このご時世にあえて転職して教員になった話①
私は就職氷河期世代、ロスジェネと呼ばれる世代。やがて50歳が目に見えて来た。
人生も折り返し地点。
関東地方の田舎で妻と2人の子どもと暮らしている。紆余曲折を経てサラリーマンから小学校教諭に転職した。現在はその経験を活かして教育業界で生計を立てる。
教員という仕事。小学校の教員という仕事に皆さんはどんなイメージを持っておられるだろうか。
ブラック、キツイ、安月給、モンペ、成り手がいない・・・
ニュースから流れてくるのはだいたいこんな話ばかり。
それはある意味真実で、ある意味違うかもしれない?!
ここでは、就職氷河期から仕事、働くことに馴染めないまま歳を重ねた私が、紆余曲折を経て教員になろうと志し、実際に採用されてから現在までの経過を書きたいと思う。
働く意欲が低い?働く=就職?
九州の片田舎のごくごく普通のサラリーマン一家に生まれ、何不自由なく育った。
小さい頃からクルマと歌うことが好きだった。
体育と裏表のある奴が嫌いだった。
90年代末。
上京し、東京の三流私大を卒業。
タイミング悪く、就職は超氷河期。
周りの友人たちが突如として就職モードになる中、流されるように漠然と金融、サービス、製造業など、入れそうで待遇の良さそうな会社を受けた。
当時は大学を出る、働く、つまり何処かに就職する、というルートしか頭になかったし、現職の教員なんて1ミリもなりたいとは思わなかった。
聞いたことがあるような有名な企業は片っ端から落ちた。
同期たちが次々にあまり聞いたこともないような会社から内定をもらう中、なかなか決まらない。
中には正社員を諦め、契約社員として働くことを決めた同期もいた。
焦る?もちろんそれもあった。
自分でも薄々は分かっていた。
就職なんかしたくない。なんなら働きたくない。なんでいきなり就職なんだ・・・
自己分析シート?
自分が何に向いているかもわからなかったし、能力を活かして誰かの役に立てるとも思えなかった。
突然、社会に放り出された私は戸惑っていた。
それでいて無駄にプライドは高く、自分は特別なんだと疑うことなく生きてきた。
そこには
甘ったれで、働く覚悟もない、
それでいて自意識過剰な
痛い痛い若かりし私がいた。
こんな面倒くさい若者を誰が雇ってくれようか。
と、今なら理解できる。
結局、運良く、中壁の電機メーカーに就職を決め、安心安定の人生を手に入れた。
かと思いきやそうではなかった。
ここから私のジョブホッパー人生が始まるのだった。
続きます。
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