棗と縫い針
少し最近思った事を書いていいであろうか。少し長いが。
日常的に感じる些細な事を云う。
ある近所のコンビニにて、レジに立つ青年がいる。
オーナーの息子である。歳は三十路手前ぐらいであろうか。
「440円です」とメビウスを買う自分に言う、「はい」と、どこにお金をおくか。
よくあるお金を入れる、青色とかの入れ物があるならそこに置くだろう。
ない場合、相手が手を出してきたらどうする。手に渡すだろう。
そのお金を、レジ台にガシャーンと結構な大きい音でもはや叩きに近い形で落とされ、数を数えられた時。
自分は不愉快になる。
それは何故かと思っていたら、親であるオーナーがレジの時にも、ガシャーンとまではいかないがそのような行動を取る。
前に定食屋で左右両隣にカウンターで囲まれた時があった。左は20代後半、右は50代のおじ様である。
左右で食べ方の、所謂口を開けながら食べる音が凄まじい。
20代後半の男は親がそうなのであろうか。50代の男は嫁がいるなら言われないのであろうか。
自分は不愉快になる。
1週間前、7年間放置していた、地元の人間に対する金銭消費貸借の判決を、強制執行の実行を裁判所に手配をした。7年間相手からは、判決が下りても連絡もなく、1円も返してもらえなかった。
第三債務者になる、相手側の勤める社長にそれをなんとか、ずっとはぐらかされていた。その社長に俺の脇の甘さでまた取られるところであった。7年ともなると、遅延損害金の金額も半端ではない。
うちの家は土建業を営んでいた。
親父は大阪西成から、食いっぱぐれた人を大勢集めて敷地内に宿舎を建て、そこに住まわし、当然のことながら色々な人が出入りした。
朝、食卓に知らない人がいて、後から誰だと聞けば「昨晩飲み屋で意気投合して、行き場のない人」という感じは日常茶飯事であった。
(前列左から2番目が腹違いの兄、右から2番目が私である。母はこの中にいない、おそらく写真を撮ってるのが母なのであろう)
うちの母親は正式には2番目の嫁さんになる。
その母が嫁いだ時、父は7万5000円しか財布の中というか、全財産がそれしかなかったらしい。
そんな父親であったから、ある日小さい時、親父と縁日のような物に行った時、露天商が棗(なつめ)と縫い針を売っていた。
そんな物売れるはずがないのであるが、うちの父親は何かごちゃごちゃ話し始めた。
しばらくすると宿舎にいた若い衆が数人、車で鳥居前まで来て、棗を全て運んで行った。
親父が私に言った。
「針はどうしようかな。棗は酒にでも漬ければ飲めるが、針はどうしようもないな。僕。なんかいい方法ないか。」と。
私は言った。
「学校で学年4組あるクラスみんなのお母さんにあげるとかはどうだろうか。」と。
「それはいいな、そうしよう」と、公衆電話に行き、しばらくしたら小学校の教頭が先生と数人来て、頭を下げながら針を持って行った。
帰ってから、母親と喧嘩していた。
母親が死ぬ間際に病室のベッドの横で色々な話をした。
その時にその時の話をしたら母親は
「そんな事、いつもの事で忘れてたけど、その事は覚えてる」と言った。
父親にとにかく懐かなかった自分に、なんとか懐いてもらおうと色んなところに連れて行っていたらしい、その時、手を連れて歩く自分はまだ小さく、逆に生きてれば齢90に近いであろう、親父はよく「孫連れて」と言われたらしい。
疑心暗鬼ではないが懐かない、無口な子供に対して、どう接していいかわからずにいた時、俺からの針の返答を聞いた時、
「ああ、こいつは俺の息子なんだ」
と思ったらしい。財布の中身は無くなったが、この言葉を聞けてよかったと。
母親はその話をして、
「棗を漬ける瓶を買うのに何万か掛かり、さらに飲むのにどんだけかかるんだと言ったら、「浸かった半年後にちょうど近所の神輿祭りがあるから、神輿あげに来た全員に飲ませろ」って。どこまでの人なんだろなって呆れた」
と言っていた。
姉が熊のぬいぐるみを見て「熊が欲しい」と言えば次の日本当に熊を買ってくる父であった。
その近所の神輿の時、半纏を着た俺が子供神輿で家にいき、神輿をあげた。毎年の事で、その後30分ぐらいうちの前で大人子供が休憩をする。
親父の横に手招きされ、座って飲み物を飲んでいた俺に、親父は家の前一面に咲いてる桜を見ながら「今年の桜は白いな」と言った。「ピンクだよ」と言うと「そうか、ピンクか。」と言った。周りにいた若い衆はそれを見て何も言わなかった。
その年の夏、父は死んだ。
父が死んで、土建業で父を憎む人は赤飯を炊いた人たちもいたらしい。ただそれ以上に、斎場から200m、道の左右に余すところなく、花輪が続いた。
時は経つ。
昨年起きたある2つの事件、自分にとって実はかなりの致命傷であった。事故と横領。
最近、メガネのレンズの交換をした時、30秒あればできる事が15分も格闘した。いまだに左手の激痛が止まない。疼痛で通常時にもイライラ来る。
しかし事故は避けられないが横領は避けられていた。
「あの時印鑑つかせていれば」とか、「あの時情に流されずに信じず、帰さずにいれば」とか。
捜査の段階で友人の名前や、使っていた人間の名前も出た。正直疑心暗鬼が止まらない。この記事でバリ島に行った時くらいから、人と会わないように実はしている。それでも酒が入ると爆発してしまう。なんでこんな事にならなきゃいけないんだと思う時が毎日であった。うまく行く人を見るとイライラしたりした。
事故は相手がタクシー、避けられないとは言え、2種免許を扱う事業者が保険にも入らず、事故した相手に「裁判上等」として今日、損害金も何も支払わず、運営しているのは如何なものか。正月に起きたバス事故でないが、今日の日本における、運輸旅客業の曖昧さにヘドが出る。自身の保険も、「約款」「法的根拠」等、払うものは”全て支払わない”姿勢で、「いざという時に保険屋と金融庁は何もしてくれない」ということを改めて痛感させられた。
そんな生活の中で、ひたすら眼鏡のデザインと製図をし、マレーシアに工場を作る段取りに行き、オーストラリアに輸出をする、ひたすらその仕事ができるようにしていた。
今の状況は、まさに以下の文章から思う事である。
「お前に嫉妬とは何かを教えてやる
己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。
一緒になって同意してくれる仲間がいれば、さらに自分は安定する。
本来ならば相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。
しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。
芸人なんぞそういう輩(やから)の固まりみたいなもんだ。
だがそんなことで状況は何も変わらない。
よく覚えとけ。現実は正解なんだ。
時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。
現実は事実だ。
そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。
現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。
その行動を起こせない奴を、俺の基準で馬鹿と云う。」
立川談春著、”赤めだか”の立川談志の言葉である。
「現実は正解なんだ。
時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。
現実は事実だ。
そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。
現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。」
この言葉でできることが、今日、できること、やっている事なのである。
「現実は詐欺でしかも横領されましたが、知能犯ですので証拠固めが難しく、警察もやる気なく、なかなか捕まりません。
ただ金はまた稼げば返ってくる。来る日に備えてコツコツと今は何も語らずやるしかない。左手はリハビリを続ければいい。切断したわけじゃないから。」
と。
うだつが上がるような上がらないような、デザイナー、プランナーという下賤な商売をしている。
いい時もあれば悪い時もある。人に認めてもらいたい時に認めてもらえない。自分が倒れれば生活の保障はない。
現実は正解で現実は事実だ。
これを見る人、note内にはクリエイターの方も多いと思う。
これをどう単純に自分の中で消化できるかなのだと思う。
しかし私もこれを見ている人も、人の子なのである。決して木の股から生まれた訳ではない。
少なくとも、感情とかがどうしても優先してしまう。そして私の場合、それで貧乏くじを引くのが多いだけなのである。
弁護士に任せきりにして、少しでもストレス軽減しようと、生活をしていた。
最近。
その横領相手に給与未払いと、横領金を払えという内容の、内容証明を送る際、弁護士が住民票を取り寄せたら「第三者取得制限」というものが掛かっていて取得できないと連絡があった。
その住所の管轄の区役所に問い合わせ事情を聞くと、どうも自分の名前がDVの加害者になってるらしく、開示できないとの事。
身に覚えのないことで、多少のめんどくささを感じつつ、区役所に電話で問い合わせ、弁護士と訪問。
「第三者取得制限」というのは、主に主婦などが、DV等で区役所に相談し、相談者の申請により、住所の特定をされずにすむようにする保護措置である。
区役所に事情を弁護士の方から説明し、被害届が出てる警察署、告訴が受理されている警察署、労働基準監督署が出てきて、「虚偽の申告による申請」との事態になり、ちょっとした騒動になってしまった。
区役所側からは後日、弁護士に開示した。
警察署は結構な事態だから早急にやると、思い本腰を受理から約1年半後にようやく上げだした。またこの方法をしたことで、前がある旨も大方確定しましたとも。示唆した人間がいるならそれもカタをつけなければと。
お前一体どれだけ追われてんだよ。
ある日家のインターホンが鳴った。
開けるとその区役所の区長、それを管轄する課の課長、申請を受理した人間がいた。お詫びと謝罪に来たらしい。その時に菓子折りを渡されたが丁寧にお返しした。
「「虚偽の申告による申請」により、債務から逃亡し、住所が移せたので子供の補助手当も支給されている。今後このようなことがないように努めます。」と。
相手は呑気にGWはキャンプに行っていたらしい。警察と友人から聞いた。
現実は正解で現実は事実だ。
こいつもこれだけの事をしても人の子であり、なんなら今一児の父なのだ。ただ子供が大きくなった時、「お前は小さい時、人を騙した金で育てられたんだよ」と、もし人に言われた時にどうするのであろうか。
コンビニの息子も。
定食屋のあの二人も。
判決後に支払わないやつとその社長も。
俺も。
横領犯も。
親を見て子は育つ。周りを見て成長する。類は友を呼び、その友が友を呼ぶ。
現実は正解で現実は事実だ。
今という現実を、どう消化できるかなのだと思う。どうしたら次に行けるか。それに向かって行動するだけなのである。そこに多少の感情を入れては抜くを繰り返す。ただ黙々と、目標という名の現実に向かうだけなのである。
ただ一つ、あの日の桜は、白くなかった。「白いね」と言っておけばよかったと、いつも思う時がある。
ただ私も、父と同じように、恨まれてもそれ以上の賛辞が送られるような人生を歩みたいと思う。
少なくとも自分は兎に角、これからできるであろう子供には、後ろ指を指されない生活が送れるように。
2016/5/16 クアラルンプール行きの羽田空港にてこれを書く。
私に対する戒めの記録として。
そして私を取り巻く仕事関係者、友人達、店が水没して落ち込むエステをする友人に。
そして今月いっぱいで活動を終了する親友のギタリストと、残るメンバーに向けて。