あしながおじさん ジーン・ウェブスター
読み終わりました!あしながおじさん。
このお話はアメリカ文学の名作として有名ですけれども、私は今まで一度も読んだことがありませんでした。
あしなが育英会とか、慈善団体の名前としても聞いたことはあるので、なんとなく孤児のお話であることは知っていたんだけど、実物を読んでみるのは初めてです。
書いたのはジーン・ウェブスターというアメリカ人の女性作家。出版されたのは1912年。第一次世界大戦の少し前くらいでしょうか。
ウェブスター作品は初めて読みましたが、どんな人かな?と思って、経歴のところを見ると、大叔父さんに当たる人がマーク・トウェイン!
びっくり〜。作家の一族なんですね〜。
マーク・トウェインといえば、アメリカ文学をぐるぐるしているといろんなところで顔を出す人なんですよね。
代表作は、トム・ソーヤーの冒険です。
古今東西、世界中の作家が口を揃えて、この人はすごい!っていうのは、ドストエフスキーのような気がするのですが。
マーク・トウェインは、アメリカ文学という枠組みの中で、同じように扱われているような気がします。
有名なヘミングウェイは、「あらゆる現代のアメリカ文学は、マーク・トウェインのハックルベリー・フィンと呼ばれる一冊に由来する」という言葉まで残しているらしいです。
私は学校の課題でこれを読んで、大事なところだけで済ませて挫折してますが笑 確か島に漂着したところで止まっているんだよな…。
いつか、進めよう。トム・ソーヤーも未読です。
ちょっと話が逸れて、偉大なおじさまのことを書いてしまいましたが、本題はウェブスター、あしながおじさんですね。
◆どんなお話??
主人公は孤児院で育った女の子、ジェルーシャ・アボットです。年齢的に孤児院を出て働かなければならないとなっているところに、正体不明のお金持ち、ジョン・スミスという人物から、救いの手が差し伸べられます
きっかけは、ジェルーシャが書いた文章を彼が気に入ったことにありました。本来であれば、女の子の援助はしないけれど、才能があるから特例として大学に行かせてあげたい、というのです。いろんなことを勉強して、ぜひとも作家になりなさい、そのお金は全て私が出してあげましょう、という提案でした。
ただし、これには条件がある。
毎月、学んだことや、大学での生活の様子を手紙に書いて知らせること。それは作家としての訓練にもなるでしょう、ということでした。
この人物はジョン・スミスと名乗ってはいるけれど、あくまでも手紙の宛名として使うための偽名です。本人は自分の正体を明かしたくないし、ジェルーシャとも会いたいとは思っていません。また、返事も書きません。
ジェルーシャは孤児院でたまたま見かけたその後ろ姿を元に、勝手にあしながおじさんというあだ名をつけて、親しみを込めて手紙を書きます。
学ぶことの楽しさ、いろんな人との関わり、大学の生活をユーモアを交えて、知らせます。
一体、おじさんは何者なのか???
というちょっと、ミステリー要素も含んだお話です。
この物語は、冒頭の章を除いて、全てジェルーシャがあしながおじさんに向けて書いた手紙で構成されています。
ちょっと今まで読んだことのないタイプの構成でした。お手紙だけで書かれた話って他にもあるのかな。知っている人がいたら、教えてください。
◆読んだきっかけは玻璃と天
個人的には、孤児とか恵まれない子どもの成長を扱ったお話が苦手です。そのものが苦手というか、書き方の問題ですね。
ハートフルストーリーとか、孤児が成長することを大々的に銘打って、ストレートに物語る作品に親しみが持てません。児童書にもそういうジャンルってあると思うんですけど、子どもの頃から興味を持てません。
読み始めると気にならないのですが、作り物っぽいというか、意図的に涙を誘ってくる感じがするからです。生意気に聞こえそうだけど、そういうものって、簡単に言えるというか、書けるような気がしてしまいます。
むしろ、クリスマスキャロルみたいに虚構を織り交ぜて、その中に紛れ込ませて真理をついてくれた方が、奥行きがあって響くというか、自分が気づける分真実味が感じられて好きです。
初め、あしながおじさんもそういう私が考えるお涙頂戴話かと思っていました。安直な孤児成長物語。しかし、なぜこれを読もうと思ったかというと、北村薫さんの本の中に出てくるからです。
北村薫さんが大好きなのですが、その中でもベッキーさんシリーズが大好きで、その二巻目に当たる玻離の天の相夫恋というお話の中で、この本が登場します。この前、パラパラめくっていたら、主人公があしながおじさんの話を友達としているところが目に入ったんですよね。
というか、このシリーズはいろんな作品の引用がてんこ盛りなんですね。
そこがとっても素敵で面白いところなんですけど、全部読み切るには時間と体力を要します。
そして書店に行ったら、あしながおじさんが棚の目立つところにありました。新訳が数年前に出てたらしい。しかも、表紙が可愛い〜。
最近の新潮文庫の名作新訳シリーズ、装丁が素敵でたくさん集めたくなります。やっぱり本は見てくれも大事です。断然読む気になります。
と、また脱線してしまったけど、主人公がこれは良い御本、つまり、北村先生がいい御本と言ってるなら読んでみようかな、と思ったわけです。
招待状は玻離と天でした。
そうして本を手に取り、あしながおじさんの解説を見ると、逆に玻離と天のことが出てきます。この地味に繋がってる感じに胸が熱くなるのは私だけでしょうか。
そんな北村薫さん、お墨付きのあしながおじさんだったわけですが、読んでみたら、とっても面白かったです。
単純な孤児成長物語じゃなくて、もはやミステリー小説でした。
ベッキーさんもこの作者は意図的に探偵小説要素を示唆していますよ、と主人公に助言しているんですけど、全くその通りでした。
単調な日常の手紙をずっと読まされるわけですが、一体おじさんが誰なのか、当てるつもりで読んでいくとすごく楽しいんですよね。
そして、正体がわかった後にもう一度読むと印象ががらっと変わるし、登場人物の動きが、全く違うものに見えてくる面白さがあります。普通、推理小説は犯人がわかると2回目を楽しむのって難しいかなと思うのですが、これは2回目もすごく面白いです。むしろ二度読み必須です。
可愛らしい手紙をつらつら書いているだけにみえて、実はよく考えられているな〜と感心してしまいます。
●読んで感じたこと 隠されている宗教観
おじさんが誰なのかということがわかってしまうと、物語の面白さが半減するので、ここでは触れませんが、手紙の内容もはっとさせられることがたくさんありました。
物語を全体的に見ると、神様はいないという考え方が見え隠れしています。それは見放されている、みたいな悲観的なものではなくて、自由を尊重したいがための反発のような感じがします。
ウェブスターは自分でものを切り開く、自分で考えるということに重きを置いていたような印象を受けました。
ジェルーシャはあるところで、自分は運命論を信じませんと手紙に書きます。自分に起こることが全て初めから決まっている、神が与えた試練という考えは嫌いだと言います。運命は自分で切り開くものだと語ります。
また、懇意にしているピューリタン夫妻の信仰のあり方にも疑問を持っていて、私は誰からも神様を受け継がなくてよかった!と言います。教えを尊守するあまりに、いろんなことに対して厳格すぎると感じていたようです。そんなものに囚われない自分は自由なものの見方をするし、物事にも寛容だとしていて、それが私の神様だ、と説きます。
さらに、貧しい家族の窮地にあしながおじさんに援助を求め、そのお金を渡すシーンがあるのですが、家族がああ、神様!と喜んでいるところに、助けてくれたのは、神様ではありません、スミスさんが助けてくれたんです、とはっきりもの申します。
そして、自分は労働者階級の人間で、社会主義、それも穏健派であるフェビアン主義を主張する!と決めるのです。
全体的に散りばめられているので、カラマーゾフの兄弟みたいなダイレクトな宗教観は色濃くないんですけど、やはり何を信じるか、何を主義をするのかみたいなことを認識させられます。
そして神様はいない、私たち一人一人が神様だという考え方には、社会主義が相性良いのか、一緒にくっついてくるような印象です。
でも、これまでに紹介した別の本では、キリスト教は自分のこと、自分の信念を、神として讃えなさいと言っていたような…
と考え出すと訳がわからなくなります。この考えがうまく機能したお話がアウシュビッツの図書係で、ジェルーシャも自分だけの信仰を大事にしている点では同じはずです。でも、彼女はヒルシュと違って、神様を否定する社会主義者です。
どうしてキリスト教がそのまま機能せずに、神様なんていないという思考に向かい、社会主義につながっていくのかがが難しいところです。
そもそも、ジェルーシャはキリスト教を全く知らなかったといえばそれまでなんですけど。
キリスト教がうまく機能していたら、社会主義は生まれなかったような気がします。
この本のピューリタンの教えが融通の効かない厳格さだった、というところとか、カラマーゾフの兄弟での、人間はそんなにうまくできていなかったという、イワンの論に思いを馳せると、掴みきれないけど、なんとなく答えは見えてきそうです。
社会主義の対極にあるのはやっぱり資本主義で、社会主義に傾倒していくのはどうしても貧しさを知っている労働者階級になります。
社会主義の誕生の後ろには、キリスト教への失望がやっぱりあるのだと思うし、失望のきっかけには資本主義や競争社会、格差があるということなのでしょうか。だから主義と宗教は切り離せない。
うん、頭、破裂しそうです。笑
にしても、作者がアメリカの人だと考えると意外ですね。ロシアじゃないんだ。アメリカにいて、社会主義を信望します!と声だかにいうのって怖そうと思うんですけど、どうなんでしょうか。
でも、これは冷戦より前のお話だし、また違うのかな。当時はどういう受け取られ方をしたのか、気になるところではあります。
ちょっと、難しい話になりましたが、あしながおじさん自体は、全然難しくなくて、ポップに主人公が自分の考えを述べています。
ポップなのに地味に大事なことは伝わってくるのが、すごいです。
主人公は作家を目指していて、物語を書いているんですけど、やっぱり評価されたり、されなかったり、苦しむんですよね。
自分の描いた作品を火にくべて、我が子を埋葬する気分だというシーンが印象に残りました。孤児院での生活の思い出をずっと嫌悪しているのですが、あるところで、それを受け入れるようになります。そして、物語は自分が知っていることしか書くことはできないんだ。この経験こそが私の宝だ、と気がついて、孤児院の物語を描くようになるんです。
この部分がとっても好きです。
あと、誰だか相手がわからない人に延々と手紙を書き続けるのって、面白いなと思いました。なんかnoteと似ているような気がしました。
私は知らない誰かに延々と手紙を書き続けているのかもしれません。
●後日談
読み終わった後に、もう一度、玻離と天を開きました。
ベッキーさんと主人公の英子ちゃんが、あしながおじさんのお話しているところを、じっくり読んでみます。パラパラめくっただけだったので、何が語られていたかはしっかり思い出していませんでした。
ベッキーさんはあしながおじさんの本をさして言います。
探偵小説との関わりなら、他にもございますよ。以前、江戸川乱歩のお話が出ました。
あの方の作とも、繋がるところがございます。
なんだって!
一回読んでいるはずなのに全然気に留めてませんでした。
ウェブスターと乱歩とを同じ盤の上に置けば、一方には明るく日が差し、一方は闇に沈むようにも思える。すなわち、昼と夜、雪と墨、正門と裏門。だが、思考の形のあるところで、こうして両者は重なるのだ。
どう繋がるか、明確に書かないのが北村先生です。読みなさい、読んで欲しい、ということなのでしょう。
乱歩の作とはすなわち、鏡地獄のことなのですが、私はこれを読んだことがありません。鏡地獄を読んでから、あしながおじさんを読むと面白いのだそうです。どう面白いのでしょう。
読まないと、北村先生の言っていることがわかりません。
そしてこれはそのまま、先生が物語の中に隠した非常に興味深いミステリーです。
近いうちに読んでみたいと思います。