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海外ロックフェス参戦記
序章 ~2013年9月23日
Rock in Rioの生中継が終わった。
ブラジルからのストリーミングとは思えない臨場感だった。
Iron Maidenの演奏と熱気、大観衆の興奮。その数か月前、私が初参戦した 英国ドニントンDownload FestivalでのMaiden体験がこみあげてくる。
Iron Maidenの公式SNSは熱いコメントが次々書き込まれ、全世界のファンが一体となり時を分かち合っている。
私もコメントを書き込んだ。ブラジルからの熱演にパワーをもらったこと、今病室にいること、そして手術を控えていること… 。
私はT大病院の病室で、オペの呼び出しを待っていた。
私のコメントには、見知らぬファンからの見舞いと何十ものLikeが次々付いていく。
そしてオペ室から、呼び出しが来た。
英ドニントン
パリ行きの深夜便が羽田を発った。
シャルル・ド・ゴール空港のストライキと季節外の嵐で欠航の恐れあり、との連絡に気を揉んだが、結局1時間遅れでテイクオフした。
早朝、パリに到着後、数時間のトランジットを経てイギリス、レスターシャーのイーストミッドランド空港(EMA)に着き、午前中には目的地ドニントンに入れる。往路はこのルートを選んだ。
デュアルの腕時計は一方を日本時間(JST)に、もう一方はイギリス時間(GMT)にすでに合せてある。サマータイムのイギリスは8時間のビハインドがあり、時差を見越してパリ便の機内では睡眠をとることにした。
ドニントンはネブワース、レディングと並ぶブリティッシュ ハードロックの聖地と言われる。 Download Festivalの前身のロックフェス、モンスターズ オブ ロックが1980年Rainbowをメインアクトに初開催されて以来、ロックファンなら死ぬまでに一度は訪れたい場所なのは間違いない。2013年のDownload Festivalは、3日間の中日にIron Maidenがメインアクトで出演することになっていた。
私は中学時代、NWOBHM前夜の頃ハードロックの洗礼を受け、きっかけとなったJudas Priestを皮切りにUFO、Scorpions、Led Zeppelin、Deep Purpleといったバンドを聴いてきた。とりわけ”深紫ファミリー”、Whitesnakeに在籍していたジョン ロードのキーボードに心を奪われた。この頃は知る由もなかったが、ジョン ロードの存在はこの後、私の人生に深くかかわってくる。そしてしばらくの後、日本に紹介されたばかりのIron Maidenに出会う。
当時はBurrn!誌も創刊以前で、ロック雑誌やラジオ番組、そして幸い東京在住でもぎりぎり視聴できたテレビ神奈川(TVK)の音楽番組が情報源だった。(もっともそれにも飽き足らなくなり、日曜は夜な夜な新宿ツバキハウスで開催されていたDJイベント、HMサウンドハウスに繰り出すようになったのだが!)
ラジオは貴重な情報源であり、ロック生活の”伴侶”だったと思う。私は国内ラジオ局に加え、貴重なライブ音源や最新のチャートが聴けるFEN(現在のAFN)、さらに遥かイギリスからキプロスの中継を経て届くBBCの短波放送を愛聴していた。毎正時に流れるビッグベンの生の音(ビッグベン内側にはBBCの中継用マイクが内蔵されている!)、続いて流れる海軍ソングの「ポーツマス」、私をイギリスに駆り立てる原体験のひとつだ。
高校に進むと財布を痛めること無く、より多くの洋楽を聴けるよう一計を講じ、レンタルレコード店でのアルバイトを始めた。その稼ぎと切り詰めた軍資金をもとに、初めてイギリスの地を踏んだのが1986年、 以降渡英を重ねたが、所帯を持ってから海外旅行自体ご無沙汰となっていた。
渡英したのは、理由があった。
2013年は年明けから体調がすぐれなかった。春まで仕事の都合がつかず、やっと受診できた時腫瘍はすでに7cm、腫瘍マーカーは基準値を振り切り、紹介先の専門病院で手術の予定が組まれた。数年前、仕事仲間が近い病気であっけなく亡くなったことを思い出し、手術まで先行する投薬治療の間、私は旅を決意した。
メタルフライト
早朝のシャルル・ド・ゴール空港はがらんとしつつも、爽やかだった。
空港ストを用心して荷物はスルーチェックインにせず、パリにて一旦受け取り自分で乗り継ぎ便にチェックインする。イギリスのイーストミッドランド空港に向かうLCCは、幸い同じターミナル内にゲートがあり、近距離線の発着する1階への移動だけで済む。時間に余裕が出来、朝食をとることにして、クロワッサンとオランジーナを買い込み、1階のロビーに移動した。クロワッサンはパリッとして香ばしく、コクがありおいしい。本場のオランジーナは日本のものより、意外にも甘みは控えめだった。窓の外のエールフランスの尾翼を眺めながら、朝食を終えた。
ゲートを確認にLCCのカウンターに行くと、画面を見ていた係員から「マダムの荷物はハネダからですね」と声を掛けられ、荷物は無事積まれるのだと安心した。LCCは遠方の駐機エリアでの搭乗となるのが常で、この便でもゲートからバスで移動する。
バス内は、黒いバンドTシャツを着たメタルファンであふれかえっていた。搭乗機は中型のプロペラ機で少し心もとなかったが、隣席のメタルファンは大丈夫だと力強く請け合ってくれた。フライトは2時間に満たなく、あっという間にドーバー海峡を超えイギリス領に入り、イギリスらしい緑豊かな牧草地が眼下に広がってくる。しばらくすると巨大な円筒の建造物が数本見えてきた。有名なレスターシャーの火力発電所だ。プロペラ機は程なく着陸した。
乗客は私以外、全員イギリス国籍で、パスポートは出すものの入国審査をすんなり通過していく。一方私は、LCCでは入国カードの機内配布がなく着陸後に貰って記入したせいで、全員が通過した後、ひとり遅れて窓口に向かう羽目になった。入国審査の定番、滞在日数と旅行の目的には答えたが、さらに質問が続く。
「滞在はどこか」「就業しているか」「どんな会社で、どれくらいの規模か」「結婚しているか」「家族状況は」「なぜ一人で来たのか」「イギリスに友達はいるか」と、“別室行き”ではなかったものの、隣の審査ブースの管理官も加わり問いは続く。最後の乗客が想定外にも一人旅の東洋人だったからなのか、入国管理官は緊張している。咄嗟の機転で復路の予約済の航空券を見せると係官の表情は緩み、入国スタンプが押された。やれやれ。
遅くなってしまった分、手荷物引き取りの待ち時間は少ないだろう、とターンテーブルに向かうとベルトコンベヤーは既に停止済みで、イヤな予感がする。見ると隣席だったメタルファンがいて「僕らの荷物は乗らなかったらしいよ」と声をかけてきた。バゲージクレームデスクの女性係員は
「通常ですとパリからは午後もフライトがありますが、あいにく今日は空港がストで欠航のため、荷物は明日の午前便にしか乗りません。ホテルに配送しますので。こちらの書類に住所と名前を書いてください」と言う。
「チェックインの時、撮っておいたトランクの写真です。色はブリティッシュグリーンで、ブルーのネームタグとベルトが目印です」
羽田のチェックインの際、用心しipadで記録写真を撮っていたが、まさかの展開になってしまった。
手荷物引き取りの出口で、別の係官に呼び止められた。入国にあたり荷物の検査をするとのことで、手荷物をX線の機械に乗せる。
「荷物はこれだけ?」
「トランクがロスバゲになって、今日はこの手荷物だけなんです。ジャケットやメイク用品やら、必需品がトランクの中なので、途方に暮れています」
「あなたならメイクしなくたって、大丈夫でしょう」
「そんなご冗談を」
どことなく係官がMaidenのニコ マクブレインに似ていることもあり、ついロスバゲを愚痴ってしまったが、片目をつぶりながら切り返してきたやり取りに、気持ちがほぐれた。
それにしても寒い。
パリでは感じなかったが、スリードッツの半袖シャツに薄手のセーターでは堪える。
イギリスの夏の寒さは以前の滞在で身に染みて、パッカブルのダウンを持ってきてはいるが、トランクの中だ。とりあえずホテルに行って、アーリーチェックインを交渉しようと、空港からタクシーに乗り込んだ。
つづく
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