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出版新時代15 75歳の誕生日に
(1)社会的ソフトウェア
私が林雄二郎から引き継いだテーマは「社会的ソフトウェアとは何か?」である。林さんは晩年、この言葉をテーマにして勉強会を開き、会えば、話題にした。「情報化社会」という言葉を作った林さんは、近代社会の次に現れる時代の光と影を同時に見ていた。その光景の中で、「人はどのように生きればよいのか」を考え続けてきたのだと思う。封建時代であれば共同体の規範に沿っていきればよかったし、近代社会であれば生産の量と効率を追及する組織のルールに従えばよかった。しかし、個人と個人がフラットなつながりの中で成立する情報化社会においては、「共同体の規範」も「組織のルール」も蜃気楼のように一時的なものである。
1970年代の後半に林さんの著作を読んで、これは未来を生きる私(たち)への手紙だと思い、反射的に返信を書いた。そして、当時、編集長をやっていた全面投稿雑誌「ポンプ」を同封して送った。すぐに連絡があり、出会い、40年近くを友人として過ごした。
林さんは会ったばかりの時に「ファンクショナル・コミュニティ」という言葉を教えてくれた。80年代初期、当時の私の事務所に来て、講義をしてくれたのだ。ひとりひとりが自律した存在であり、それらがFunction(機能,用途,目的;役割,任務)に応じて成立する未来の社会を「ファンクショナル・コミュニティ」という概念で示してくれたのだ。
全体像は描けた。あとは、その中での人間のあり方、生き方をどうするのか、という問題意識を持ち、それを「社会的ソフトウェア」という言葉で論理化しようとしたのだと思う。残念ながら、林さんがご存命の間に林さんが納得する回答を獲得することは出来なかった。林さんの想いを引き継ぐ私たちが追及しなければならないテーマである。
(2)文明と文化
林雄二郎から、いただいた最大のヒントは「文明と文化」の比較である。林さんは「文明は人に利便性を与え、文化は人に主体性(アイデンティティ)ょ与える」と教えてくれた。パソコンは人に利便性を与えてくれたが、パソコンで何を表現するかは個人の主体性にかかっている。
私は2024年、紙の雑誌「イコール」を創刊した。これが実現出来たのは、諸物価高騰の折に、実は、印刷費というのは驚くべき低価格化が進んでいるのだ。なぜかというと、例えば1970年代の印刷のプロセスは、原稿を書き、それを写植か活字で組んで、製版フィルムに撮影し、PS版に焼き付けて、印刷機で印刷した。今は、著者がデータを入力し、パソコンでデザイン、版下制作、製版作業を一気通貫で行うDTP(Desk Top Publishing)によって、印刷以前のプロセスが発注者自身で出来るようになった。ネット印刷屋にデータを渡せば、プリンターと同じような金額で納品される。
70年代であれば通常の出版社の感覚で言えば雑誌の創刊は数千万円、大出版社であれば数億円の先行投資の必要な事業であった。しかし、私は、お金も経験もない音楽雑誌ロッキング・オンの創刊から出版をはじめたので、逆に大口の資金を用意されると能無しである(笑)。
印刷費を仲間たちの支援で融通出来るなら、あとは、ロッキング・オンと同じように書きたい人間だけを集めけばよいのだと思った。
私は創刊雑誌の喜びと、雑誌を運営していく中で、参加者一人一人が緊張感の中で成長し、更に、リアルな共同体だけの関係では絶対に出会えない、雑誌というメディアを通しての素晴らしい出会いを知っている。私の人生の喜びを、仲間にも知ってもらいたくて、複数の責任編集長にして、更に、多くの予備軍的なミニコミの発行を促してきた。
私の活動を一番、ほほえみながら見てくれているのは天国の林さんだと思う。
(3)人類史と個人史
私たちは大きく2つの時間軸を内包しながら生きている。一つは人類史という文明の時間軸である。もう一つは、自分が生まれてから死ぬまでの個人史という文化の時間軸である。文明は世代で継承されていくが、文化は個人の人生の中でしか表現出来ないし、決して継承出来るものではない。デビッドボウイの歌や声や生き方は、彼が生きている時の表現だからこそ価値があり、亡くなれば音楽の文明史の中でベートーヴェンやビートルズの歴史の中に吸収される。
私たちの技術の文明史の中でコンピュータを生み出し、AIに発展させた。しかし、これは文明史の中での出来事である。サム・アルトマンが、「AIは人類の情報の大半を吸収してしまったので、これからは精度をあげていくしかない」と新聞のインタビュー記事に答えていた。中国のDeepSeekは「蒸留」という言葉を使った。AIを生成して新しいAIにしていく。技術の進歩というものは、後退することなく前進していく。
(4)湧き水としてのイコール
「イコール」を創刊する時に「この雑誌はAIで作られたものではない。AIに食わせるために作ったのだ」と書いた。今、ますます、その思いが強い。先日、蜃気楼大学で渕上周平からAI状況の中で雑誌を出す意味を問われたので、「イコールは生成でも蒸留でもない。湧き水だ」と答えた。
グローバルに広がりつながる近代文明社会の到達点にAIがある。「イコール」は、そういう状況の中で、個人の想いという文化の源流から染み出す湧き水の言葉を集めて大地に流していく。
個人の中にこそ歴史の源流があり、世界中の人たちが国家や組織の言葉ではなく、自分の想いを静かに世界の大地に染み渡していくことしか、戦争のない世界はありえないのだと思っている。林雄二郎が目指した世界を、私も目指していく。
★タイトル画像はかふあさんの深呼吸カルタのイラストてす。
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