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『マンガで分かる心療内科』や『真実のカウンセリング』と「ビジネスエリート右翼」と「バラモン左翼」の関連を探る


https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b

この記事の注意点などを記しました。

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@hg1543io5
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注意

これらの重要な展開を明かします。

漫画

『マンガで分かる心療内科』
『マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編』『真実のカウンセリング』
『マンガで分かる心療内科 うつを癒す話の聞き方編』
『マンガで分かる心療内科 依存症編 酒・タバコ・薬物』
『マンガで分かる心療内科 依存症編 ネット・スマホ・ゲーム・ギャンブル・ポルノ』
『マンガで分かる肉体改造 糖質制限編』
『マンガで分かる肉体改造 糖質制限&肉食主義編』
『キミのお金はどこに消えるのか』
『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』
『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』
『逆資本論』
『クレヨンしんちゃん』
『新クレヨンしんちゃん』
『実はヤバい実験心理学』
『左ききのエレン』(少年ジャンププラス)
『喰いタン』
『決してマネしないでください。』
『うえきの法則』

テレビアニメ
『クレヨンしんちゃん』

小説

『ソリトンの悪魔』
『二重螺旋の悪魔』
『海賊とよばれた男』

テレビドラマ

『グランメゾン東京』
『日本沈没 希望のひと』
『A LIFE 愛しき人』
『ブラックペアン』

はじめに

 以前日曜劇場が、私の調べた立憲主義と積極財政の観点から、国民や労働者の権利を軽んじて、現代日本の苦境を個人や民間の努力不足のせいにする傾向を持ち、『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』で紹介された「ビジネスエリート右翼」と関連しているとまとめました。
 今回は、ゆうきゆうさんの漫画、特に『マンガで分かる心療内科』や『真実のカウンセリング』も、近年は、患者などの「弱者の努力不足」ばかり責めて、政治への批判をそらす傾向があるので、「ビジネスエリート右翼」との関連を考えました。

 個人の描く漫画なので、日曜劇場に比べて気が引けるところもありますが、どうしても書きたいので、ここにまとめます。

 なお、ここでの「弱者」とは、政治と経済、つまり法律と金銭に関する社会的な弱者、国家に対する国民や、経営者に対する労働者などであり、ジェンダーや宗教にはあまり触れません。
 私は社会の要素を法律、貨幣、遺伝子、文化で区切り、それぞれ政治、経済や職場、恋愛や人種、宗教になると考えています。

2024年3月30日閲覧

肯定している点

 念のため申し上げますと、ゆうきゆうさんの主張にも同意するところ、称賛したいところはあります。

https://yakb.net/man/133.html

2024年3月30日閲覧

 人を傷付ける言動を繰り返して「自分はSだから」と正当化する人間を女性が鞭で打ち、「(Mの)人を気持ち良くさせてこそSよ」と言うのには同意します。相手がMのときにしかSになってはいけないというのはもっともです。法的にはともかく、漫画の中でなら説得力のある行動です。

https://yuik.net/man/50661.html

2024年3月30日閲覧

 また、世野が「自然派」をうたう人間に「本当の自然は過酷な地獄よ」と言うのにも同意します。私は自然を手放しに肯定する言動に違和感を大いに持っていたので、これは重視します。
 通り魔が「誰でも良かった」と言いながら強そうな人間は狙わないという批判ももっともであり、参考にしています。

2024年3月30日閲覧

「ゲーム」の規制については、ゆうきさんの方に同意する

 さらに、井上純一さんの経済漫画を参考にゆうきゆうさんの漫画の主張を批判する方針がこの記事にはありますが、逆に井上さんよりゆうきさんの方が正しいと思うときもあります。
 井上さんは経済学の参考に、「ゲーム理論」を挙げて、自身やお子さんがゲームをするのを正当化していましたが、さすがにこれは「ゲーム違い」だと考えます。
 「ゲーム理論」は複数の人間などの選択の組み合わせにおける利益を計算するもので、経済学や生物学で使われますが、さすがに医学の依存症などで問題になるゲームとは異なるはずです。
 「ゲームをしても他のゲームの能力は上がらないし、かえってマルチタスクなどの集中力が下がった」というゆうきゆうさんの主張の方が正しいと考えます。

「自己破滅のためのアルコール摂取は依存」というのは厳しいけれど正しい

 『クレヨンしんちゃん』原作で恋人の亡くなった幼稚園教員のまつざか梅が、「自分の体をいじめ抜いて、お酒で内臓もボロボロにして、もうすぐあなたのところへ」と、職場で飲酒したのを、「アルコール依存症」と言われて処分されそうになりました。
 しかし、恋人の死という事情は『マンガで分かる心療内科』では描きにくいでしょうし、劇中の死者と言えば好蔵の妻ぐらいなのですが、参考になるところはあります。
 「自己破滅を望むので飲酒するというならば、硫酸や砒素を飲めるのか」という心内の批判は、厳しいけれども正しいと考えます。
 目的が自己破滅であろうと、直接的な毒ではなくアルコールを選ぶのは依存しているという「事実」についての推測は、まつざかについても正しいと言えます。
 『クレヨンしんちゃん』劇中の「処分をどうすべきか」という意見や、批判する側も職場で飲酒したことがあるかにかかわらず、です。

ニーチェの哲学は、「弱いものいじめ」になりかねない

https://x.com/hg1543io5/status/1679447353797885954?s=46

2024年3月30日閲覧

 しかし、問題視しているところもあるので、ここからは、『マンガで分かる心療内科』と『真実のカウンセリング』についての否定するところを説明します。

 『マンガで分かる心療内科』で、ニーチェの「キリスト教徒が迫害されて、天国での救いを求めるところから、弱者こそ救われるべきという奴隷道徳が発生した」という記述があります。
 しかし、これを「この希望の減っている時代」、「不況」を奴隷道徳のせいにするのは、単なる「弱いものいじめ」だと考えます。
 まず、井上純一さんの漫画で、「日本は豊かな国なので貧しいのは自己責任」、「中国にはもっと貧しい人がいる」という主張に対して、井上さんは、「ここ20年で中国が経済成長して、日本がそうならないのは、日本人が怠けていたからですか?」と反論しています。
 日曜劇場についての記事でも書きましたが、30年前や外国と比べて、現代日本だけが経済成長せず不況なのを、日本人の努力不足のせいにするのは明らかにおかしいはずです。
 ニーチェの奴隷道徳も、『マンガで分かる心療内科』で言うところの「誹謗中傷する人間は低収入の人間ばかり」という統計ならともかく、現代日本で突然「末人」ばかりになり努力しなくなった、30年前までの日本や外国には「末人」が少なかったというのはおかしいでしょう。
 この30年間でインターネットにより誹謗中傷は増えたかもしれませんが、それならば世界中でネットにより「末人」が増えて不景気になるはずです。

「ケアの倫理」も「奴隷道徳」ではないのか

 また、『マンガで分かる心療内科』で、ハインツのジレンマを踏まえて、「あなたがよく考えた上で、誰かを致命的に傷付けることがないのなら、胸を張って良い」と心内がかつて言っていたのも、ニーチェの哲学からすれば「人を傷付けないことが大事だという奴隷道徳」ではないのでしょうか。
 『マンガで分かる心療内科』の心内の発言は、無関係な理論や哲学を次々に挙げるために、矛盾を起こしている可能性があります。

世野真実の論理なら、心内療のアドラー心理学も「万能ながら無力」になるはずである

 他にも、『真実のカウンセリング』の世野真実と、『マンガで分かる心療内科』の心内療の発言は矛盾がちらほらみられます。即興で反論しにくい台詞を言う世野と、比較的長いページで理論を立てる心内の方針の差異もあるでしょうが。
 まず、世野は、「何にでも通じる魔法の言葉がある。人による。何も生み出さないけれど」と言っています。しかし、ならば心内のアドラー心理学はどうなるのでしょうか。
 「原因なんかに意味はない。辛い目に遭ってもみんなが行動出来なくなるわけではない」と心内はアドラー心理学の目的論を説明し、岸見一郎さんの『嫌われる勇気』、『幸せになる勇気』でもそのようにあります。
 しかし、それは世野の言う「万能だけど無力」な論理です。
 「みんながそうではない」と言えば、原因論は確かに否定出来るでしょうが、目的論もほぼ無意味にすることになります。
 「食べるのは食べたいからだ」といったトートロジー、同語反復の目的論しか残らず、「怒鳴るのは相手を支配したいからだ」、「1億稼ぐ人がさらに10億稼ぐのは周りの幸せのためだ」といった劇中の目的の推測も、「みんながそうではない」と言えば成立しません。
 「怒鳴るのは声の大きさを試したいから」の人間もいるかもしれませんし、「10億稼ぐのは周りのライバルに負けたくないから、愛国心で高い税金を納めたいから、10億円で個人的に買いたいものがあるから」かもしれません。
 なお、井上純一さんの挙げる「会計のルール」によると、現代日本の国税は国に属する中央銀行が発行した負債としての通貨を納めているので、消しているだけで財源にはならないそうです。「愛国心で大金を稼ぎ納める」のは国のためにはならないかもしれませんが、なると認識している国民もいるかもしれません。
 いずれにせよ、異なる目的同士の繋がりも、「人それぞれ」と言えばそれまでであり、世野の論理ならばアドラー心理学の目的論も「人による」で否定出来るのです。
 ちなみに、井上純一さんの『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』では、「地位財」という心理から、アメリカの企業経営者が給与を公表された途端にかえって周りに負けたくないと競い合うようになったという「事実」が紹介され、そこから心理を「推測」しています。
 アドラー心理学はカール・ポパーの『推測と反駁』で、アインシュタインの相対性理論のような、「間違っていればそれを実験で証明出来る」、「反証可能性」がないとされましたが、そのような「心理への推測」の姿勢がアドラー心理学には欠けており、短絡的なのです。
 岸見一郎さんの訳した『アドラーの生涯』p.174ですら、「アドラーは厳密な統計を取らず、思弁的な努力はしても、実証的な努力に欠けていると批判された」とありますし。

 ただ、岸見さんの原作のドラマ『嫌われる勇気』の内容をゆうきゆうさんは批判しているので、岸見さんとは全ては一致していないかもしれません。

https://yuk2.net/man/758.html

2024年3月30日閲覧

「お前が言うな」は言って良いのか悪いのか

 また、「お前にだけは言われたくない」という言葉に、世野は、「そう言う人間は相手が釈迦のような聖人君子でもそう言う」と批判しているものの、心内もしばしば、好蔵などの突飛な行動とそれを棚に上げた言動に「あなたには言われたくない」と言っています。
 さらに、『マンガで分かる心療内科』でも紹介されたように、釈迦も妻子や王子の仕事を捨てて出家したり、子供に悪い意味の名前を付けたりしているので、個人的かつ具体的な悪いところで「子供や妻を大事にしろと、釈迦には言われたくない」とは言って良いとも考えられます。
 元々仏教には、日本で結び付けられる先祖崇拝や墓地の習慣はないそうなので、日本の親子関係の美徳と仏教は合わないところもありそうですし。

「好きなことなら努力と言うべきでない」

 また、ゆうきさんのサイトにはしばしば「ゲームのように人生を楽しむべき」とありますが、『うえきの法則』原作の言葉が有効な批判だと言えます。「好きなことなら努力と言うな」です。
 世の中には『ソリトンの悪魔』で言われたような「仕事と趣味が一致している」ので、仕事をゲームのように楽しめる人間はいるのでしょう。佐藤優さんの『メンタルの強化書』にもあります。
 しかしそうでない人間も大勢いて、「努力」に限界を感じているでしょうから、楽しくない仕事をし続けている人間にこそ「努力」を認めるべきであり、楽しんでいる人間、それによる成功した人間ばかり「努力家」と持ち上げるのは偏っています。
 また、『二重螺旋の悪魔』の「職場で一番優秀で働き者」だと自称して周りも否定出来なかったらしいバイオ研究者の主人公は、そのために揶揄されたり迷惑がられたりしており、そのバイオテクノロジーの「努力」が被害を招き、「黒幕」に乗せられて、生命を操作する「ゲーム」に加担しようとしています。仕事を楽しむ優秀な努力家だからこその悪さもあるのです。
 後述するIT企業経営者なども、「努力」していても、「デジタルヘロインを売る」などの悪さはあるでしょうし。

 

現代日本のデフレで問題なのは生産ではなく消費である

 そして『マンガで分かる心療内科』の多くでは、経済の観点から、大きな勘違いがあると私は考えます。それは、「消費が増えないと生産性が上がらず、イノベーションも生まれない」という論理の見落としです。
 まず、不況の全てには当てはまらないものの、現代日本で問題であるデフレ不況とは、生産や供給ではなく消費や需要の不足によります。
 物価が下がり続けるデフレは、一見家計に楽でも、「今買うより我慢した方が得だ」と思わせて、消費が落ち込み、生産を増やしても供給過多でかえって賃金が下がり、さらに消費が落ち込んで物価も下がり続けるデフレスパイラルになりやすく、民間の生産や供給の「がんばり」ではどうにもならないとされます。まさに井上さんの漫画の題名通り、「がんばってるのに豊かになれない」状況です。
 このときは、ケインズ経済学では、需要を増やすために政府が支出を増やしたり、減税したりする、積極的な財政政策の必要があります。これは民間では出来ないのです。それを現代日本では、どこの国でも増やしている国債、政府の借金を恐れ過ぎて、支出を増やさず増税する緊縮財政のために、かえって不況のままになっていると井上さんは繰り返しています。
 岸見一郎さんは『幸せになる勇気』で、アダム・スミスの古典派経済学における、個々人が利己的に振る舞うことで市場経済に秩序がもたらされる「見えざる手」をアドラー心理学にも適用しているようですが、それはインフレの好景気なら良くても、デフレでは当てはまりません。ケインズ経済学はデフレに向いているとされます。
 デフレ不況では、個人や企業が消費を増やすことは基本的に出来ず、それぞれが利己的あるいは合理的に値下げや消費削減や節約などをするのは当然であり、それがかえって全体のデフレスパイラルを生み出す、「個人やミクロでは合理的でも全体やマクロでは非合理的になる」「合成の誤謬」があります。岸見さんにはその視点が欠けているようです。
 インフレの好景気ならば個々人が消費を増やし生産も増やす合理的かつ利己的な振る舞いの組み合わせで経済成長し続けるものの、デフレの不景気ならば、それぞれが利己的かつ合理的に値下げや節約をしてかえって全体がさらに不景気になるのは民間ではやむを得ず、政府が財政政策で、あるいは中央銀行が金融政策で行動しなければならないようです。
 アドラー心理学における、「行動するしかない」という論理を使えば、デフレ不況で行動すべきなのは、民間ではなく政府なのです。
 井上さんは、『ナニワ金融道』風の絵で、「無駄にお金を使わず現場がとにかくがんばることで生産性が上がる」と書いて、「間違い」だとしています。
 その意味で、ニーチェの奴隷道徳などを踏まえた、『マンガで分かる心療内科』は、現代日本の不景気や苦境を生産の側の問題にばかりして、消費の余裕を作らないことを見落としています。
 『ニーチェ編』の劇中のたとえの無人に近い島ならば、さすがに供給不足でインフレになりやすく、そのときは「生産をがんばれ」と言うべきでしょうが、現代日本はデフレ続きだったので、供給ではなく需要に問題があったはずで、そのときには政府の減税や支出増加などが必要だったというのがマクロ経済学の答えです。

 

 なお、2024年の日本のインフレとは物不足によるコスト・プッシュ・インフレなので、需要が増えるディマンド・プル・インフレと異なり悪性のインフレで、消費税を上げるべきではないと井上さんは主張しています。

 

需要や消費の問題を供給や生産の問題にすり替えていないか

2024年3月30日閲覧

 ただ、需要にも数字で表せない質があり、不景気で量が減っても、需要の変化を逆手に取り、部分的に売り上げを伸ばせる可能性は、様々な料理漫画や『クレヨンしんちゃん』で描かれています。これは経済理論の裏だと言えます。
 つけ麺ばかりの地域でトンコツ・ラーメンを売る、ラーメンばかりの地域でチャーハンを売る、魚問屋の仲卸において鮮魚なら見向きもされないような傷などのある魚を干物用なら買うなどが、料理漫画にはあります。また、『クレヨンしんちゃん』では、しんのすけの父親の取引先が、しんのすけの一見ふざけた対応に主観的に喜んで上手くいくこともあります。
 仮に消費増税で消費に理論上ブレーキがかかっても、それで増えた釣り銭を使いたいからと、100円未満の細かなものがかえって売れやすくなることはあるかもしれません。不景気や増税を逆手に取った新しい需要創出の可能性は、わずかならあります。
 しかし、それは「希な望み」、「小手先」でしかなく、全体の消費量が落ち込んでいる中で生産の努力は空回りする可能性の方がはるかに大きいのです。経済学の裏ばかり見ず、表に返る論理が必要です。
 それを日曜劇場などは、「だからこそ消費者の心理をつかむように生産者がなおさらがんばれ」と、需要や消費の問題を供給や生産にすりかえる気配もあります。

寄付させる側、生産者の行動ばかりで、する側、消費者の視点に立たない歪み

 『マンガで分かる心療内科』でも、寄付を求めるときは、「1セントでも良いので寄付してください」と言われると、寄付率は上がったとされます。そのように消費する、お金を与える側の主観や心理を探る上では、「だからこそ消費者心理を生産者がつかめ」というのは酷であり、デフレでは生産者が努力するよりも、消費者を政府が助けるべきなのです。

「欧米では」という「出羽守」を批判しながら、参考にする研究や実験は欧米のものばかりである

https://sinri.net/comicblog/2018.html

2024年3月30日閲覧

 『真実のカウンセリング』では、「欧米では」という言葉を使うテレビの人間に、世野が「なぜアフリカでは、南極では、パプアニューギニアでは、と言わないの?」と指摘しています。
 また、web版の解説では、「ヨーロッパの各国は日本に及ばない人口のところもあり、欧米全体なら日本より多くても、それならアジアでは、と言うのと変わらず、ヨーロッパは多数派ではない」という趣旨の記述があります。
 しかし、ここにこそ、『マンガで分かる心療内科』と『真実のカウンセリング』の自己矛盾、「ビジネスエリート右翼」との関連が強くみられます。
 質問に質問で返すのは論理がこじれるので、率直に言いますと、「そういうゆうきさんの漫画でも欧米の研究や実験ばかり紹介しているのがおかしい」となります。
 まず、『真実のカウンセリング』は即興の指摘が多いので、外国の研究や実験を参考にすることはあまりないようですが、『マンガで分かる心療内科』には多々あります。
 しかし、私が今持っている6、7、8、13、16、19、20、23、24、27巻、『アドラー心理学編』、『依存症編』2冊、『うつを癒す話の聞き方』だけでも、参考にした研究や実験や理論で国が分かるものは、オレゴン大学、スタンフォード大学、イギリス、トロント大学、スウェーデン、イタリア、フランス、アメリカのマインドフルネス、サウスカロライナ医科大学、オックスフォード大学、ロンドンなど、欧米の例ばかりです。学者もアメリカのマッコーネルやホームズとレイなどです。
 薬物の生涯経験率の統計も、日本とドイツ、イギリス、フランス、アメリカのものでした。
 イスラエルの裁判官が疲れる時間帯に釈放率が変わるという例はありましたが。

 ゆうきゆうさん自身が、いわゆる「出羽守」に「ヨーロッパやアメリカが先進国などと誰が決めたのか」と言いたいのかもしれませんが、結局は自身の専門分野では「ヨーロッパやアメリカが先進国だから、そこの研究は参考になる」と思っているはずなのです。
 実際、現X、旧ツイッターで、「政治や行政や経済の体制が日本と近い国を引き合いに出しているだけなのではないか」という指摘もみられました。

https://x.com/ishiguronaoki/status/593617473502515200?s=46

2024年3月30日閲覧

「先進国」を参考にすべき分野

 ちなみに、井上さんなどが「日本が財政破綻するか」の議論で参考にする財務省のサイトには、「先進国の自国通貨建て国債によるデフォルトは考えられない」とあり、日本やアメリカなどの「先進国」で、内国債、政府が自分で自分に借金しているだけならば財政破綻はしないことになっています。途上国などでは、供給不足などで破綻するおそれがあるようです。つまり、「先進国」を日本の見本にすべきときがあることになります。

https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm

2024年3月30日閲覧

 『逆資本論』では、「日本の債務を北欧や韓国並みに削れというのは、それだけ国の経済力を下げろということである。問題は債務の比率である」とあり、「先進国」と比較しやすい、あるいは日本の方が優れている、「数字」、客観的事実もあるのでしょう。「北欧では」、「韓国では」と数字から言ってはならないところもあるかもしれません。ジェンダーや宗教の価値観となると、そうは行かないかもしれませんが。

「強さ」は「洋才」にしたいが、「弱者救済」は「和魂」で拒絶する可能性のある日本の「ビジネスエリート右翼」

 「ビジネスエリート右翼」は、「国家の繁栄を個人の人権より優先して、失業者は怠け者だ、きちんと探せば仕事はあるはずだと言う」らしいですが、その「繁栄」とは、日本の場合、やはり欧米の「先進国」との競争に負けたくないという思いがあるはずです。
 しかし、欧米にも「ビジネスエリート右翼」はいるらしいですが、日本の場合、「海外からの価値観を押し付けるな」という思想もありそうです。
 日本で「保守」と言うと反米と親米の両方がいるようですが、「日本にはアジアの思想や政治体制があるのだから、ヨーロッパやアメリカの手法や思想を押し付けるな」という「日本の右翼」もいるようです。また、アジアをヨーロッパやアメリカから守るために日本が模範や代表となるべきだ、という思想もありそうです。
 しかしそのような人間でも、ノーベル賞の数、経済成長率、科学技術や生産性などの「強者を伸ばす」ところでは「先進国」、たとえばG7やOECD加盟国の中で負けたくないことも多いでしょう。
 ところが「日本の右翼」の場合は、労働環境、福祉、ジェンダー平等、動物愛護、環境保護などの「弱者救済」、「強者を縛る規制」の気配を感じ取ると、「そんなものは海外、欧米の規制だ」、「日本には日本のやり方がある」と拒絶するところがあるようです。
 たとえば池上彰さんの番組で、イタリアでは避難所が日本よりはるかに充実しているというのは、「弱者救済」の要素でしょうが、それを「日本の右翼」は「欧米の価値観」だと切り捨てるのでしょう。
 『海賊とよばれた男』原作では、戦後日本の企業の経営者の主人公が、アメリカには好悪相半ばする感情を持ちつつ、イギリスなどのヨーロッパには反発し、その被害を受けるイランを助けたい感情がみられます。また、海外に石油の質では負けたくない感情もみられます。
 しかし、当時知られていたかはともかく、そのイランで、イスラームの影響で性差別などの問題があることには劇中触れられず、「ヨーロッパの白人こそイランを支配している」という趣旨の批判はあります。劇中で、日本人の主人公にも愛人がいます。また、労働者の待遇の悪さ、安月給などは主人公も認めています。アメリカの企業を見習ううち、タイムカードだけは否定しています。
 つまり、石油の質などの「強さ」である科学技術では「先進国」の欧米に負けたくない、しかしジェンダーや労働環境などの「弱者救済」の要素では欧米に合わせたくない、古風でいたいという価値観があるのでしょう。それは悪い意味での「和魂洋才」だと考えます。
 確かにヨーロッパやアメリカの政治や法律は白人やキリスト教徒に有利な「強者」の要素はあるでしょうが、だからといってアジアや中東の国に求める「弱者救済」の資格が全くないとは言えないでしょう。
 つまるところ、「弱者救済」も含めて「国力」、「国の誇りや面子」だと欧米の多くでは考えているからこそ、「強さも弱者救済も欧米を見習うべきだ」と、日本の知識人の多くはみなすのでしょう。
 『マンガで分かる心療内科』も、近頃は「努力」ばかり求めて、生産性を上げるためにヨーロッパやアメリカの大学の研究などを見習う言動があり、なおかつ『真実のカウンセリング』では「なぜヨーロッパやアメリカばかり参考にするのか」と主張して矛盾するのが、悪い意味での「和魂洋才」だと私は考えます。
 「日本には日本のやり方がある」、「ヨーロッパは多数派とは限らない」というならば、ヨーロッパのノーベル賞を、『マンガで分かる心療内科』のさとりが多数取ったことも自慢にならないはずです。
 「日本の右翼」の人間は、ノーベル賞の数などは増やしたいにもかかわらず、「弱者救済」となると欧米に合わせたくない感情があるようです。
 ただ、「日本の右翼」の多くは憲法9条に批判的なので、ノーベル賞の中で平和賞を日本人が取っても肯定しないかもしれませんが。

薬物やネット依存について「中国では」と言うのは体制に甘いためではないか

 また、珍しく『マンガで分かる心療内科』で、「中国では」と言ったことがあります。それは薬物やネットの依存に警鐘を鳴らすときに、「アヘン戦争で大きな被害を受けた中国ではネット依存脱却に軍隊並みの訓練をします」、「中国では麻薬で逮捕されると死刑になります」というときです。
 しかし、何故その分野において「中国では」と言うのでしょうか。何故普段中国の研究や実験や論文をほとんど参考にせず、このときだけ中国の法律などについて言うのでしょうか。
 おそらく、中国の独裁、人権軽視の体制を、薬物依存対策については見習いたいのでしょう。ヨーロッパやアメリカでは薬物依存者は犯罪者より患者とみなして治療を優先する「ドラッグコート」などの考えもあるそうですが、そのような「人権尊重」、「弱者救済」では欧米を参考にしたくない可能性があります。
 つまり、一般的な科学技術では欧米並みの「強さ」を、「弱者救済」の気配を感じる「薬物依存に対して刑罰と治療のどちらを優先するか」では中国のような独裁政権を参考にしたいというのが、体制や企業の強さばかり優先する「ビジネスエリート右翼」の気配を感じました。
 中国では体制の方が「左」ではありますが。
 中国も、池上彰さんの番組によると、都合の悪いときには「自分達は先進国ではない」と、温室効果ガス削減などの規制から外れたがるようです。

「人口」を重視しながら、インド国民とヒンドゥー教徒とムスリムには触れない

 また、「人口でヨーロッパ各国は多数派ではない」というならば、『マンガで分かる心療内科』でも『真実のカウンセリング』でもほとんど挙げない3種類の「世界の多数派」の存在が気になります。インド国民、ヒンドゥー教徒、ムスリムです。
 少なくとも人口なら、インドは大国であり、何故普段これらの漫画で「インドではこのような研究がある」と言わないのか、という疑問の余地があります。インドにもITや数学の進んだところや、『マンガで分かる心療内科』で挙げられる仏教発祥の国として見習うべきところの可能性はあるにもかかわらず、ほとんど見当たりません。
 つまるところ、インドを先進国と思わず、「人口で多数派か」は、ヨーロッパ各国やアメリカを参考にしたくない言い訳だとも考えられます。
 また、仏教徒は現在インドではほとんどおらず、その前身とも言えるヒンドゥー教徒と、あとからのイスラームの教徒のムスリムが多いそうです。
 ヒンドゥー教徒は、ほとんどインドにいるものの、世界人口では仏教徒を超えるそうです。確かに、ヒンドゥー教徒の「輪廻」というのは『マンガで分かる心療内科』で「釈迦が言っていない」という思想なのですが、それにしても何故ヒンドゥー教を見習う描写が『マンガで分かる心療内科』には特にないのでしょうか。
 また、世界ではムスリムも増加しています。池上彰さんの番組によると、入るのは簡単で生きている間は棄教出来ない、子沢山なので人口が増加しているそうですが、何故『マンガで分かる心療内科』ではそれらを参考にする描写もないのでしょうか。
 つまるところ、多くのヒンドゥー教徒のいるインドは先進国とみなしていない、ムスリムは過激派やジェンダーや宗教対立や戦争の問題から政治的に面倒なので触れていないとも考えられます。やはり「人口」は建前である可能性があります。
 その意味で、『マンガで分かる心療内科』では、アヘン戦争による中国の薬物対策やキリスト教徒迫害によるニーチェの思想に触れても、「だからこのような法律があるのは仕方がない」、「キリスト教のせいで弱者が支配的になった」と体制の追認や強者の肯定になり、「人口で多数派」のはずのインドやヒンドゥー教徒やムスリムには触れない、政治的に面倒なところは避けるところがあります。
 ゆうきさんの「政治や国際問題に触れない」というXのポスト通りに政治的な話を避けたいならば、アヘン戦争やキリスト教徒迫害にも触れるべきではなく、それを中国の体制や「弱者のルサンチマン」などの、政治的強者に都合の良い論理にばかり利用する気配もあります。

https://x.com/sinrinet/status/1184777803226439685?s=46

2024年3月30日閲覧

「自己責任」についての世野と心内の矛盾
 

https://yuik.net/man/true-counseling

2024年3月30日閲覧

 「自己責任と言う人ほど他人を責めている」と世野は言っていますが、それならば心内も「無責任」になる可能性があります。
 というのも、いやしの悩みに心内も「全てあなたの責任です!そう思う方が前向きになれます」と言っているためです。これはこれで、彼も「他人を責めている」うちに入ってしまいます。

https://yakb.net/man/286.html

2024年3月30日閲覧

 劇中で心内は女性キャラクターに傷付けられる展開が多いので、世野と心内が共演すれば前者が後者を「あなたこそいやしさんを責めている」と傷付けるギャグで済むかもしれません。実際に、こがねが「ゴリラの社会には上下関係が確認されず、チンパンジーには確認され、人間は後者に近い」と伝え、心内のアドラー心理学による「人間は対等」を批判することになったときがあります。しかし、劇中のギャグならともかく、結局はゆうきさんの自己矛盾になっているとも取れます。
 私は「自己責任」という言葉を様々に考えていますが、ここではこれ以上掘り下げないことにします。
 ゆうきさんは、アドラー心理学のときに「あなたのためというのは課題の分離ではない」と心内に言わせ、岸見一郎さんも、医療に絞ってですが、「パターナリズムに陥るな」と『怒る勇気』で書いています。おそらくパターナリズムに対抗するつもりで「全てあなたの責任です」と心内に言わせたのかもしれませんが、それが「自己責任」に当たるのかどうかを深く考えていない可能性があります。

誹謗中傷の被害者が「妬まれる強者」とは限らない

 また、誹謗中傷しているのは「低収入の人間ばかり」だとしても、それが弱者による強者への嫉妬やルサンチマンとも限りません。
 井上さんの漫画では、しばしば、生活保護を受ける人間や障害者や高齢者に「税金を使うな」と言ったり公務員がバッシングされたりすることが挙げられています。それは「弱者への誹謗中傷」でしょう。
 『マンガで分かる心療内科』でも、事件などの被害者について、「こんなに不幸なのは理由があるはずだ」とみなす心理による誹謗中傷は紹介されています。
 井上さんは心理学を踏まえて、合理的とは限らない人間のふるまいによる経済を扱う行動経済学に注目しており、「古い方法にこだわり変えるのを恐れる」現状維持バイアス、「自分より下だと思っている人間の幸せが許せない」地位財の概念や、得より損を気にする心理を扱っています。
 それらがかえって、社会的弱者の消費を減らして不景気を続けているとして、「日本を貧しくしているのは、あなた自身じゃないですか?」とも書いています。
 ここから、強者が弱者を叩くのを防ぐ論理が井上さんにはありますが、『マンガで分かる心療内科』では今のところ社会的弱者の「怠慢」ばかり責める論理が多く、行動経済学などとの関連も少ないと言えます。

政治の被害者の「努力」ばかり取り上げて加害者に触れない

https://yusb.net/man/1168.html

2024年3月30日閲覧

 また、心理学者のフランクルやアドラーの娘など、ナチスなどの政権による被害者が前向きになる「努力」ばかり強調して、ナチスなどの加害者に加担したニーチェの妹を止める主張に乏しいのも、やはり政治への批判から目をそらし、弱い立場の国民や労働者にばかり「努力」を求めていると言えます。
 アドラー心理学の「何も行動しない人はそういう目的に進んでいるから、かわいそうな人なんていない」というならば、アドラーの娘が政治運動で収容されて家族に会えず亡くなったのも、「自分で選んだこと」で済まされる、「かわいそうではない」ことになります。それどころか、どのような政治家がひどい政策をしても、ブラック企業の問題でも、「そのような政治家を選んだ国民のせいである」、「そのような企業に入った労働者のせいである」となるかもしれません。「困っている人間はそう選んでいる」という目的論は、政府や企業などへの批判をそらす言い訳にされる危険があります。
 後述する『実はヤバい実験心理学』にはそういった政治への批判があります。

パターナリズムをどこまで否定しているのか

 また、『マンガで分かる心療内科』では、薬物をやめさせるために、「未来のあなたのため」という言葉もあり、それは『アドラー心理学編』で言った「あなたのためというのは課題の分離ではない」に矛盾しているとも言えます。
 結局のところ、薬物規制などにおいて、善意での強制、「パターナリズム」はやはりある程度必要であり、その意味でアドラー心理学にも限界があると考えます。

「一応は医療マンガでそれを言うな」となるのはやむを得ないかもしれない

 ただ、『マンガで分かる心療内科』では、さとりが「酒も煙草も女もやらず、百まで生きた馬鹿がいる」という都々逸から、「一度ぐらい身を焦がすほどハマるものがあっても良いかもしれない」と言い、心内は「一応は医療マンガでそれを言うな!」と言っています。
 ジャンルから、医療者として、患者の依存しがちの消費を責めるのはやむを得ないところはありそうです。

https://yusb.net/man/1042.html

2024年3月30日閲覧

「ニュースや『桃太郎』が人工食品」ならば、『マンガで分かる心療内科』自体はどうなるのか 

 心内は「前向きになりたいならばニュースを見るな」と言っています。「ニュースというのはありのままの事実ではなく、人工食品である」と主張しています。
 しかしそのたとえが、『桃太郎』の出来事を悪く解釈出来るという論理では、ゆうきさんが自らに跳ね返る危険を冒しています。
 『桃太郎』の物語が人工食品で、ニュースもそうならば、そもそも心内がこれまで言ってきたこと、『マンガで分かる心療内科』の内容自体が「人工食品」でない保証もなくなります。
 このようなたとえでは、「ニュースも『桃太郎』も同じだ」というと、「ニュースとそれは違うだろう」と、細かな違いを挙げるより無視して「同じだ」という方が楽で格好の付くので同一視しやすいのでしょう。しかしそのような雑な論理は、『マンガで分かる心療内科』自体も同一視に飲み込まれる危険があります。
 それを否定したければ、ニュースと『桃太郎』にあり、『マンガで分かる心療内科』にだけない特徴をもって、「3番目だけは人工食品でない」根拠を示す必要が生じます。
 やはり『マンガで分かる心療内科』では、アドラー心理学の反証不能なところに言及しない、ニュースを『桃太郎』でたとえて強引に同一視しておきながら自作は棚に上げるなど、厳密な論理を欠いているところがあります。
 『逆資本論』で井上さんは、『人新世の資本論』における、「絶滅への道は善意で敷き詰められている」という言葉に、「脱成長というあなたの善意が地獄に通じていないと何故言えるのか?」と批判しています。
 私も『マンガで分かる心療内科』の主張に、「この漫画自体が人工食品でないと何故言えるのか?」と言います。

 ただ、池上彰さんもジャーナリストとして、「私が子供の頃は地方の殺人事件など多過ぎて報道されなかった。日本の治安は良くなっている」と2014年の書籍で書いており、ニュースが人工食品で、珍しい事件ばかり報道して治安が良くなっても扱わない可能性は否定出来ません。
 しかし、井上さんは経済について、新聞やニュースにおいて、「国債は増やすべきでない」という「意見」は否定しても、「各国のプライマリー・バランス」、「しばしば円高になる」などの「事実」には気を配っており、そのような姿勢が『マンガで分かる心療内科』で欠けているのは変わりません。

「AとBの違いはCとDの違いと同じ」という論理の重要性

 また、「雑な同一視」について考えましたが、多くのたとえは、「AとBが同じだ」と言われると、「違う」と細かな違いを挙げるより、無視して同一視する方が楽で格好良く感じる傾向もありそうです。
 その意味で、世野のある論理が独自の参考になります。「将棋と戦争の違いは、創作と現実の年下好きの違いと同じよ」という論理です。
 将棋が戦争をモチーフにしているからといって戦争が怖くて擬似戦争をしているとは言えないように、創作の年下好きを現実に安易には適用出来ないというのももっともです。
 これは、「AとBが違うのはCとDが違うのと同じだ」という、同一視を利用して違いを強調するわけです。
 しかしそれならば、心内や世野の様々なたとえにも、むしろ「その2つは違う。EとFの違いと同じだ」のように反論出来るかもしれません。

不買運動は無意味なのか

https://yuik.net/man/39025.html

2024年3月30日閲覧

 世野は、企業への不買運動について、「元からそんなに使っていないでしょう?」と言っています。
 つまり、「自分が元から買っている企業ならば、何か問題を起こしても不買運動など出来ないだろう」、「消費者は自分が損をしてまで不買などの市民運動はしない」と言いたいようです。
 しかしそれならば、たとえの広告やCMでの問題に怒る不買運動ならともかく、衣服や菓子の企業が外国の労働者の酷使や環境破壊で批判されて不買運動が世界で起きるのも「無意味」なのでしょうか。意見として良いか悪いかはともかく、事実の確率として効果がないのでしょうか。対日関係がしばしば問題となる中国などで、日本の企業への不買運動が起きるのも恐れる必要がないのでしょうか。『逆資本論』では、日本の脱炭素の運動が遅れると日本企業への不買運動が海外で起きる危惧をしていますが。
 つまるところ、消費者が企業に逆らう「社会的弱者の抵抗」の一種である不買運動を「元からたいして買わない人しかそう言わない」、つまり効果なしと決め付けて、「弱者は強者に逆らえない」という論理にしている可能性があります。

宗教について「質問の誘導」の存在は認めても、集団的自衛権には触れない

 「質問に質問で返すのは悪いのか良いのか」という問題を、『カイジ』と『ジョジョ』を比較して検証した回がありました。
 このように、複数の物語を比較したり対応させたりするのには興味があります。
 そのときに「質問には強制力がある」の例で、「あなたは当団体の教祖がブッダの生まれ変わりであることを知っていましたか?」というのは、答える時点で前提を肯定しなければならない強制力があるというのはもっともです。

https://yakb.net/col/117.html

2024年3月30日閲覧

 しかし、そのような例に政治の質問もあることに触れていないのは、やはり政治の面倒な話題を避けていると考えられます。
 読売新聞の世論調査で、「集団的自衛権を認めるか」について、「必要最小限なら認めるか」という選択肢があることについて、岩本裕さんは、「必要最小限という言葉は質問に使うべきではない」と批判しています。
 これも「ブッダの生まれ変わりであることを知っていましたか?」と同じく、「必要な集団的自衛権がある」と前提を認めさせる強制力があるためでしょう。
 ゆうきさんはそのような、政治についての「強制力のある質問」には触れていないようです。

「信じたならクレームを入れるな」は宗教ならともかく政治や経済では通用しない

2024年3月30日閲覧

 「信じたからにはあとでクレームを入れてはいけない」と世野は言っていますが、それはたとえの宗教なら通用しても、政治や経済、法律や金銭の話では通用しない論理だと考えます。
 宗教において「信じていた天国や神の存在がないと死後に分かっても、あとからクレームを入れるな」というのはうなずけます。信じさせた神父や僧侶という「人間の行動」ではどうにもならないのですから。
 しかし法律や金銭の場合、人間の行動で解決出来る、しなければならない責任が「信じてもらった」側にはあるはずです。政治家が公約を破ったり憲法違反をしたり、経営者が労働者の権利を守らなかったり、企業が消費者に商品で害をなしたりした場合は、その「行動」に基づく「信頼への裏切り」で「クレーム」を入れられても仕方がありません。単純な話として、人間同士の約束は守らなければならないのです。
 恋愛は微妙ですが。
 やはり法律、貨幣、遺伝子、文化の区切りで、ゆうきゆうさんのたとえは「人間の行動で変えられるものか」、「事実と意見のどちらを重視する分野か」などが雑なところがあります。
 政治は法律、経営は貨幣、恋愛は遺伝子、宗教は文化の問題のうちでしょう。どちらかと言えば政治や経営は事実、恋愛や宗教は意見が重視されると言えます。それぞれ単純に対応させられない、たとえの限界があります。

経営者と漫画家と医師は、多くの人間は真似出来ない

 ゆうきゆうさんの挙げる「仕事の成功例」が私の見る限り、たとえの絵から、立派なスーツを着たビジネスマンとベレー帽の漫画家など、一部の人間しか原理的に成功出来ない分野が多いと言えます。
 たとえば、経営者はひとにぎりの人間しかなれません。人口が増えずに経営者だけ増えるのは、単に中小企業が増えて、大企業が減るだけです。中小企業が悪いわけではありませんが、増やすほど良いとは限らないはずです。
 医師や漫画家も、一部の人間しか成功しないはずです。
 そのような少ない椅子取りゲームばかり強いるのが、ゆうきゆうさんの論理にちらほらとみられます。
 心内が「アスリートは何万時間も練習している」と言うことや、世野が「天才になれないという人間は言い訳の天才よ」と言うのは、まさに椅子取りゲームに負ける方が「努力不足」という論理を押し通しています。反論を逆手に取る、反証不能の論理でもあります。
 日曜劇場での『日本沈没 希望のひと』のような、「周りが真似出来ない優秀な人間」ばかりを模範にしていると言えます。
 とはいえ、ゆうきゆうさん自身が、医師であり経営者であり漫画家なので、「そのような職業だけが幸せの模範ではない」と言いにくいのかもしれませんが。

「万が一」しか成功しないのは、選ばれる側でも選ばれない側でもなく、選べない側の問題である

 『マンガで分かる心療内科』と『真実のカウンセリング』の考え方について、経済学からすると偏りがあります。
 それを分かりやすく示したのが、『左ききのエレン』少年ジャンププラス版の台詞です。「有名なアーティストを何人知っている?夢見ている奴が10万人いるとして、成功するのは10人かそこらだ。万が一、これが現実なんだよ」とあります。
 アーティスト志望の人間の多くが万が一に入れないのは、「選ばれない側」であるのと同時に、そもそも「万に1つしか選んでいない側」でもある現実を示しています。『左ききのエレン』でそう言われた主人公は選ばれない生産者であり、生産者志望の他の人間のほとんどを「知らない」消費者でもあるのです。
 つまり、ニーチェの表現する奴隷道徳の妬みのように、「成功する、選ばれる人間には悪いところがあるはずだ」という決め付けが正しいのではなく、ニーチェの反論のように、「成功しない、選ばれない人間が努力しない末人」という決め付けが正しいのでもなく、単に選ぶ側の問題なのです。
 選ばれる一部の成功する人間が不正をしているというのは、日曜劇場で大企業や大きな銀行の幹部などの不正を証明するときなどにある発想かもしれません。しかし、日曜劇場では「上手くいかないのは努力が足りないからだ」という論理も『A LIFE』や『ブラックペアン』や『東京グランメゾン』にあります。
 しかしデフレ不況のときの問題は、生産者のうち成功する側でも、失敗する側でもなく、それらを選ぶ消費者に余裕がないことです。椅子取りゲームの椅子が足りないのです。
 その論理に気付かない『マンガで分かる心療内科』や『真実のカウンセリング』は、インフレ時の生産を重視する古典派経済学や、「ビジネスエリート右翼」の発想がみられます。
 古典派経済学では、「失業者は一時的な摩擦的失業者を除けば、わがままな自発的失業者しかいない」という理論がありますが、アドラー心理学の目的論はそれに近いと言えます。
 「椅子」としての実物資源が足りないことによるコスト・プッシュ・インフレならともかく、デフレならば足りない「椅子」とはお金であり、それは現代日本ならば、金融政策や財政政策である程度増やせます。政府や中央銀行なら変えられますし、民間では変えられません。

芸能人の「ギャンブル」を低確率だというならば、アスリートなどの肯定も偏っている

 「東大でさえ年間3000人入学するのに、芸能人は年に数人だけよ」と世野は話していますが、そのweb解説のように「勉強がもっとも安全なギャンブル」ならば、経営者や漫画家や医師やアスリートなどの少数しか成功しない「ギャンブル」ではなく、サラリーマンや工事作業員といった労働者などの「平凡な」人間の「真面目に働くギャンブル」の成功確率を上げる対策を『マンガで分かる心療内科』や『真実のカウンセリング』で提案すべきです。
 芸能人のような「年間数人の成功例」は否定して、アスリートのような「何万時間も練習する」人間の成功例を肯定するのは矛盾しています。

「人集め」は経済学として限界がある

 消費する側に限界があるのだから、生産する側の努力が空回りする可能性を挙げますと、『マンガで分かる心療内科』では、「ならば多くの消費者を集めれば良い」と反論するかもしれません。
 先ほどのいやしに心内が「全てあなたの責任です」と言った「ショットガン・アクション」の回で、「1つで30人集めるアイデアは知らないけれど、1人集めるアイデアを30知っている」というように、人集めで新しい需要を生み出す手段も多少はあるでしょう。
 しかし、日本円を使う人間は日本人がほとんどであり、その日本全体が日本円の不足するデフレで苦しんでいる場合は、集めても限界があります。日本円の売り上げを上げたいならば、やはり健全なディマンド・プル・インフレを起こすために、財政政策を政府に求めるべきです。

 

 

IT長者が「デジタルヘロイン」を売るのは批判しないのか

 『喰いタン』原作最終回で、薬物を売る暴力団員が、捜査を前もって知ったときに、代表が団員に「お前ら、薬は打っていないな。証拠がなくても反応が出れば捕まるぞ」と注意したときに、売人達が当たり前のように、「捜査が入ることは分かっているし、そもそも薬をやる馬鹿はいません」と言っています。
 用心深さなどが求められる薬物の売人だからこそ、自分は打たないという論理があるわけです。
 そして、ゲームやスマホには依存性があり、「デジタルヘロイン」と呼ばれることもあります。
 しかし、『マンガで分かる心療内科』で紹介されたように、それらを売る企業で成功したはずの大富豪などが、家族にはそのスマホなどを制限するそうです。
 すると、彼らも依存症のおそれのある機器を売りながら自分や家族には制限する「デジタルヘロインの売人」ということにならないでしょうか。
 「デジタルヘロイン」を買って使う側の行動ばかり『マンガで分かる心療内科』では批判していますが、売る側の企業に問題はないのでしょうか。
 そして自分の家族に制限するものを売る側の、IT長者と呼ばれる人間の生き方を見習う方針で良いのでしょうか。
 『マンガで分かる心療内科』では、ギャンブルの胴元を批判したことはあっても、IT企業やSNS企業への批判が少ないと言えます。
 和田秀樹さんはアドラー心理学を参考にしても、それとは別に、「依存症ビジネス」を批判し、アメリカなどでは芸能人がビールのCMに出ないなどの主張をしています。つまり、売る側への批判もしているのです。
 

牛車のたとえからは、「奴隷は主人に逆らうな」となるのではないか

 『マンガで分かる心療内科』で自殺を止めるために、釈迦がしたという牛車のたとえがありました。
 「牛車で荷物を引かされるのが嫌だからと牛が暴れれば、主人によってさらに重い荷物を引かされる。そのように自殺してもより苦しい世界に生まれ変わるかもしれないからやめなさい」という論理ですが、これは出典が曖昧です。レファレンスしても見つかりませんでした。
 今回この記事で問いたいのは、「ならば奴隷は主人に逆らってはいけないのか」ということです。
 牛が主人に抵抗して「さらに待遇がひどくなるからやめなさい」と言うならば、昔運搬用動物として扱われたという、釈迦の時代のインドにもいたはずの奴隷も主人に逆らってはいけないのでしょうか。現代のストライキも無意味どころか逆効果なのでしょうか。
 やはり『マンガで分かる心療内科』は現状追認、社会的強者に黙って従う論理がみられます。

「サービス残業」という「大多数の人間の行動」の事実の認識が甘い

 
 また、アドラー心理学の回で、「上司と部下も対等である」ことの根拠に、「給料が払われなければ命令に従いませんよね?」と、「大多数の人間の行動」という事実を挙げていますが、これも現代日本の状況を甘く見ています。
 池上彰さんの番組によると、多くの日本人は、海外では珍しいサービス残業、給料の払われない残業をして、平均労働時間を上げているようです。
 つまり、全く払われない労働ならさすがに大多数の日本人もしないでしょうが、「今日これだけ働いたのだからついでにこれもサービスでしておいて」と言われると日本人の多くが従ってしまう統計の「事実」があるのでしょう。そこには、「働かせてもらっているのだからこれもしなければ」という「対等でない」心理があるとみられます。
 そのような心理による大多数の行動を事実として認識して、「対等であるべきだ」と断るのを促すのではなく、サービス残業などの事実を捉えないのは、やはり労働者に厳しいと言えます。

「バラモン左翼」のように、「修行僧の生き方をすすめる」問題

 『マンガで分かる心療内科』で、依存を防ぐために、「少しより一切なくす方が良い」というのに、「修行僧のようだ」と言われて、「逆に修行僧は一切誘惑がないから平静でいられる」とあります。しかし、修行僧のような生活を一般人の消費抑制にだけ用いるのはおかしいはずです。修行僧のほとんどは、昔ならともかく今の日本では、一般人のような労働はしないはずです。俗世から離れるのを消費抑制にだけ適用して、なおかつ仕事などの生産や「努力」をゲームのように楽しめというのは偏っています。
 ここには、「ビジネスエリート右翼」とは逆に、仏教のもとの1つとされる、インドの階級の名前からである、「欲望を捨てろ」と貧しい人間に要求する「バラモン左翼」の気配もあります。
 依存症を問題視するならば、企業やそれを規制しない政府にも批判を向けるべきです。 

エジソンは「悪く言ってはいけない医学的弱者」なのか「誹謗中傷した社会的強者」なのか
 

 また、『マンガで分かる心療内科』では、発達障害による失敗の例として、エジソンが直流送電にこだわり、交流送電に負けたことが紹介されています。
 これを、心内が紹介されたこともある『決してマネしないでください。』原作でのエジソンの扱いと比較しますと、やはり社会的強者や権力への甘さがあります。
 『マンガで分かる心療内科』では、エジソンの発達障害での失敗、つまり生物学的弱者の苦しみとして扱っていますが、『決してマネしないでください。』では、既に企業などにかかわっていた社会的強者として、エジソンがライバルの交流送電を中傷した、それによる処刑装置なども作り危険だと喧伝したなどもあります。
 ここが発達障害の人間の扱いの難しいところですが、その特性を活かして社会的に、政治や経済からの強者になった人物も歴史上いるのですから、一概に「弱者だから悪く言ってはいけない」とも言い切れなくなります。
 『マンガで分かる心療内科』でも扱われた織田信長や、ナポレオンは軍事関係者であり政治家です。
 アインシュタインなど、発達障害の可能性がありながら兵器にかかわった人間も多々います。
 『発達障害という才能』では、幕末の軍人の大村益次郎について、敵兵を皆殺しにするのかと言われて肯定したのは、「空気を読めない」特性ではないかと推測されていますが、それは医学的弱者ならまだ許されても、軍人という社会的強者なら容認は難しいでしょう。
 芸術家ならまだしも、軍人や政治家などの「強いところ」を手に入れた人間は、発達障害であろうと厳しく評価されなければならないと私は考えます。
 『マンガで分かる心療内科』で、エジソンの送電の失敗について、その医学的な「弱いところ」を尊重する描き方は悪いとは言い切れないものの、「強いところ」である権力などによる誹謗中傷などを扱わないのは、やや不公平だと考えます。

 

『実はヤバい実験心理学』との比較
 

 もぐらさんの『実はヤバい実験心理学』では、軍人による虐殺や、「低収入で働く自分を正当化して職場に従う」心理など、政治や経済の弱者を助ける論理があり、『マンガで分かる心療内科』より短いにもかかわらず、欠けているものを補えると私は考えます。
 『マンガで分かる心療内科』は性や宗教のタブーに触れても政治のタブーにはあまり触れず、それらのバランスが、『実はヤバい実験心理学』では取れています。

消費増税や法人減税の被害者かもしれない

 ただ、現代日本の政治、具体的に税制度から考えますと、ゆうきさんのような思考になるのはやむを得ないところも考えられます。消費増税と法人減税についてです。
 現代の税金の役割には、財源かはともかく、累進課税による所得再分配と、好況なら増税して不況なら減税することによる景気の安定化と、特定の経済活動にブレーキをかける政策の実現があります。
 消費税には累進性がなく、低所得者に負担がかかりやすいので批判され、大企業への法人税は近年日本では減らされているようです。
 累進課税ならば全体の所得が減る不況のときに自動的に減税されるのですが、現代日本は消費増税ばかりして、不況から抜け出せないとされます。
 また、たばこ税のように、特定の、国が望ましくないと考える経済活動にブレーキをかける作用もありますが、消費税では消費全体にブレーキがかかり需要が量としては減ります。
 この結果、消費増税と法人減税により「消費、特に低所得者の消費はたばこのような悪、大企業の利益は世の中のため」という思考に、日本社会全体が変化してしまった可能性を私個人は考えています。
 だからこそ『マンガで分かる心療内科』では依存症において消費者ばかり責めて、生産者の企業などを責めないどころかITの起業家などは模範のように扱い、和田秀樹さんのような「依存症ビジネス」への批判が少なく、「1億稼ぐ人がさらに10億稼ぐのはそれが周りの幸せのためになるから」と高所得者には甘いのかもしれません。
 私は、宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』の「戦わなければ生き残れない」というのは、『逆資本論』を踏まえて、「現代日本が長いデフレで少ないお金の奪い合いになり、誰かの得は誰かの損というゼロサムの思考になっている」と考えました。
 萱野稔人さんの『リベラリズムの終わり』での、「リベラリズムの求めるパイの再分配は、パイが潤沢なときにしか成り立たない」、「国債で今の社会的弱者を助ければ、将来の弱者への負担になる」というのも、やはりお金の減るデフレと、国債を恐れることにより「今の世の中に弱者を助ける余裕などない」という発想だと考えます。
 宇野常寛さんや萱野さんのように、ゆうきゆうさんも、「希望の減っている」デフレ不況や、その原因の消費増税や法人減税の犠牲者なのかもしれないと考えています。

限界効用逓減に近い統計を知るならば、累進課税に言及してはどうか

 『マンガで分かる心療内科』8巻で、「お金持ちの37パーセントは不幸だけれども、幸福な割合は貧しい人より多い」とあります。
 これについて、ミクロ経済学から、「限界効用逓減の法則」との関係があります。
 限界効用とは、一定金額所得が上がるごとに増える効果の量で、これが、高所得者ほど逓減する、つまりこのグラフのようになるそうです。





 それに近いのが、8巻の説明でしょう。
 しかし、だからこそ、格差を縮めるべきだという理論も成り立つ可能性があるのを、『マンガで分かる心療内科』では放置しているとも言えます。
 たとえば年収500万円と1000万円の人間で、わずかに増減したときの幸福の変化、限界効用がy:1ならば、後者から前者に累進課税で再分配した方が、後者の不幸より前者の幸福が多いので、全体としては良くなるはずです。
 実際には、低所得者ほど傾向としては多いので、後者から1対1で再分配は出来ないでしょう。しかし仮に年収500万円と1000万円の人数比がx:1ならば、累進課税による後者への増税を1だけする分、前者に1/xずつ減税して、後者が1だけ不幸になる代わりに前者が合計y/xの幸福を得ることになります。
 よって、限界効用の比率yが人数の比率xを上回るならば、累進課税で再分配すべきとも考えられます。
 実際には、行動経済学から、「人間は得より損を気にする」、「自分より下だと思っている人間の幸せが許せない」心理もあるそうですが、限界効用逓減の法則からは、累進課税が効果的だと言えます。
 そのような発想にならず、「1億稼ぐ人がさらに10億稼ぐのは周りの幸せのため」と『アドラー心理学』で言うのは、やはり全体の取り分という経済学の考えが『マンガで分かる心療内科』には欠けています。
 ちなみに、通貨が増え過ぎて価値が下がり信用がなくなるハイパーインフレは、物価が年間130倍になるので、約半年で全体の所得が10倍になります。そうなれば全体が困ります。
 また、『キミのお金はどこに消えるのか』で紹介されたトマ・ピケティさんの統計によると、既に多額稼いでいる人間ほどさらに稼ぎやすいそうです。
 その意味で、やはり「1億稼ぐ人間がさらに10億稼ぐ」のは、インフレ率に限界がある以上は、周りから通貨を奪い格差を広げ、周りのためとは言えません。
 

 『マンガで分かる心療内科』には、ミクロ経済学やマクロ経済学の、「全体の取り分」や「政府に求める財政政策」などの観点が欠けています。
 

肉食も、「全体の取り分」からは問題があり、大豆の方が良い

 なお、『マンガで分かる肉体改造 糖質制限編』では、現代日本の人間は昔ほど運動しないので糖質だけは減らした方が良い、たんぱく質が重要だという医学的な理論があります。これは否定しませんが、そのために肉食をすすめるのは、地球環境から問題があります。これも経済学に近い「全体の取り分」の問題です。
 食物連鎖の構造から、上位の動物ほど、下位の生物の栄養の一部しか自分の栄養に出来ないので、全体の栄養量は減ります。だからこそ食物連鎖は、個体数からも全体の体重からもピラミッドなのです。そのピラミッドの下位である植物を食べる方が、動物を食べるより効率が良いので、肉食は「全体の取り分」からは問題があります。
 たんぱく質の重要性と、食物連鎖のピラミッドの構造からは、糖質を少量含むとしても、大豆が適切だと考えます。

「食の砂漠」も「肥満の人間がスナック菓子を食べる」「自己責任」なのか

 『糖質制限』で、「パンケーキのおしゃれな店に並ぶ人間は普段から節制している。デブは家でスナック菓子を食べている」という主張がありますが、それは「食の砂漠」という社会問題から考えますと、事実として確率は高くとも、ならば肥満の人間の「自己責任」で済ませるべきかの意見には必ずしも結び付かないと言えます。

 アメリカや日本などの先進国では、貧困層ほどかえってジャンクフードなどを食べて太りやすくなる「食の砂漠」という現象があるようです。
 国の中央値との比較による相対的貧困との関係があるかもしれません。
 つまり、貧困層ほど、「ジャンクフードやスナック菓子で太りやすい」のならば、それは本人の怠慢などの責任だけではなく、格差などの社会問題として扱うべきになるかもしれません。
 それをやはりゆうきゆうさんの作品では、「貧しい経済的弱者は怠惰だから節制の手段も知らずに太る」などで、「貧困による不健康も本人の責任」で済ませている可能性があります。

近年の『マンガで分かる心療内科』で評価すべきこと

 『マンガで分かる心療内科』でも、最近は、アメリカでタバコは白人、大麻は黒人が吸うことがあったので、前者に有利な法律が作られたことがあるという政治の批判、社会的強者への批判はありましたから、それは評価します。
 ベトナム戦争の影響で依存症への取り組みが政治的に強くなったという記述も評価すべきでしょう。
 また、心内が、「18歳未満ではPCやスマホを与えてはならない」という法律的な提案をしたのも、それ自体の内容に賛同するかはともかく、政治に物申す姿勢は肯定します。

まとめ

 非常に多くなりましたが、やはり『マンガで分かる心療内科』や『真実のカウンセリング』では、宗教やジェンダーはともかく政治や経済の強者に甘く、現代日本の主にデフレの不況で消費の余裕のない低所得者に生産の努力ばかり求めるなどの偏り、欧米の研究などの「強さ」ばかり求めて「弱者救済」は拒絶している、「デジタルヘロイン」の消費ばかり批判して生産するIT企業経営者などへの批判をそらすなどの問題があります。
 そのような点から、『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』で紹介された「ビジネスエリート右翼」の思考がみられます。

参考にした物語

漫画

ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2010-(発行期間,未完),『マンガで分かる心療内科』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2014(発行),『マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2020-(発行期間,未完),『真実のカウンセリング』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画), 2017,『マンガで分かる心療内科 うつを癒す話の聞き方編』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画), 2016,『マンガで分かる心療内科 依存症編 酒・タバコ・薬物』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),『マンガで分かる心療内科 依存症編 ネット・スマホ・ゲーム・ギャンブル・ポルノ』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画), 2015,『マンガで分かる肉体改造 糖質制限編』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画), 2016 ,『マンガで分かる肉体改造 糖質制限&肉食主義編』,少年画報社(出版社)
井上純一/著,飯田泰之/監修,2018,『キミのお金はどこに消えるのか』,KADOKAWA
井上純一/著,アル・シャード/企画協力,2019,『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』,KADOKAWA
井上純一(著),アル・シャード(監修),2021,『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』,KADOKAWA
井上純一,2023,『逆資本論』,星海社
臼井儀人,1992-2010(発行期間),『クレヨンしんちゃん』,双葉社(出版社)
臼井儀人&UYスタジオ,2012-(発行期間,未完),『新クレヨンしんちゃん』,双葉社(出版社)
もぐら,2022,『実はヤバい実験心理学』,竹書房
かっぴー(原作),nifuni(漫画),2017-(未完),『左ききのエレン』,集英社
寺沢大介,2002-2009(発行),『喰いタン』,講談社
蛇蔵,2014-2016,『決してマネしないでください。』,講談社
福地翼,2001-2004,『うえきの法則』,小学館

テレビアニメ

臼井儀人(原作),ムトウユージ(監督),川辺美奈子ほか(脚本),1992-(未完),『クレヨンしんちゃん』,テレビ朝日

小説

梅原克文,2010,『ソリトンの悪魔』,双葉文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(上)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(下)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 上』,朝日ソノラマ
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 下』,朝日ソノラマ
百田尚樹,2014,『海賊とよばれた男』,講談社文庫

テレビドラマ

伊與田英徳ほか(プロデュース),塚原あゆ子ほか(演出),黒岩勉ほか(脚本),2019,『グランメゾン東京』,TBS系列
小松左京(原作),橋本裕志(脚本),東仲恵吾(プロデュース),平野俊一ほか(演出),2021,『日本沈没-希望のひと-』,TBS系列
海堂尊(原作),伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎(脚本),2018,『ブラックペアン』,TBS系列(放映局)
瀬戸口克陽ほか(プロデュース),平川雄一朗ほか(演出),橋部敦子ほか(脚本),2017,『A LIFE』,TBS系列

参考文献

カール・R・ポパー(著),藤本隆志,石垣壽郎,森博(訳),1980(初版第1刷),1997(8刷),『推測と反駁』,法政大学出版局
カール・R・ポパー(著),藤本隆志,石垣壽郎,森博(訳), 1980(初版第1刷),2009(新装版),『推測と反駁 科学的知識の発展 新装版』,法政大学出版局
エドワード・ホフマン/著,岸見一郎/訳,2005,『アドラーの生涯』,金子書店
滝川好夫,2010,『ケインズ経済学』,ナツメ社
宇野常寛,2011,『ゼロ年代の想像力』,ハヤカワ書房
エヴァン、D.G.フレイザー(著)アンドリュー・リマス(著),藤井美佐子(訳),『食糧の帝国』,2013,太田出版
岸見一郎,2013,『嫌われる勇気』,ダイヤモンド社
岸見一郎,2016,『幸せになる勇気』,ダイヤモンド社
佐藤優,2020,『メンタルの強化書』,クロスメディア・パブリッシング
岸見一郎,2021,『怒る勇気』,河出書房
池上彰,2014,『池上彰の「日本の教育」がよくわかる本』,PHP研究所
岩本裕,2015,『世論調査とは何だろうか』,岩波書店
岩波明,2021,『発達障害という才能』,SBクリエイティブ
池上彰,2015,『池上彰に聞く どうなってるの?ニッポンの新聞』,東京堂出版
萱野稔人,2019,『リベラリズムの終わり』,幻冬舎新書
竹内健蔵,2021,『ろけっとぽっぽー&ホッホー博士と学ぶミクロ経済学入門 「市場」って何だろう?』,有斐閣
和田秀樹,2014,『比べてわかる!フロイトとアドラーの心理学』,青春新書

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