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人生で一番幸せな夜は今夜かもしれない
みなさん 旅行お好きですか?
実は私、国内47都道府県のうち、1つの県以外は全て行ったことがあるんです。
深く印象に残っている地域もあれば、印象の薄いところもあります。
多くの方は時間とお金があれば、いろいろなところに行きたいと思われると思います。
今の私はもうどこかに行きたいとは思わなくなりました。
身近なエリアで、限られた人間関係に満足しています。
たくさん旅をしたから満足したのか、趣向が変わったのか、自分でも分かりません。
ただ、私が暮らしているところは、瀬戸内海に面しており、太平洋にも日本海にも2時間のドライブで行けるところなので、日本全国で体験したロケーションと同じレベルの自然が身近にあると言うのもポイントだと思いま
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す。
そんな私でも、もう一度あの夜を過ごしたいなーと思う、そんな夜があります。
でもそれは特別な夜ではなく、普通の夜だっだりするのです。
人生って案外そんなものかもしれません。
雨の夜 沖縄にて
沖縄本島には随分通いました。
仕事が中心でしたが、人間関係ができたので、個人的にも何度も伺いました。
滞在地は沖縄市です。
通称「コザ」と言われ、嘉手納基地第2ゲートに面しているので、週末にはアメリカの軍人さんが大挙して街に繰り出すエリアです。
英語で書かれた看板が多いので、異国情緒満載で、アメリカにいるような気分になります。
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ここは、戦後アメリカ統治下の沖縄の歴史を刻んでいる町です。
「コザ暴動」と言われる、昭和45年に起きた、アメリカ軍人が起こした交通事故に端を発した、アメリカ施政下の抑圧、弾圧、人権侵害に対し、市民が立ち上がった無血暴動の地です。
本土の我々が知らない、抑圧された沖縄の歴史がここに刻まれているのです。
私は昭和38年生まれです。終戦が昭和20年なので、世界大戦が終わって18年後に生まれました。
コザ暴動は昭和45年の事件です。私が生まれて7年後の事です。
沖縄がアメリカの施政下から日本に返還されたのが昭和47年です。
県民の4人に一人が命を落とした沖縄戦。日本の敗戦を決定づけたこの戦い以後も、沖縄の人たちは27年もの間、本土から見捨てられ、弾圧に耐え続けていたのです。
最近「コザ暴動」の語り部の一人からこんなことを聞きました。
我々が「コザ暴動」として語り継いでいる歴史を、最近のメディアは「コザ騒動」に書き換える。暴動という言葉が暴力的だから、騒動に書き換えているらしい。だがあれは暴動なんだ。そして暴動で沖縄県民が示した誇りが、無血であったことさ。アメリカの誰一人傷つけてはいない。
抑圧される側が、その真意をくみ取られることなく、権力側の都合で大切な心を黙殺される。
今なお続く沖縄への抑圧だ。
コザ暴動から38年後、45歳の私は暴動の地を訪れた。
目的があったので、詳しい地元の人を探した。
滞在拠点としたホテルの社長から話を聞き、そこから蜘蛛の巣のように人脈が広がった。初めから社長を起点にすることを決めて、そのホテルを選んだのだが、絵に描いたように人脈作りに成功した。
今は亡き 社長には、本当に感謝しています。
社長のおかげで、私はコザで人生の有意義な時間を過ごすことができました。
コザは人と文化の交差点のようなところです。
戦後、コザの人たちは本土から見放され、アメリカから抑圧された状況下をたくましく生き抜きました。
私のコザでの食事は、朝は「ゴヤ市場」で「沖縄そば」と「ムーチ」をほおばって、10時のお茶はインド屋のビクターさんにチャイを入れていただ。中央パークアベニューのチャーリー多幸寿の「タコス」でランチを済ませ、夜はパルミナ通りのサムチャイで「フライライス」にナンプラーをかけて食べた。
もちろん沖縄ですから「ゴヤ市場」や「農連市場」「銀天街」で「チャンプルー」や「沖縄おでん」など郷土料理にも不自由しない。
多種多様の食生活で常にお腹は満たされていました。
夜は決まってカフェバーに行った。
約束などしなくても、必ず地元の知り合いに会える。
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今は閉店しているこのカフェバーは、私にとってコザのサンクチュアリーのようなところでした。
いろいろな地元の人との出会いがありました。
いつも新しい出会いに満ちた場所でした。
ゲート通りのスナックではアメリカ兵が歓喜の声をあげている。
通りは白人や黒人が、自分の国のように自由に徘徊している。
カフェバーはゲート通りからは奥まった「パルミナ通り」にあり、大通りの喧騒は届かない。
ある夜の事だ。
そぼ降る雨という表現が、まさにふさわしい夜でした。
いつものようにカフェバーに座った私も、店主の女性も、その日は言葉少なでした。
沖縄の言葉で「うりずん」という季節を表す言葉があります。
梅雨入り前、沖縄で最も過ごしやすいといわれる季節です。
その日は珍しく他の客が来ません。
二人でボソリ、ボソリと話しながら、そこに流れる時間を楽しんでいる。
「こんな夜がいいね」
「今日はだれも来ないですね」
「今夜はこれでいいよ」
そんな うりずんの夜でした。
沖縄の壮絶な歴史を刻んだ地で、コザの おじい や おばあ が築いてくれた平和な夜を、私は店主と二人で、ぽっかりと宇宙空間に漂うような、そんな夜でした。
人生で経験できる、最高の時間は、何でもないときに訪れ、記憶に刻まれるものなのかもしれません。
あなたの人生で最高の夜は 今夜かもしれませんね。