社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 修士論文を執筆 教授から個人指導
2年目の秋である。中間発表会を終えて、その成果を元に修士論文を仕上げていかなばならない。52歳になっていた。世間では中間管理職か、そろそろ定年を迎える歳であるが。実際、これまでとは違う、人生の岐路に立っていた。この先、どうするのか。何がしたいんだ。がむしゃらに走った1年半であったが、闇に向かって突っ走っている感じは拭えなかった。それでも、一般から外れたレールにいることは間違いない。そう、周辺的に生きているのだ。教員の世界も若い時分に修士課程を取り、校務分掌も教務や進路指導と云えば中心的な扱いを受ける。その反面、50を過ぎて大学院に入り、生徒指導をやっているのはどちらかと言えば周辺的である。しかし、一つだけ云えるのは、研究が言葉の「ど真ん中」を突くという面では中心的である。修士論文のテーマは「through の多義記述に関する認知的アプローチ。」認知言語学という理論言語学のなかの学際領域で多義ネットワークが研究の中心となる。
高校勤務を続けながら修士論文を仕上げていく。文章にすれば平たいと感じられるが、当人にとっては相当なスタミナとエネルギーが必要だ。特に、僕のように1年契約で雇用されている人間にとっては、その年に何ができたかが勝負の分かれ目になる。早朝5時に起きては論文執筆に明け暮れた。運良く職場の同僚に研究肌に人が居て、僕に色々と知恵を貸してくれたものだ。努力を重ね、謙虚な姿勢を忘れないこと。そうすれば必ず同僚に恵まれる。
throughというたった一語の前置詞(副詞)ではあるが、探ってみると殊の外奥が深い。今こうして、文章を書いている自分も3次元空間を「通り抜けている」最中なのだ。指導教員とスクーリング後も月1回ペースで個人指導をお願いし、京都に出向いた。こういった学術的な行動を繰り返せるのも、年齢を重ねて大学院に入ったことがやはり理由だ。三原から京都までの往復道中。車窓から景色を眺めたり、あるいはひとり考え事をしたり。その間いつも脳裏をよぎったのは、1992年アメリカでの日々のことだった。
時間と空間を経て、自分は一歩を踏み出した。その勇努力努力があれば、多くの運を味方につけることができる。