ひとりでもぷりきゅあ

自分だけが特別だと思っていたかった。人と違うと思いたかった。普通じゃないところを探して…

ひとりでもぷりきゅあ

自分だけが特別だと思っていたかった。人と違うと思いたかった。普通じゃないところを探していた。凡人に思われるのが怖くて、才能が無いことに気づかれるのが怖くて、奇天烈なことをすることで自分を守っていた。でもそれをやめにすることにした。私は私で、勝負してみることにした。

最近の記事

(23)ルッキズム

九月二十八日  街ゆく人が、みんな幸せそうに見える。鏡に映った自分だけが不幸な顔をしている気がする。どうせ着たところで似合わない自分に失望するだけだ、と分かっていながらも、やはり洋服屋さんを見て回り、そしてやっぱり自分には着れない、と諦めて店を出る。なんで諦めるんだろう。なんで休みの日なのに自ら苦しまなければならないのか。こんな気持ちになるのならやっぱり服なんて見るんじゃなかった。  「ひとは見た目じゃない」という言葉は今じゃもうほとんど死語と化した。ルッキズムが蔓延し、少

    • 秋のプレイリスト2 鯨の子/Tale

      私が秋に聴きたいのは、あたたかくて、ほっこりして、平和で、優しい音楽だ。それでいて、少しノスタルジーなのが好みだ。 "君のタフさに全てを委ねないで。 自由を愛することをやめないで。 人を疑い憎み諦める事こそ、 賢いだなんて決して言わないで。" 全ての禁止の中に、自分自身を強く肯定してくれる優しさが含まれている。 君のタフさに全てを委ねないで。 自分のたくましさ、丈夫さに過信してはダメ。頑張りすぎる人に寄り添ってくれる言葉だ。 人を疑い憎み諦めることこそ、賢いだな

      • 秋のプレイリスト1 Flashback/嵐

        "どしゃ降りの雨も降らずに    薄い水色の空あの日  駅前あの小さな店で   終わりにした  冷めていく紅茶の中に   浮かび上がる窓の景色は   思い出くらい 甘く苦くて   切ないほど燃えていた" ゆったりとしたテンポと、柔らかいメロディーからはじまるイントロが夏の終わりと秋の始まりを同時に感じさせる曲だ。 先に引用したのは2番のAメロ。 私はいつもこの歌詞を聴きながら泣きそうになってしまう。いっそのこと土砂降りの雨が降って仕舞えば不幸になりきれるのに。大体「こんな

        • (22)鏡よ鏡

           九月二十六日  鏡に映る自分が可愛くなかった。 こうありたい、と描く自分とはかけ離れていた。  もう、全部捨てて、秋の海に飛び込んで、   明日仕事を休みたい。

          (21)玉ねぎ

            九月二十四日  玉ねぎって、ぐつぐつじっくり煮ると、形がなくなって、甘くなって、柔らかくなって、尖っていた味が丸くなって、美味しい野菜の出汁が出る。主役にならないけれど、居ないとだめ。どんな食材とも、たいてい喧嘩せずに共存出来る。いいなあ。玉ねぎ。すごいなあ。  私を煮込んだらどうなるかな。私も甘くなれるかな。玉ねぎみたいに甘く。柔らかく。でも、主役になれないのは、やだな。形がなくなっちゃうのもやだな。なんか、大人になるって、玉ねぎを煮込むのと似てるのかなあって思った

          (20)気まぐれ店主のBAR

          九月二十三日③  数か月に一度足を運ぶBARで、終電の時間を気にしながら飲んでいた。時間を気にしながら飲むお酒は幾分美味しさが減ってしまう気がするが、それでもやはり、このBARで出るお酒は悪魔的な美味しさがある。  嫌な気持ちにならない心地よい失礼をぶつけてくるこの店の店主は今日も健在だ。店主一人で営む店。他のお客が入ってきたら、私は即座に本を取り出す。日陰で生きる私には初対面の第三者と仕事以外で接することは苦痛だからだ。このBARで本を読もうとすると、いつも「目が悪くな

          (20)気まぐれ店主のBAR

          (19)オロナイン

           九月二十三日②  痒くないところも、一度搔き始めるとだんだん痒くなってくる。    「痒いところに手が届く」、とは「すみずみの細かいところまで神経が行き届く」という誉め言葉でしばしば使用されるが、痒い所に手が届いてしまう人の中に、かきむしって跡になるまでを想像している人がどれくらいいるだろう。跡になって黒ずんで、しばらく消えなくなったそれを、裸になって見られる時の恥ずかしさまで、誰が想像してくれるんだろう。痒い所に手が届いても、掻きむしらずに軟膏を塗る。これがこの慣用句の

          (18)potage

            九月二十三日  最近おなかがすいている。美味しいと思えないコンビニのおにぎりとシュークリームとチキンを食べている。満腹なのに満たされない。きっとお腹を空かせているのは胃袋ではなく私の心だ。なにかが足りなくて、その何かを探すために、満たされない何かを埋めるために私は今こうして文字を綴っている。お腹が空いている時はたいていなんでも美味しく感じる。いつもならハンバーガーかラーメンかお酒を入れるところではあるが、なんだか今日は、体に優しいものを入れてあげたい。  空っぽの心に

          (17)先の話。

           九月二十二日  朝方の落雷で目が覚めた。  急いで身支度をして、電車に乗った。電車の中で読む小説は春を生きている。春の風を想像して、胸が高鳴る。  秋の風が吹くと、クリスマスはどう過ごそうかと考える。春の風が吹くと、夏は誰と海に行こうか。どんな水着を着ようかと考える。いつも数か月先の季節を思って、私は取るに足らないことで思い悩んでいる。  しかしながら実際にクリスマスになれば今と変わらぬ自分が去年と変わらぬ風に夜を過ごすだろう。  今年は今と違う自分で、去年より素敵な夜を

          (16)エピローグ(仮)

          九月十六日  もう全て終わった話だから、心の中で言わせてもらう。本当は、何も考えずに愛したかった。好きだから好きなんだと言いたかった。ためらいもなく、大好きなんだと伝えたかった。思う存分甘えたかった。強がらずに、帰りたくない、離れたくないってわがまま言いたかった。地元のイオンのゲーセンで、おっきなぬいぐるみを取ってもらったこと。綺麗じゃないけど気前のいいおじさんのいる温泉の家族風呂で、ふたりではしゃいだこと。真夜中に私を拉致してヤンキーがたむろする山奥の夜景を見に連れていっ

          (16)エピローグ(仮)

          (15)「今度、CD持ってくるね」

          九月十五日  彼はきっと小説なんて読めるタイプではない。しかし、彼は私の本棚の中からおすすめの本を貸して欲しいと言ってきた。私は、何も起こらないけれど文章の美しい恋愛小説を貸した。のちに彼から聞く話によると、私は読んだ際に付けた付箋をそのままにして貸してしまったらしい(恋愛小説に付箋を付けて読むような人と思われたのが、人前でおならをするのと同等の恥ずかしさだった)。彼は付箋をめくりながらその小説をちびちびと読み進めているらしい。  『別れ際、「今度、CD持ってくるね」と彼

          (15)「今度、CD持ってくるね」

          (14)セミ

           九月一日 セミが静まった。コオロギの声が聞こえる。あんだけうるさかったセミが居なくなると、嫌でもその存在を思ってしまう。セミは短命だが、セミの声が聞こえなくなったあとに、私たちのこの夏は、この夏しかなかったことに気付く。 秋が来て、冬が来て、春が来て、また次の夏が来ても、この夏のセミの声を、私は忘れない。私ぐらいは、忘れないでいてあげる。

          (13)八月三十一日

             八月三十一日  夏休みが終わり、二学期が始まる前の、夜の生ぬるい風。熱くも冷たくもない、風。何かが終わって、何かが始まる。

          (12)終わりの合図

          八月三十日  自分の機嫌は自分でとる。これは生活の中で大切にしていることであり、大人のマナーだと思っている。  しかし、最近、強くてたくましくて、誰にも頼らずに生きていける女を、演じすぎた。あなたにかっこいい女だと思われたくて、自分が憧れる自分を演じていた。演じることで、本当にそんな女になっているつもりで、、ただ、寂しい思いだけが、私の胸にポツンと取り残されている。  頑張れ、そう言って欲しくて、彼に電話をかけた。電話口で、「もう頑張るな」と言われた。涙がジーパンの色を

          (11)無題

          八月二十五日  もう、振り回されるのをやめにしようと決めた。振り回す側に回ろうとするのもやめた。ただ、私が会いたい時に会いに行く。相手とは連絡をとらずに。待ち合わせの出来ない関係は不便である。しかし、不便が人の心を惑わす。かき乱す。どうか、あなたが、今日も楽しく笑えていますように。私のことを思い出さずに生きますように。

          ⑽宣戦布告

          八月十四日  私とあなたは、幸せの共有しかしてこなかった。振り返れば楽しい思い出ばかりが足跡のように私のうしろをついて回る。私はそれで良かったと思っている。むしろ、そうしようと思ってそうしてきたのだ。自分が辛いこと、苦しいこと、泣きたいこと、それを伝えていいのは、好きを引き返せなくなる覚悟が出来たときだと思っている。人は弱い。そして脆い。辛いときにそばに居られると、何かが変わってしまう。 良かった。 危なかった。 私はまだ、楽しいままだ。そろそろ楽しいままで終わろうと