法律、貨幣、遺伝子、文化の分野を無視したたとえの危険性を考察する
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注意
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テレビアニメ
『新世紀エヴァンゲリオン』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボールGT』
『ドラゴンボール超』
アニメ映画
『THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』
テレビドラマ
『スクール‼︎』
漫画
『真実のカウンセリング』
『LIAR GAME』
特撮映画
『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』
『ゴジラ 2000 ミレニアム』
『ゴジラVSキングギドラ』
『GODZILLA』(2014)
小説
『精鋭』(今野敬)
はじめに
山内昌之さんの監修する学習漫画『最新「地政学」入門』では、ある軍事的な行動を起こす国から日本に仕事に来た若い女性が、地政学の視点から周りの日本人に、「自分の利益を守る」ことの重要性などを教えています。
その「大国」に見える国にも「弱者」がいて、「事情」があることを地政学的に判定するのは評価すべきものだと考えます。特に私は、地政学には詳しくないため、学ぶ必要性を痛感しています。
しかし、その漫画には、法律、貨幣、遺伝子、文化を区別する視点が欠けています。
似たような議論は地政学の他にもあるかもしれませんから、ここにまとめます。
「大国」と「若い女性」の法律的な差異
その「大国」の女性が、若い女性でも、自分の国籍にかかわらず、自分の勤める飲食店に行列で妨害する隣の店の若い男性に物申すのは、「勇敢」ですが、だからといって彼女の国の行いにそのまま並列で適用は出来ません。
彼女が指摘する「日本は地政学的に身を守る必要を感じていない」のを改善するのと、日本人が仕事や家庭や文化的共同体で「毅然とする」のは、一見同じようで、ある重大な差異があります。
他にも、仕事の部下や家庭の妻、それぞれの場での「比較的弱い人間」の例を見て、結局店の客に過ぎないため、店では解決しないまま、それを見た主人公の日本人の若い女性は「みんなが戦っているから私も頑張らなければならない」と結論付けています。しかし、職場や家庭と「地政学」、国の問題には無視出来ない差異があります。
その「大国」が家庭の妻や職場の部下のように地政学的に弱い立場かは差し引いても、です。
その差異とは、「度を越した暴力を法律で止めやすいか」です。
家庭や職場と国家の差異は「法律で止められるか」
私の分類ですが、家庭や恋愛関係は遺伝子、職場やその前の学校は貨幣、宗教施設などは言語から拡張した「文化」に基づく共同体で、国は法律に基づく共同体です。自治体を構成するのは条例だと言えます。
仮に妻が夫に、部下が上司に、度を越した暴力を振るわれればどうなるでしょうか。それは戦争と同じか、少し考えれば分かります。「警察や司法が介入出来るか」という差異があります。
家庭内暴力や職場のハラスメントは、「犯罪」として法律で比較的止めやすいでしょうが、戦争だけは国による法律そのもので決める暴力である以上、法律で止めるのが難しくなります。
戦争を止めにくいのは、犯罪者と軍の争いと異なり、争うどちらもそれぞれの法律に従う仕事をしているためのはずです。
逆に、家庭の身内や職場の同僚に暴力を振るう外部の人間が相手でも、いくら何でも日本国内で、丸腰で暴力を振るう相手に銃や火薬や毒を使えば、「やり過ぎだ」として「法律」で罰せられるのがほとんどですが、戦争で同じ手段を用いても、それを法的に罰するのは難しいはずです。
逆に、アメリカで銃の所持は認められても、さすがに大量破壊兵器の個人による所持は認められないでしょう。国を転覆させるほどの武器は、国民には法律で制限され、逆にそれの許される兵士による戦争は、許されるからこそ法律で縛られにくいのです。
「自己啓発セミナー」やアドラー心理学で政治が解決するかの分かれ目
『新世紀エヴァンゲリオン』では、主人公の中学生のシンジが、「超法規的特務機関」ネルフの司令である父親の命令で兵器に乗り込み戦うのを要求される苦しみが重要です。しかし、『地球はウルトラマンの星』で、「シンジに実存の悩みはあっても、それをふちどる社会性はない」とあります。
つまるところ、家庭や職場、学校、恋愛などの悩みはあっても、政治や法律、貨幣でも法律に関わる国や軍事や経済の議論をシンジがほとんどしていないのでしょう。
『エヴァ』テレビアニメ版最終回は、シンジの個人の心情の解決だけで終わり、「自己啓発セミナーのようだった」と言われることもあるらしいですが、それは政治も含めた解決しにくい暴力の問題を、個人の内面の問題に還元して解決したようにみなす意味で、自己啓発と関連の深いアドラー心理学に似ています。
『エヴァ』テレビアニメ版の現実世界での戦いの結末を描いた『Air/まごころを、君に』では、日本の総理大臣がシンジを含むネルフを攻撃する命令を出しています。それこそ、シンジ個人の心情で解決出来ない「政治」や「法律」の問題です。
2022年9月9日閲覧
アドラー心理学では、たとえば『NARUTO』のうちはオビトが「仲間を助けられない無力感」を持っていても「敵を殺す罪悪感」を持たないのを、政治的な背景という原因抜きには説明出来ないことを挙げました。
「自分の国」と「自分の家庭」を守ることの差異
今野敬さんの小説『精鋭』では、警察が民間人に守らせる法律や、検挙の根拠が乏しいことに悩む警察官の主人公が、「迷う必要のない場に行きたい」と機動隊に入りました。
そのとき、「自分の国を守りたいと言えば右翼のように思われるかもしれないが、自分の家を守りたいと言えば珍しくないはずだ」という論理もみられました。このような論理で国防を家にたとえる例もあるでしょう。
しかし、彼は家庭を守るのと国家を命令で守る差異である、「度を越した暴力を外部からの法律で止められるか」が見えていないところもあります。「警察は体制と権力を守る組織だ」という「極論」に迷うことはあってもです。
この物語では、「引き金を引くときは上司の指示を信じる」といった発言もあり、その上司の判断そのものが「法律の一部の権限」になるからこそ、暴走して止めにくくなる危険を見落としています。
逆に、同じ身内でも自国の法律に逆らえば同じ国民の中から勤める何らかの公務員に罰せられます。家族の中のルール違反とは異なる厳しさであり、公務員はその「厳しく縛る」側であり、それを憲法で逆に「縛られる」側でもあります。国民を同じ家族と同列には出来ないのは、この部分があります。
「俺達がルールなんだよ」という破壊神
『ドラゴンボール超』では、それまでの『ドラゴンボール』シリーズの神々と異なり人間の命を軽んじる、むしろ「破壊する」のが仕事である破壊神が登場します。破壊神は他の神々すら力で圧倒し、威圧して人間に横暴に戦いを要求して、負けると破壊しようとして「俺達がルールなんだよ」と叫んだこともありました。その直後に、自分達を超えるルールの神である全王が現れました。
しかし、現実の国を破壊神に置き換えるならば、全王に当たる権力者はいません。そして「国の判断」で決められるのが法律という「ルール」です。
独裁政権の国の中には、風刺などで「周りに構ってもらいたい駄々っ子」にたとえられる例もあった記憶がありますが、止める先生や保護者に該当する存在は、国際関係にはいません。
『スクール‼︎』で、いじめでやり返す子供が民間人の校長に「やり返すのがいけないの?大人もやり返すから戦争がなくならないじゃん」と口々に言い出して、校長はしばらく言い返せませんでしたが、元々学校が廃校になりかけていたのを校長が止めようとしていたという「法律」や「仕事」の問題を持ち出して、「ならこの学校を潰す。せいぜいよその学校に行ってばらばらになれば良い」と返しました。
子供の学校での暴力は、学校の廃校という強引な制裁とはいえ、大人の法律や仕事の分野で威圧出来ますが、戦争はそうして止めるのが難しいと言えます。それが子供の暴力と戦争の差異です。
気付きにくい区別
これは考えれば当たり前ですが、予想外に気付きにくいところです。
『真実のカウンセリング』では、宗教のたとえで「信じた方にあとでクレームを付ける資格はない」と恋愛や金銭に関して主張していました。しかしこれは、宗教などの文化と、遺伝子に関わる恋愛や貨幣の分野の区別が付いていません。経営者が契約不履行で消費者や労働者を、政治家が公約破りで国民の「信頼」を裏切る「行動」をすれば「クレームを入れる権利」はあるはずです。
宗教では「人間の行動で物事を変えられない」部分がありますが、政治、及び貨幣でも契約などのルールに関わる経済の分野はそうも行きません。
特に、「信じる」というのは、情報の面での「弱者」がせざるを得ないところもあり、「信じた方にクレームを入れる資格はない」と言い張るのは、詐欺などでだます強者や公約を破る政治家に甘くなり、「弱者の自己責任」に近くなります。
先ほどの「家庭内暴力や職場のハラスメントは戦争と同じか、自力で戦わなければならないのか」という疑問に戻しますと、本当にこの2つの暴力に、戦争のように法律に頼らずに挑まなければならないのなら、それは「家庭や職場の悩みは行政や司法に頼るな」という、私の表現では「狭義の自己責任」になってしまいます。
2022年9月9日閲覧
「疑う」重要性から、家庭や職場と国家も区別する
『LIAR GAME』原作で、母親をだました詐欺師に詐欺で復讐した秋山は、知り合った女性の神崎に母親と似たところを感じているらしく、「疑うこと」の重要性を説いています。
「俺はあるマルチ商法を潰したときにひどい人間を見てきたが、もっともたちが悪かったのは、自分が良いことをしていると信じ込んで結果的に多くの人間をだます人間だった。多くの人が信じるとしてしているのは思考停止であり、本当に悪いのは疑うのではなく無関心になることなんだ。疑うのは相手を知ろうとすることなんだ」という趣旨でした。
しかし、これは「だまされる側もだます側になる」マルチ商法特有の現象でもあり、もちろんだますこと自体の悪さは否定出来ませんし、だまされる側の「信じる」だけのせいにも出来ません。
だからこそ私は、地政学への関心を持ち、「現状の日本の政治」を疑うだけでなく、政治に家庭や職場のたとえを持ち込むことの是非も疑います。
アドラー心理学に「愛、友人関係、仕事」の3つのタスクしかなく、政治や法律に関わる分野がないのも、政治家の暴走や裏切りを止めにくくなり、政治や経済での強者を縛る概念に欠けています。
政治よりも強い「人間でない敵」
政治家の暴走を止められるのは、強いて言えば、「人間でない敵」、「人間の意思で止め切れない災害」です。
たとえばゴジラです。
上司の進めたエネルギー産業のせいでゴジラが現れたからこそ、上司を部下が殴る展開が『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』にありました。
これは、ゴジラに法律を守る義務も法律で守ってもらう権利もないために生じる、法律の権力を超えた暴力が存在するためにしやすくなった議論です。
法律に縛られず守られないゴジラの登場する物語だからこそ、政治的な社会問題である核兵器(『vsキングギドラ』、2014年版『GODZILLA』)や原発(『2000 ミレニアム』)を議論しやすいのです。
これが兵器や発電所を批判するために狙うテロリストなどでは、「テロリストに責める資格はない」、「悪いのはテロリストという人間だ」で済ませやすいところもありますが、ゴジラ相手では法的に縛れません。
もちろん、ゴジラがいれば様々な意味で弱い人間から真っ先に傷付いていきます。不平等な「天罰」にしかなりません。
逆に、ゴジラのいない、いてもその暴力を許すわけにいかない現実の人間社会においては、法律の権力を握る国の政治家は、仮にその国が地政学などで弱い立場だとしても、暴走したときに法律で止めにくい分、憲法などの縛りが必要なのです。
アドラー心理学は政治以外の分野の発想を政治という、権力が暴走しやすい分野に期待し、『最新「地政学」入門』は政治という法律で守ってもらいにくい分野の発想を、守ってもらえる部分もある家庭や職場にまで持ち込むため、対をなした混同が起きています。
家庭と経済の差異もある
ちなみに佐藤優さんは、『いま生きる資本論』で、資本の論理が通用しない場として家庭を挙げており、「男性が女性に、金銭的な見返りを求めずにものをあげるならば、それは(おそらく家庭、恋愛に関わる)下心があると思った方が良い」と書いています。つまり、佐藤さんは家庭と経済を区別しているのでしょう。
ちなみに、『希望の資本論』では資本を、貨幣を遺伝子のように維持する「死なない細胞」、がん細胞にたとえています。『教育激変』では、ある言葉の教育が日本では数十年止まっていることについて、「言葉は生き物だから数十年で変わる」と警告しています。
つまり、貨幣による資本と、言語などの文化を、遺伝子や生物になぞらえる対称的な連想を、私が参考にする岩井克人さんの理論を踏まえているかは私には分かりませんが、佐藤さんは行っているとみられます。
佐藤さんが法律も生き物に似た存在として説明する部分は、私には見つけられませんでした。ただ、『いま生きる資本論』では、「マルクス(『資本論』,2024年6月12日訂正)の主張は国家や税金の話が欠けている」と書いています。
ちなみに、『キミのお金はどこに消えるのか』シリーズ2巻では、「経済の常識」として、「国の財政を家計にたとえる人は、国が銀行にお金を刷らせることが出来るなどを見落としている」とあります。国家と市場の財政の動かし方は異なるのでしょう。
法律、遺伝子、貨幣、文化を、並べた上での区別は重要です。
まとめ
地政学などの、法律や国家同士の争いは、暴力を法律で止めにくいというのが、遺伝子に関わる家庭や恋愛、貨幣に関わる職場とは異なります。その差異を無視すれば、戦争の度を越した暴力に歯止めがきかなくなる、逆に家庭や職場の暴力を止められるところまで法律に頼れなくなる「狭義の自己責任」に陥る可能性があります。
参考にした物語
テレビアニメ
庵野秀明(監督),薩川昭夫ほか(脚本),GAINAX(原作),1995-1996(放映期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,テレビ東京系列(放映局)
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
金田耕司ほか(プロデューサー),葛西治(シリーズディレクター),宮原直樹ほか(総作画監督),松井亜弥ほか(脚本),鳥山明(原作),1996 -1997(放映期間),『ドラゴンボールGT』,フジテレビ系列(放映局)
内山正幸ほか(作画監督),上田芳裕ほか(演出),井上敏樹ほか(脚本),西尾大介ほか(シリーズディレクター),1986-1989,『ドラゴンボール』,フジテレビ系列
アニメ映画
庵野秀明(総監督・脚本), GAINAX(原作),1997,『新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』,東映(配給)
漫画
山内昌之,小山鹿梨子,2022,『最新「地政学」入門』,宝島社
井上純一/著,飯田泰之/監修,2018,『キミのお金はどこに消えるのか』,KADOKAWA
井上純一/著,アル・シャード/企画協力,2019,『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』,KADOKAWA
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2020-(発行期間,未完),『真実のカウンセリング』,少年画報社(出版社)
甲斐谷忍(作),2005-2015(発行年),『LIAR GAME』,集英社(出版社)
テレビドラマ
永井麗子(プロデューサー),奏建日子(脚本),2011,『スクール!!』,フジテレビ系列(放映局)
特撮映画
大森一樹(監督・脚本),1991,『ゴジラVSキングギドラ』,東宝(配給)
手塚昌明(監督),柏原寛司ほか(脚本),2000,『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』,東宝(配給)
大河原孝夫(監督),柏原寛司ほか(脚本),1999,『ゴジラ 2000 ミレニアム』,東宝
ギャレス・エドワーズ(監督),マックス・ボレンタイン(脚本),2014,『GODZILLA』,ワーナー・ブラザーズ
小説
今野敬,2018,『精鋭』,朝日文庫
参考文献
切通理作,2000,『地球はウルトラマンの星』,ソニー・マガジンズ
佐藤優,2014,『いま生きる「資本論」』,新潮社
池上彰,佐藤優,2015,『希望の資本論 私たちは資本主義の限界にどう向き合うか』,朝日新聞出版
池上彰,佐藤優,2019,『教育激変』,中公新書ラクレ
兠木励悟,2008,『エヴァンゲリオン研究序説〈新版〉』,データハウス