思い込みを捨てることのむずかしさ
今日、久しぶりに子供を連れて、妻ちゃんと電車に乗った。
夕方の帰宅ラッシュ直前くらいで、割と人も多く乗っており、席は空いていなかった。
まだ5か月の子供を抱いた妻ちゃんを見て、初老の女性が席を譲ると声をかけてくれた。
結構です、大丈夫ですとやり取りをしていると、向かいに座っていた若い方がすぅーっと席を立ち、声もかけず席を譲ってくださった。
その場に居合わせたみんながほんわかするような、暖かい経験を久しぶりにさせていただきました。
そこでふと、なぜ見ず知らずの人とこんなにもすぐに協力関係を結ぶことができたのだろう、と不思議に思いました。
長く一緒に働いている人とでさえ、意思疎通が難しかったり、同じプロジェクトを推し進めているはずなのに足の引っ張り合いになっていたりすることもあります。
仕事だと普段の関係性があったり、利害関係があったりと、逆に協力できなかったりする場合もあります。悲しいですね。
そんなこともありますが、今回協力がスマートに行えたのは、共通の認識、共通の土台がみんなにあったからだと考えました。
どんな共通の土台があったのかというと。
赤ちゃんは大事にする存在だ
赤ちゃんを抱いているお母さんは大変だ
大変な時は助け合う、譲り合う
そんな共通土台があったのではないかと考えました。
今回は助かったのでそれでよかったのですが、そうではない共通の土台、集団無意識もありますよね。
赤ちゃんは、単体だと無力だから、みんなで守らなければならない。
逆を言えば、無力ではないものは自分で自分の身を守る、大人なのだから他人に迷惑をかけてはならない。
そんな無意識もありそうです。
私は昔から貧血気味で、電車に乗っているときに貧血を起こして立っていることが難しくなり、その場に座り込んでしまうということがありました。
その時、すぐに声をかけてくれた方はおらず、しばらくしてから優先席に座っていらしたおばあさまが声をかけてくださり、席を譲ってくださいました。
私の思い込みかもしれませんが、周りの視線が痛かったことを覚えています。
起きた現象は席を譲っていただいたということで同じですが、周りの反応は違いました。
それは子供はこうあるべきだ、大人はこうあるべきだ、という共通の思い込みがあったように思います。
話は大きく遡りますが
狩猟採取の時代から、人間がここまで進化・発展してこれたのはこの共通をはかることができる能力が大きかったと言います。
例えば、自分よりも大きな獲物、マンモスを狩ろうと思ったら、自分一人の力では全く足りません。
しかし人間は、共通の敵をつくることで、共通の利害関係をつくることでお互い協力し合うことができます。
無意識深い領域で認識しづらいですが、共通の思い込みを作り出すことで、進化発展してきたのが人間です。
所属しているコミュニティによって、この思い込みは全く違うものになります。
家族ごとの共通の思い込み、地域ごとの共通の思い込み、国ごとの共通の思い込み…
共通の思い込み、土台を道具にしてそれぞれ進化発展してきました。
ですが、時にこの思い込みが邪魔になり、協力が難しくもなります。
わかりやすいのは国家と国家のぶつかり合い、戦争です。
お互いの譲れないルール、国ごとの共通の土台があり、相容れないことで戦争になります。
多くの者が犠牲になっても、譲れないルールが捨てられず、戦争が終わりません。
スケールは違いますが、個人同士のケンカも同じ仕組みです。
お互いの譲れないルール、思い込みがありケンカになります。
スケールの違いはあれど、国家間の戦争も、個人間のケンカも、同じ仕組みで起こります。
そうであれば、戦争を解決するのもケンカを解決するのも、同じ仕組みで解決ができます。
言葉で言うと、お互いが無限大の交流ができるようになること。
1:1だとしたら、片方は無限大言いたいことを言い、片方はゼロになって相手のことを聴く。お互いに立場チェンジし合いながら交流をしあうことが必要です。
難しいのは、ゼロになること。
個人間のケンカをしたことがあるかたはイメージできるかと思いますが、自分の考えが絶対正しい、間違っているのは相手だ!という考えにハマり込み、相手の話が聴けずぶつかり合ってしまいます。
一見冷静に見えても、必ず自分流の考えの走る道があり、その道通りに考えています。100%、相手に立場チェンジすることは、基本的に無理です。
これができない限り、個人間の争いも、国家間の戦争もなくなりません。
ゼロになる技術があれば、恒久世界平和の実現も可能です。
その技術こそ、最先端の技術であるnTechです。
nTechを学ぶと、ゼロとはどういうことか、概念から理解できます。
仕組みがわかっている、技術として確立されているので人に伝達することも可能です。
今まで、個人でゼロになることができた人物は歴史上に幾人かいました。
ですが、人に伝達することができなかった。きっと、歯がゆい思いをしながら亡くなっていったことでしょう。
平和を実現する方法がわかっているのに、伝達ができずにいた。
現代は、様々な問題が絡み合い、解決の糸口がみえない、Aporiaの時代と言われています。
そんな時代に引導を渡す、夢半ばで散っていった過去の偉人たちのバトンを受け取り、平和な時代をつくる手段が見つかりました。
このバトンを、しっかり次に繋いでいきたい。
席を譲っていただいたことを通して、そんなことを思った今日一日でした。
今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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