自分の幼少期について書いてみる【5/365】
「家族とのコミュニケーションを増やす」を目的に、母親とnoteでコラボブログを行っております。本日で5日目です。
仕事が始まり、母、妹ともLINE上でしかやりとりできていないのですが、引き続き書いていこうと思います。
今日は、自分が産まれたときの話です。
産まれた瞬間のことなんて覚えてないですし、特に考えることもなかったので、これはこれでレアな経験だなぁ。と書いていて思っています。
亀谷家 長男の誕生
今は福岡に実家があるのですが、私は父親が茨城県に転勤中に産まれた子どもでして、茨城県土浦市というところで産まれました。
イラストを見て初めて知りましたが、午前9時22分に産まれて、体重2,964kg、身長は50cmだったようです。
将来、親には大変な思いしかさせないのですが、産まれた時は天使に見えたとイラストから読み取れます。本当に申し訳ないと思っています。
1歳半の頃に小児麻痺が発覚!
私の今の性格と人生をかなり左右するポイントなのですが、私は生まれつき右半身が不自由でした。
病名は小児麻痺と言いまして、足や手の筋が固くなって動かしずらくなったりする病気です。今、ネットで調べると1981年以降、発症事例がないと書いてあるので、何ともレアな体験をしているものです。
茨城には4歳まで住んでいて、その当時は父親、母親との3人暮らし。
近所のさと君と遊ぶほかは、ほとんどの時間は母親と暮らしていました。父親はほとんど仕事に行っていたため、あまり記憶にありません。私のずっと働いている仕事観は完全にここから来ています。
手足の麻痺のリハビリの一環として、2歳くらいからスイミングとピアノを習い始めました。今の音楽好きはここがあってのです。
ただ手も足もちゃんと動かないもので、このころはどちらもあまり楽しくなく、レッスン先の帰り道で買ってもらえたマックのハンバーガーをピクルス抜きで食べるのが楽しみで通っていました。
あまり細かな記憶はないのですが、この茨城にいた4年間は割と平和だったなぁという記憶があります。このあと福岡県直方市篇という、私の性格を完全に変える修羅の国へと引っ越すのですが、その話は、また明日書きますね。
現在、母とのコラボ企画を行わせていただいております。サポートいただいたものに関しましては、全て実家の母の創作支援費用として利用させていただこうと思っております。何かお礼できることがあれば考えますので、お気軽にご相談ください。いつもありがとうございます! かめ