり始まりの始まりを求めて私の長い長い葛藤と探求が始まった。どれぐらい長いと言うと、ざっと14年だ。現在も進行中である。でも、もうめちゃくちゃ辛くはない。時々辛いくらいである。仕事は楽しいし、休みもそこそこ楽しい。お笑い見て爆笑してる。でも、探求は静かに続いている。

私は、死別して4ヶ月目くらいにマインドフルネスというものと偶然出会った。私のグリーフワークとマインドフルネスは、切っても切れない関係だ。Sameet Kumarという心理学者は、Grieving Mindfully: A compassionate and spiritual guide to coping with lossという著書の中で、次のようなことを書いている。グリーフとマインドフルネスとは驚くほど同じ教訓を人生に与えてくれる。グリーフは人生の儚さや故人との唯一無二の愛情関係について教えてくれる。そして、マインドフルに生きるということもまた、この瞬間瞬間はかけがえのない、二度と繰り返すことのない大切な時間であることを教えてくれる。だから、長い時間がかかったけれども、マインドフルに悲しんだ分、大切な人生をマインドフルに生きてきたっていうことでもある。そんなふうに生きてきた時間が今はとにかく愛おしい。死別した大切な人も変わらず愛おしい。毎日が愛おしい。そんな毎日が始まった。



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