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ジェイラボワークショップ第53回『数学部初回オリエンテーション』【数学部】[20230501-0507] #JLWS

今回の数学部WSは、年度はじめということで昨年度の活動の振り返りとその意図、部員の所信表明、これからの数学部の活動などについて触れました。
以下はそのログとなります。

DAY 1

■Hiroto

こんにちは。数学部部長のHirotoです。一週間よろしくお願い申し上げます。

さてさて、前年度の数学部の活動の多くは、「集合・位相入門/松坂和夫」を読むことに費やされてきました。
ついにこのタイミングで終わりを迎えたこともあり、区切りがよいため、前年度の「集合・位相入門」輪読を通じて部員の皆さんがどういったことを考えたのか、細かい数学的内容には立ち入らずに述べてもらい、その文章をもって数学部の雰囲気を知っていただきたいと考えております。

それではどーぞ!、、と言いたいところですが、さすがにいきなりすぎるので、なぜこの本をわざわざジェイラボというエクストリームな空間において読んでいるのか、その理由を部長である私から述べさせていただきます。

まず、私たちの輪読活動は「線形代数入門/斎藤正彦」から始まりました。これは大学初年度の理系が全員通る道ですので、実利的にもいいだろう、という理由のみからでした。

この本の輪読が終わり、さてどんな本を読もうかと改めて考えたときに数学部のメンバーを見渡すと、大学入りたての方、専門分野を学ばれている方、社会人の方、、、といつのまにか多様なメンバーが揃っていました。さらに数学を専門的に志す人はあまり多くはないという状況でもあり、数学の本を輪読するには結構特殊で面白い状況に、意図せずなっておりました。

要するに、数学の世界にどっぷり浸かっているというよりは、数学の枠組みを俯瞰で観れる人が集まったということです。この状況を活かすには、数学の込み入った内部に入り込むよりも、数学の枠組みそのものに触れるような学びをした方が絶対に面白い。そう確信した私は、メンバーの意見も取り入れながら、「集合論」の本の輪読に踏み切る決意をいたしました。

集合論とは、現代の数学の枠組みを記述する分野であり、数学の中でありながらどこか外から数学を見ているような、そんな分野です。どの専門分野においても、明示的ではないにしろ集合論のエッセンスが不可避的に含まれています。ジェイラボは"メタ"ることがコンセプトの一つであると勝手に思っていますが、ここで集合論を学ぶことは、数学そのものをメタることにつながるのではないかということで、まさしくジェイラボで行なうにふさわしい分野と言えるでしょう。

そんな集合論輪読を通じて、多様な立場にいる皆さんが何を思ったか、明日以降で聞いてみることにいたしましょう。明日はイヤープラグさざなみさんです。それではまた明日!

DAY 2

■イヤープラグさざなみ

数学書を読んでいく中で落とし穴となり得るのは、自分が理解したと思い込んでいる(が、実際はしていない)定義や、馴染みがあるものと酷似している(が、実際は少し違う)箇所だと感じました。難しいと感じた部分は何度も見直したり時間をかけて考えたりするのに対して、一度「ここは分かった!」と安心した部分は再度点検される機会がほとんどありません。しかしそうして見過ごされている点における自分の理解と「実際」の間の小さなギャップが、のちに致命傷となるのです。

そのことに気づいてからは、証明を読むときは、その中に出てくる全ての用語の定義を書いたリストを横に置きながらすることにしています。「分かった」と「分からない」を分けずに、機械的に全てを確認して初めて気づくことが多くあります。そうして全てをフラットな状態にならしてもう一度全体を見渡すと、やはりその中で「分かる」と「分からない」が出てきます。この段階で初めて「分からない」に集中して取り組むことができるのです。

経験上、「分からない」ところが分からないのは、自分で行間を埋めることができていないことが原因になっていることが多いです。数学書には全てが書いてあるわけではありません。紙幅の制約もあるでしょうし、そしてこちらの方がより核心をついた理由かもしれませんが、全てを書かない方が「美しい」からでしょう。一切の過不足なく記述された証明は、「〜は自明である」の一言で初学者を悩ませると同時に、議論の本質的な部分だけを抜き出し、その勘所を読者に提示するはたらきもしています。

「自明である」は、少なくとも私にとっては全く自明でなかったので、都度立ち止まって、なぜそれが成り立つのかを考える必要がありました。輪読の最中に、私に対する問いかけを交えながら一緒に証明を補完してくださったHirotoさん、ありがとうございました。リアルタイムの輪読ならではの経験で、大変勉強になりました。

数学書の輪読は、数学に限らず今後何かの勉強をするときに意識すべき態度を身につけるためのきっかけになりました。自分がした特定の経験から普遍的な学びを汲み取ることは、何とも気持ちいいですね。

DAY 3

■イスツクエ

輪読で良かった点は強制的に数学に取り組む活動が定期的に起こることです。確かにリアルタイムで参加できないこともあり置いていかれることもありますが、自分の発表が定期的に回ってくるため結局追いつくことができます。

また数学を人に教えることはしたことがありますが、発表することは初めてでした。全く違う経験でした。

集合論というものに出会えたことも良かったです。まず内容が単純に面白い。そしてHirotoさんも上でおっしゃっているように独立した1つの分野ではなく、数学の根本的な部分を学んでいるような感じで楽しかった。

DAY 4

■ていりふびに

輪読に使用している集合・位相入門/松坂和夫」は学生時代に授業で取り扱ったことのある本です。
仕事の都合などでがっつり数学を勉強する時間も取れていませんが、なんとなく頭に残っている内容のためギリギリ付いていけています。

一度学んだことのある内容ですが、学生時代にはなかった視点や気づきが多くあります。
学生時代は「置いてかれないようにしないといけない」、「理解しないといけない」というプレッシャーの中で本を読んでいましたが、
そこから解放されるとより広い視野が持てるようになりました。

ちなみに、社会人としての経験が数学力を強化している気もします。
数学に取り組んでいる時間自体は減ってきていますが、感覚が鋭くなってきています。
単純に年を取ってきているからかもしれませんが、、、

また、私にとって輪読の場はコミュニケーションの場でもありました。※過去形なのは最近参加できていないため
数学に関するコミュニケーションは無味乾燥なものに思われるかもしれませんが、私にとってはその人の考え方に触れられる良い場だと思っています。

DAY 5

■あんまん

特に数学を必要とするわけでもなく、大学でも数学を学ぶ機会を失った僕が数学部に所属している理由とは。

これまで数学を学んできた方はほとんど学校での“やらなければならない”ことだったと思います。義務としての制約から逃れてから数学に取り組んだことのある人はごくわずかだと思います。義務としての数学が難解になるにつれてドロップアウトしてゆくのが通例です。教育機関で数学を学ぶ機会を失った人は、よほど数学が好きでなければ、仕事などで要請でもされない限り、もうそれ以上数学の世界に関わることはないでしょう。だが、これで終わってしまうのはもったいない。義務としての制約から解放された数学は非常に面白いのです。
岡潔はこんなことを言っています。

「数学が上達するためには大脳前頭葉を鍛錬しなければならないのはいうまでもありません。しかし、その鍛錬の仕方が大切だということは案外に気づかれていないようです。ちょうど日本刀を鍛えるときのように、熱しては冷し、熱しては冷しというやり方を適度に繰り返すのが一番いいのです。」岡潔,春宵十話,数学を志す人に

大学受験を終えてからふと当時の問題にもう一度取り組んでみると頭を悩ませていた問題があっけなく解けてしまう経験をされた方は少なくないはずです。これは、受験期に熱せられた大脳が冷やされてより強固なものになったからです。

J LAB数学部には義務としての制約から解放された数学があります。風通しが良く、大脳を熱した後は冷す時間があります。そう言ったわけで僕はJ LAB数学部に所属しているのであります。

DAY 6

■Hiroto

イヤープラグさざなみさん。
一緒に輪読をしていて、「わからないこととわかることに切り分け」を潔癖なまでに意識されていることが感じられました。それが意識的かつ外部化された切り分けだと知って、今とても納得感があります。
その切り分けは経験により身体化され、慣れと勘である程度できるようになっていきますが、はじめはそのくらい極端に切り分けた方がスッキリすると思います。数学をする私に着目した、哲学部所属ならではの取り組み方であると思います。

イスツクエさん。
集合論と出会わせることができて、部長冥利に尽きます。とくに直近何回かの回におけるイスツクエさんの発表は、明らかに対象そのものへの興味が上がっていることが感じられましたし、やっていく中でテンションが上がっていく感じが僕も楽しかったです。

ていりふびにさん。
何周もしたのちに、広い視点と開放されたメンタルでまた見直す集合論は、また僕とは違った見方になると思います。ていりさんの発表では、「他の分野で例えるとこう」みたいなものが多くて、イメージと論理の行き来が多く、楽しいです。そういった語り口の由来は塾講師経験にあるかもとおっしゃっていたことがありますが、僕も学ばせてもらっております。ありがとうございます。こんなことまで含めると、たしかに無味乾燥ではないですよね。

あんまんさん。
そうです!義務に縛られない数学こそが、数学部のメインテーマです。内容よりもその雰囲気を大事にしたいので、そこに居心地の良さを覚えていただけてるならとても嬉しいです。僕も岡潔ファンなので、とても影響を受けている部分があります。数学は、人間がやるものである。その認識は岡潔を知ってから明らかに強くなりました。
今年度、数学部のはじめの活動は、「順序数」に関することに集約されます。

これは今までの集合論輪読の知識のもとで、皆さんが既知の「自然数」を根っこから構築する試みであります。

どうでしょう?ゼロベース思考を大事にするジェイラボっぽいとは思いませんか?ア・プリオリな自然数と、形式的にコーディングされた、数学の中での自然数。その差異と類似に着目できるような構成にしたいと思っています。
ただなぞるだけではそれこそ人間の要らぬ数学になってしまう内容だからこそ、数学における人間性(身体性)が浮き彫りになってくると、そう思っています。

今のところは、自然数→整数→有理数→実数→複素数と、今まで我々が素朴に信じてきたものたちを一旦すべて壊し(忘れ)、全てを再構築していこうと思っています。長い道のりですが、一点の曇りなく構築できたときの感情は、なかなか表現し難いものがあります。

「常識を疑え」とよく言われますが、それにしては1+1=2に疑問を持たぬ人間の多いこと多いこと。そんな人らを横目に、我々は狂った世界に足を踏み入れていくのです。

DAY 7

■Hiroto

そんな我々を外から見る部外の皆様へ。

WSにて、我々の一見狂気じみた活動の一端をお見せしていくことになろうかと思います。
正直なところ、内容で部外の皆さんまで楽しませることができる自信はありません。ですが、それを発表している我々を観察する(とくに座談会)のは、なかなかにスリリングな体験になるだろうと思います。

ぜひその際には、外から見た遠慮のない意見を我々にぶつけてみてください。我々も知らず知らずのうちに数学の"内輪"に入り込んでしまっていて視野が狭まっているかもしれません。皆さんの意見が数学部の今後を外側から決定していくのです。

そんなわけで、これからの我々にご期待ください。以上、今年度の数学部の活動に関するオリエンテーションでした。今年度もよろしくお願いします。

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以上がログとなります。本年度も数学部部員一同は、それぞれの立場から数学する事の良さを噛み締めながら、数学部の活動に邁進していこうと思っております。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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