メンタリストDaiGoの問題について(3)企業のあり方について


(1)論争の勝ち負け

 学生時代、たくさんの議論や論争をした。相手は党派左翼、右翼、宗教団体の学生組織員、ノンポリ、マニアなど。論争をして勝ったという記憶がない。みんな負けた。

 それは、私が自分の言いたいことを一所懸命伝え、相手の考えていることを一所懸命に理解しようするのに対し、相手は、自分の言いたいことを一方的に言うだけの人間が多かったからだろう。特に組織を背負っている人間は、組織の言葉で語るから会話にならないことが多い。論争の最後の方になると、相手の考えていることが分かり、こちらの一方的な論理を押し付けらけられなくなり、こちらが沈黙してしまうと、相手は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。あるクラスの友人と論争した時に「橘川は、詩人だからな。自分の思いついたことをただ語っているだけなんだよ」と言われ、「それはお前だろう」と言いかえせなくて、悔しい思いをしたことを覚えている。

 オウム事件の時に「ああいえば上祐」と言われた上祐史浩がマスコミに登場して、どんな質問でも、彼一流の論理で論破して(ように見えるだけだが)いた。彼は、早稲田理工時代に、英語サークルで英語ディペートの名人だったと言われていた。「そうか、ディベートというのは、相手の気持ちを無視して、一方的に自分の論理を押し付けるだけなのか」と改めて、思った。(本当はそうではないのかも知れないが、上祐の手法はそういう風に見えた)

 その後、インターネットがはじまり、2ちゃんねるが登場し、YouTuberが登場した。たくさんのカリスマが生まれたが、「ああ、上祐がこの時代に生まれてたら、ものすごいフォロアーのYouTuberになったかもな」と思ったことがある。大半のネットカリスマは、他人の意見に耳を傾けることなく、自分の論説を一方的に押し付けるだけの技術と体質を持っているような気がするのだ。そして、自分の論説を押し続けることを「論破」と呼ぶ。そもそもそんなの最初から「議論」になっていないと思うのだが。

 メンタリストDaiGoもまた、「孤立した個人」が他者の存在を認識することなく、一方的にネットの上で叫び回る。彼にとって、情報や意見は、生身として存在している人間ではなく、書籍やネットにあふれている死体のような情報でしかない。血の通わない情報をいくら吸収しても、具体的な人間のぬくもりには到達しない。

(2)DaiGo型企業

 日本の企業が80年代のバブルを経て失墜したのは、企業というコミュニティの構造そのものが変質したからだと思っている。バブル以前の日本の企業は、ワンマン社長の存在があったことを含めて、アジア型の家父長制家族の形態をとっていた。社員は家の発展のために努力し、家長である社長は子どもたちである社員のために先頭にたち、組織が崩壊の危機にある時は、私財を投げ売ってでも、家を守ろうとした。そうした封建的体質には多くの問題が内在していたが、少なくとも、戦後の企業共同体は「みんなで豊かになる」という企業構成員全体の共通意識があった。

 それがバブル以後に、組織の効率主義が進み、欧米型の個人主義的な組織論が導入された。それぞれがそれぞれの役割を効率化してコストダウンと利益の最大化を要求された。企業組織としての共同幻想が失われていった。

 その時代に現れた新興企業の多くは、社長の利益の最大化のために集められた機能としての社員という扱いになったと思う。それはそれで時代のニーズに対応した結果だと思うが、組織が崩壊の危機になった時、そういう社長は、自分の資産を抱えて最初に逃げ出していく。

 成功したというベンチャー経営者も、「孤立したままの個人」で他者は道具のような存在でしか感じられず、ガードマンに守られるような生活をしている人もたまに見かける。何が幸福なのかという問いすらからも隔絶しているように見える。「孤立した個人」のままの「寂しい勝ち組」がたくさんいる。

 戦後社会の中で生まれた、SONYやダイエーに集まった人たちは、盛田ー・井深、中内という親父を信頼して、親父のために頑張るという集団であった。親父は子どものわがままは許さなかったが真摯な意見を汲み取る度量があった。その頑張りに親父たちは報いた。それは市場に対しても、顧客の意見や感情を懸命に汲み取りながら、新しい商品を開発・発表していった。

 今の日本の新商品や新サービスを見ていても、なにも「わくわく感」が生まれないのは、企業が、少しも、私たち生活者の方を向いていないからだろう。自分たちが、小さな世界での思いつきを一方的に押し付けてくるだけの「上祐型ディベート」の商品ばかりに思えるからだ。

 つまり、企業組織の内部も、マーケット構造そのものもコミュニケーション不全に陥っているのだと思う。さまざまな組織論の本が出ているが、頭で考えた死体の知識ばかりが膨らんで、眼の前の生身の人間の気持ちを汲み取ろうとしていないのではないか。それは、勉強すればするほど、現実の生きている社会のリアリティに対する想像力が奪われる、DaiGoのようなYouTuber経営者になっていないか、一度、考えて欲しいものだ。

 日本の戦後の豊かな商品社会は、優れた企業内技術者と大衆のリアリティに向かい合った企業内マーケッターとによって築かれたと思う。しかし、バブル崩壊以後の、日本の企業の内部コミュニケーションの不全化は、すさまじいものがあるように見える。

 企業もまた、学校が受験戦争を目的化したように、今期の経常利益を追求するだけの装置になってしまった。そこでは、当然、いじめ(パワハラ)や登校拒否(会社うつ病)が多発する。

 バブル崩壊以後、国際マーケットに飛躍するチャンスがあったのに、日本の企業は、それまでの成功体験を自己否定し、欧米型の効率経営にシフトしてしまったように思う。私は、ある企業に、「日本のこれまでの成長は日本型マーケティングの力だから、中国にドウハウスみたいな装置を作るべきだ」と進言したが、流されてしまった。

 韓国のサムソンが世界で成功したのは、優秀な新人社員を世界各地の支店に配置して、その国の生活慣習や言語や文化を学び、現地の人とコミュニケーションしながら得た感触を、本社に報告して、その国に合わせた商品開発をしたからだと言われている。日本は、自分たちの製品が優秀だからと、日本と同じ仕様の商品を売り込んだ。それがうまくいかなくて、少しは現地のニーズに合わせたカスタマイズを行ったが、サムソンのように、組織全体としてマーケティング構造を築き上げることまではしなかった。

 明治になって、日本の近代化がスムースに進んだのは、江戸鎖国時代に育った農村文化を、そのまま都市の企業組織に移植したからだと、故・林雄二郎から学んだ。日本の近代企業は、外形的には西洋から学んだスタイルであるが、内実は、旧来の農村コミュニティの中にあった、共生の原理や、無駄を省き少しずつ技術改良する手法だったり、普段は黙々と働くが、ハレの日は、祭りのような全員参加のイベントを用意したりした。

 社会は、それまでの社会のエッセンスを吸収して、次世代の社会の構造とマインドに内包させていくものなのだ。戦後社会の成果を否定して他の国の方法論を導入しても、うくまいくわけがない。むしろ、戦後社会の負の要素だけ吸収した、表面的には合理的な組織になりつつあるのが、現代の日本社会なのではないか。

 やりなおしやりなおし。もういちど、1985年のバブル崩壊以前に立ち返って、本来の日本社会が進むべき道を新しく歩みはじめるしかない。


▼戦後企業の組織構造の変遷は、「森を見る力」(晶文社)で、まとめてありますので、関心ある方は、ぜひ。

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メンタリストDaiGoの問題について(1)失ったものを回復する道


メンタリストDaiGoの問題について(2)教育の現場について


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